見出し画像

建築の街・コロンバスを見にいく (その①)

しょうもない妄想とは知りつつも、今でも”お金が有り余るほどあったらなぁ”なんていう子供みたいなことを考えてしまう。何億あるいは何十億円なんて資金があれば、時間をたっぷり掛けて、自分の好きなように建築をつくれるのに。少なくともお給料をもらってサラリーマン設計者をやっているうちは無謀な話なので、いつもハッ、と我に返っては、目の前のCAD画面に意識を戻すわけなのだけど。

20世紀の建築家の多くは、案の定というべきか、地方の名家など”ご立派な家柄”であることが多い。それでも、自分で好きなように建築を建てまくっていた人、というのは殆ど聞かない。いわゆる普請道楽を地で行っていたのは、自邸の敷地にいくつものパビリオンを建てたフィリップ・ジョンソンくらいじゃないだろうか(彼は、弁護士の父親から譲り受けた株かなんかの資産が大高騰して、”莫大な富”を手に入れたらしい)。

結局のところ、世の中の建築プロジェクトのほぼ全ては、たとえ「〇〇氏の作品」と呼ばれようとも、建築家以外の建主(施主)がいて成り立っている。巨匠センセイがどんなに偉そうな態度を取ったところで、他人のお金で何とか生かしてもらっているに過ぎないのだ。なので、施主に嫌われたり煙たがられてしまったらそれでおしまいである。あとは、悪い言い方だけど、建築家から面白いアイデアやエッセンスだけ盗んで、プロジェクト完了前に追い出しちゃおう、っていう魂胆の施主だっていないことは、、、ない。従って、建築家は施主との関係性はすごい大事に、時として注意深く扱わないと仕事にならないのだそうだ。そういう意味で、顧客の前でふんぞり返った巨匠大センセイなんてのも、(少なくとも僕の見聞きする限りでは)実際には存在しない幻想である。

逆に言えば、個人・企業・行政問わず、施主との良好な信頼関係が築ければ、これ程理想的なことはない。建築家は継続的に仕事を得られるし、施主も安定して期待値にマッチした成果物(建物)を手にすることができる。槇文彦氏と代官山ヒルサイドテラス / 故・宮本忠長氏と小布施の町並み / 故・菊竹清訓氏と京都信用金庫など、意外と例は多い。最近では、内藤廣氏ととらや、平田晃久氏とninehoursなどの商業プロジェクトが多いように思う。

なかでも、実現数と持続性という意味でもっとも特筆すべきなのは、行政主導のくまもとアートポリスだろう。1988年の発足から現在に至るまで、磯崎新氏、故・高橋てい一氏、伊東豊雄氏ら歴代コミッショナーの指揮のもと、たくさんの建築が実現している。僕は残念なことに一回しか熊本を訪ねたことがないのだけれど、それでも街を移動するたびあちこちで建築に出会える感覚は新鮮だった。これは一人の建築家が全設計を引き受けているわけではないけれど、建築のポテンシャルを信じた当時の細川護熙知事と、初代コミッショナーの磯崎氏の信頼関係が実現の強い支えだったことは間違いないだろう。

さて、この”施主と建築家の良好な関係”を半世紀以上前に体現し、”くまもと”のモデルにもなったんじゃないかと思うような街が、アメリカにある。

街の名前はコロンバス。Googleで検索するとオハイオ州の州都が出てくるのだけど、今回行きたいのは隣のインディアナ州に位置する同名の街(超ややこしい)。インディアナポリスから車で一時間程、人口約45,000の小さな街だ。ここに、珠玉と言っても差し支えない建築作品が幾つもあるのだ。

それはなぜか。コロンバスにはカミンズ・エンジンという会社があり、いわばここは企業城下町。そして、この会社のオーナーであったアーウィン・ミラー氏という人物が、コロンバスを建築の街にしたキーパーソンである。彼はカミンズ・ファウンデーションという基金を設立し、コロンバスの街に対して、新しい公共建築の設計費(architectural fee)を負担することを申し出たのだ。結果この街には、当時活躍する建築家の作品が幾つも残されるに至った、というわけである。彼の社屋や自身の家も、最も信頼のおける建築家に任せたことは言うまでもない。

前置きが長くなってしまったけれど、ここからはコロンバスで見てきた建物たちを振り返ってみたい。


North Christian Church

インディアナポリスからフリーウェイ(高速道路)をひた走り、街の入り口に近づくと、黄色く色づいた木々を超えて小さな十字架が見えてくる。ノース・クリスチャン・チャーチの尖塔だ。設計したのはエーロ・サーリネン。ニューヨークの玄関口・JFK国際空港の一際アイコニックなターミナルや、家具「チューリップ・チェア」で知られる建築家だ。

”様式”そのものといえるスタイルを確立したミース・ファン・デル・ローエとは対照的に、サーリネンは作品ごとに作風を変えた建築家と言われる。当時はその「一貫性」のなさが批判に晒されたりもしたらしい。しかし、サーリネンが20世紀アメリカを代表するアーキテクトであったことは間違いない。

街の北外れに建つこの教会は、六角形の幾何学プランと彫刻のようなフォルムで、本当に堂々としている。一言で表現するならヒロイック。戦後アメリカの前向きなムードみたいなものを、崇高なレベルまで昇華しているように思う。

内部は余計な装飾は排除され、そのなかでパイプオルガンとトップライトの存在感が際立っている。天井には質感のある塗装が施され、間接照明がぼんやりと雰囲気ある空間を醸し出している。

一見スチールのサッシや建具が木製だったのは、ちょっとした驚き。


First Christian Church

街の中心部に行くと、ひときわ目立つのがこのFirst Christian Church。エーロの父親、エリエル・サーリネンの設計である。彼はフィンランドのナショナル・ロマンティシズムを代表する建築家として祖国に作品を残しながらも、シカゴ・トリビューンビルのコンペ入賞をきっかけに一念発起・アメリカへ移住してきたことで知られている。クランブルック美術アカデミーの校長も務め、教え子にはチャールズ&レイ・イームズがいる。

この建築を一目見たとき、正直驚いた。渡米してから既にそこそこ建築を見てきたけど、どれとも雰囲気が似ていない。至るところに神経の通ったディテールを見つけることができて、デザインの「手つき」みたいなものが感じられるのだ。例えばそれはワシントンDCの新古典建築や、マンハッタンのウールワースビルみたいな手の凝った様式的装飾とも違う。オリジナルな「創意」がすべてのエレメントから発散されている。残念ながら僕はフィンランドに行ったことがないのだけれど、これが北欧仕込みのデザインなのかぁ、などと本気で感心する。

例えば、ライムストーンのファサードは、あえてシンメトリーを外してエントランスと十字架が設けられている。塔にある時計の文字盤も同様。彫刻みたいな装飾があちこちに、ほとんど気紛れみたいに施されている。レンガの外壁も、あるところではさりげなく積み方が変えられている。こんな調子で、図面あるいは現場で、あらゆる要素をデザインしようとした手つきと気配りが伝わってくるのだ。基本的に「でっかめ」な大方のアメリカ建築と違って、ヒューマンスケールなのも安心感がある。

礼拝堂の内部も、ファサードと同じくあえてシンメトリーを崩した構成。十字架が設置された壁面には、奥から柔らかい光が差し込んでいる。木製の建具・家具もひとつひとつが丁寧にデザインされている。足音を軽減するため床の一部がコルクになっていたり、機能的な工夫もあってなおさら興味深い。

息子のエーロも担当者としてこの建築に関わり、革張りの工芸的なドアの押し棒などをデザインしていたらしい。それを知ると、ノース・クリスチャン・チャーチでエーロが表現した幾何学的な形態やシンプルなディテールは、より興味深く思えてくる。

(つづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?