見出し画像

◯と△:ワシントンDCのミュージアム・・・その2

アメリカに引っ越してきてはや4か月、有名・無名問わず日頃から建物を見ていると、案の定というか、目につくのはその ”大味” さ加減。

目地の線が通っていなかったり、曲がっていたりというのは可愛いほうで、壁や床が傾いているんじゃないかと思うことも”普通のタテモノ”であれば珍しくもない。すると設計もこの施工水準を見越したものになるわけで、針の穴を通すようなパリッとした精度の建築を目にすることは本当に少ない。

(だいいち、こっちで使っているフィート・インチの寸法体系がそもそも大味なんじゃないかと思う。基準となる1フィートは約30センチ。それ以下は1/12フィートのインチ刻みで、さらに小さい寸法は分数インチで表現しなきゃならない。”3フィート7と3/16インチ”とか図面に書かれてると始末に負えない。これに慣れる日は来るのだろうか。)

閑話休題、そんな訳で、全体からディテールまで綺麗に解かれた建築にこの国で出会えると、それだけで少し嬉しくなってしまうのだ。いや、むしろ、そんな環境だからこそ、丹念な設計の積み重ねと、実現に向けた粘り強い対話の跡がどこかに嗅ぎとれる上質な建築の、その物体としての素晴らしさを再認識させられると言ってもいいかもしれない。

今回訪問したのはナショナル・ギャラリー東館。その前に行ってきたハーシュホーン美術館から、広大なモールを挟んで大体斜め向かいにある。建築家の名前はI・M・ペイ氏。「ルーブル美術館にガラスのピラミッドを作った人」である。

↓ハーシュホーン美術館については前回記事

タイトルにある通り、このミュージアム、△なのである。なにが△なのかは、前回同様航空写真を見るとよくわかる。グリッドと放射軸に挟まれたこの建物の敷地は、北側が削り取られたような台形になっている。設計者は、この敷地に対し、両方の軸線に沿うような鋭い三角形を配置することで回答しているのだ。敷地条件が、建築デザインの端緒となっている訳だ。

もちろん、普段人間は上空からものを見ている訳ではないので、地上からはこの△にはすぐには気付かない。代わりに、この特徴は、そそり立つ”鋭角”として、はっきりエレベーションに現れる。一切無駄のないボリューム構成は、それ自体彫刻のようだ。外壁に用いられた石は、隣に建つ本館と揃えるため、一度は閉鎖されたテネシー州ノックスヴィルの採石場を再び開いたらしい。仄かにグレーがかったピンク色の石肌が上品でとても美しい。

エントランスをくぐる。ちなみにここも入場無料なのでチケット売り場などは無い。セキュリティチェックを受け、少し歩くといきなり明るい吹抜空間に出迎えられる。ここも床・壁ともにピンクの石貼りだ。空間のアクセントとなっているスラブは(多分)コンクリート打放し。これも石より少し明るめのほのかなピンク色に着色されている。なんで(多分)などと自信がないかというと、最初あんまりにも柔和な質感だったのでコンクリートだと分からなかったからだ。はじめ石だと思っていて、目地がないことに気づいて「???」となったくらい。調合や型枠にどんな工夫をしたのだろう。気になる。

穏やかな素材感とは対照的に、複数の軸と消失点が入り乱れる空間は動きがあってダイナミックだ。上空に架け渡されたブリッジや、ぶら下がったアレクサンダー・カルダーの巨大な彫刻も立体空間のヒンジ的に効いている。ちなみに、レーザー計測器で天井高さを測ってみたら、梁の下端までで大体17.5m。

展示は、吹抜を囲うように、個別の部屋がいくつも用意されている。その辺は、全体が流動的だったハーシュホーンと比べると、幾分オーソドックスだ。ただ、言うまでもないことだけれど、展示品は超一級。モダンアートの主要作家の作品は一通り見れるんじゃないかと思う。(印象派以前のアートは隣のナショナル・ギャラリー本館へ。こちらは全体のボリュームがすごいので全部見るとめちゃくちゃ疲れます)

各展示室も当然△の軸を使った部屋の形なのだけど、中に入ると不思議とそれがアート鑑賞の邪魔にならない。「◯」のハーシュホーン美術館でも感じたが、展示空間は真四角のボックスであるべき、というのは我々の思い過ごしなのかもしれない。むしろ並行な壁を挟んで作品が正対してしまう四角の方が本当は不都合なんじゃないか、という気すらして来る。(美術館で、後ろからなんか見られてる気が・・・と思ったら誰か知らない人の肖像画に睨まれてた、って経験ないですか??)

例えば数ある展示室の中には「カルダーの小品の部屋」や「ロスコとニューマンの部屋」があったのだけど、どちらも△を組み合わせて六角形のスペースを作り、広くはないスペースの中で壁面と空間を自在に使った展示が行われていた。

館内をくまなく見て歩いて気づくこと。この建築はどこをとっても破綻がない。△、しかも鋭角な二等辺三角形という難しいジオメトリーを巧みに扱って、大空間からディテールまで全てのスケールでピタッと収まっているのだ。床の石だって△にカットして割り付けてある。しかも半端に切られたパーツがほとんど無い。それは空間のエッジがモジュールに厳密に設計されている証拠だ。極めつけは展示室の奥にひっそりと配置された階段。ここまで△の組み合わせが徹底されている。それでいて昇り降りはしやすくて、機能性もなおざりにされていない。

敷地形状に着想した△のルール・それを最大限活かす造形と空間・要求される機能性との調和・そしてこれらを美しく実現するディテールの数々・・・・首尾一貫・ホリスティックなデザインに背筋がシャキッと伸びる。

「全てを破綻なく・美しくデザインし切ること」。ある意味”優等生”なこのアティチュードは、現代的な批評性には幾分乏しいのかもしれない。しかし、こうして丹念につくりこまれた建築に身を置くと、上質な気持ちよさと一種の安心感があることも事実。人体と建築がフィジカルな物体である限りにおいては、この感覚はどんなラディカルな批評によっても拭い去るのは難しいんじゃないかと思う。

・・・・・・

実は、ワシントンDCには、もう1つ見に行きたいミュージアムがあった。強いていうならこれは"台形"、デヴィッド・アジャイ氏が手がけたアフリカン・アメリカン・ミュージアムである。

開館を待ち構え勇み足で向かったところ、まさかの「土日は完全予約制」のアナウンスで門前払い。ここも入館無料だったので、完全に油断していた。

自分の愚かさを呪いつつ、外観だけでも、、と未練タラタラでグルグルと見て回る。アフリカン調パターンのメタルシェードは、色ムラをつけてみたりと工夫されている様子。内側からだとどう感じられるのか、体感したかったなぁ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?