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12月のテキサス : 水と素材と光と (その②・・・キンベル美術館)

その是非は置いておくとして、ある種の伝説的存在として語り継がれる建築家がいる。少なくとも20世紀にその範囲を限るなら、ルイス・カーンはその筆頭に挙げられる人物じゃないだろうか。

1901年にロシア帝国のエストニア地方で生まれ、子供の頃に米国に移住したユダヤ系家族の長男。ペンシルベニア大学で建築を学ぶも、キャリア早期はチャンスに恵まれず、作品が世間に認知されたのは50歳の頃。そして、仕事を抱えたままの突然の逝去。遺体はニューヨーク・ペンシルベニア駅のトイレで発見されたという。

残された哲学的な言説、例えば ・・・"Form Evoke Function(形態は機能を呼び起こす)"みたいな一言(※1)も、彼の神秘性を増長している。その言葉の真の意味はよく分からないけど、何やら発せられる凄みに、背伸び盛りの学生なんかは憧れを抱かずにはいられない。「ああ、とにかくカーンはとんでもない建築家だったんだ」と。

そのカーンの代表作の一つである「キンベル美術館」が、ここフォート・ワースにある。キンベル夫妻の個人的なコレクションを収蔵する割合小さなミュージアムだ。完成は1972年、建築家の死の2年前に完成した作品。

この建築を特徴づけるのは、何といってもヴォールトが並べられたそのカタチ。非常に図式的なんだけど、かといって既視感もなく、類型化しづらい造形だと思う。ヴォールトを描く曲線が半円ではなくサイクロイド(※2)なのもその一因だろう。決して恣意的ではないが、単純でもない。

この建物のアプローチは2通り。一つは地下のエントランスから上がっていくルートで、もう一つは地上から。ここを訪れる際は、設計時に意図されたメインエントランスでもある、後者をお勧めしたい。さりげない設えの中に、人を導く演出が考え抜かれているのだ。

水盤を横目に進みながら、緩やかな階段を登る。溢れる水のエッジは弧を描いて、屋根のヴォールトと呼応している。登ったところで90度振り向くと、そこには密に植えられた木々のボスクが。これも、言うなれば自然のヴォールトだ。入り口のドアまではこれをくぐっていかなければならない。この一連のシークエンスを経ると、いやが応でも、ちょっと別の世界に足を踏み入れたような気持ちの切り替えが起きる。

内部に入る。よく知られているように、この建築の最大のテーマは自然光を展示室に取り入れること。サイクロイド曲線もそのためにある。頂部に設けられたトップライトから差し込んだ光が、反射板にバウンドしてヴォールト天井に拡散する仕組みだ。反射板は光を流体として扱うかのごとき滑らかな造形。天井をなめるように流入する光は、コンクリート打ち放しの肌理と融合して、物質性を帯びはじめる。確かに、この光のサマは見たことがない。

展示室によって明るさが異なっていたので、光をコントロールする仕掛けもありそうだ。見ただけでは仕組みが全然分からないのもすごい。

素材の選択は最小限まで切り詰められている。使われているのは、トラバーチン・コンクリート・木・あとは天井の一部に金属パネルだけ。なんでも、カーンはプラスターボードの天井を嫌ったらしい。この少ないボキャブラリーを慎重に構成し、密度の高い空間をつくり出している。異なる素材同士は突きつけるのか?目地を取るのか?方向性がある素材であればその向きは?といった、繊細な思考の跡が感じ取れる。

先述の通り、キンベル美術館の竣工は1972年。だが、既に見てきたとおり、この建築の表現は極めてタイムレスだ。見ようによってはどこまでも「古く」見える。しかし、このタイムレス具合は実は高度なエンジニアリングに基づいていて、それはある意味巧妙に隠されている。

例えば構造。この建物を特徴づけるヴォールト、よくよく考えるとスパンがとても大きく、長辺方向は30mもある。これを成立させるために、ヴォールトの配筋にはプレストレス(※3)が掛かっている。このソリューリョンがなければ、頭上に広がる光はブツブツと途切れ、外観にも柱がたくさん出てきて、印象はだいぶ違っていただろう。

そして設備。カーンは長年にわたり設備システムと格闘を続け、建築計画とのインテグレートを目指してきたことでも知られている。この建物でも、設備ルートはヴォールトが並ぶ「谷」部分にきれいに収められていて、普通に眺めていてもまず意識されない。が、よく見ると、コンクリートと金属パネルの間の細い目地が、さり気無くグリル状の空調用開口になっている。恐らく吹出口だろう。吸込口はというと、トラバーチン壁の下部に設けられた隙間にひっそりと設けられている。自然光を取り入れる反射板のフレームが展示用照明のライティングダクトも兼用しているのも見逃してはならない。

ディテールや施工も、この「何かとおおらかで大雑把な国・アメリカ」では例外的と言える神経質な管理の賜物であることが、実物を見るとひしひしと伝わってくる。全体的な精度の高さは言うまでもないが、時々ちょっと恐ろしくなるようなこだわりが垣間見える。

最たるはコンクリートの外壁。型枠のPコン跡(丸いポツポツ)は、放置するでもモルタルで埋めるでもなく、一つ一つに鉛がプラグインされている。また、型枠の継ぎ目跡の部分を見ると、ピンと角が立ったような仕上がりになっている。これは型板を細工した結果。きっと、施工上どうしても生じてしまうミリ単位のズレと段差を嫌い、あえて目地を見せる仕上がりにしたのだろう。そもそも、型板の最大幅が約3.6mと、明らかに普通よりデカイ。

ちなみに、コンクリート自体もトラバーチンの色味と調和させるため、配合のレシピをひと工夫し、火山灰が加えられたらしい(※4)。確かに、一般的なコンクリートに比べて黄色っぽく見える。雨に濡れた部分は顕著だった。

他にも、覗かないと見えない手すり裏側のボルトがきれいに面を揃えてあったり、めったに人が来なそうな通用ゲートの目隠しルーバーの向きが工夫してあったり、細部に至る配慮が、歩くたびに見つかる。これら全ては、リアルな設計技術の探求を地道に積み重ねないと、辿り着けない境地じゃないだろうか。

冒頭で、カーンの言葉はよく分からない、と書いたが、それが真の意味で理解できるようになる日は・・・・・・・きっと来ない。彼の言葉が嘘あるいは見掛け倒しと言っているのでは決してなくて、時代やバックボーン含め、彼と僕達とでは、残念ながら見ることのできる景色があまりにも違いすぎる。だから、言葉だけを汲み取ってウットリしているのは、無意味とは言わないけど、大分アブナイんじゃないかと思う(と、まさに言葉面だけ見て「なんかスゲェ!」とカーンに憧れていた、出来の悪い学生時代の自分に言いたい)。

それならば、細かい心配りや実現への苦労を含めて、モノとしての建物から学ぼうとすること。そのために、訪れた際はその時々の自分の感覚と知識を総動員して、よく見るように努めること。そのほうが、カーンに限らず巨匠がのこした作品への向き合い方としては誠実なんじゃないかと思っている。今のところは。

※1:『二十世紀の現代建築を検証する』磯崎新・鈴木博之 P289
※2:サイクロイドとは、円を規則に沿って転がしたとき、その一点の軌跡を描いた曲線のこと
※3:プレストレスとは、コンクリートに応力を加えた状態で打設すること。ひび割れを抑制したりスパンを大きくとることができる。
※4:『テクトニック・カルチャー』ケネス・フランプトン P325

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