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LAの【無料】美術館巡り(その②:The Broad)

ロサンゼルスの無料美術館見学記。前回の記事ではその1つめ、リチャード・マイヤー氏設計の「ゲッティ・センター」について書きはじめたのだけど、案の定というか、脱線したりして長くなってしまった。が、今、本当に感想を書き留めておきたいのはもう1つのほう、「The Broad」だ。

【無料】ミュージアムその2:The Broad

改めて紹介すると、この建築は2015年にLAのダウンタウンにオープンしたミュージアム。隣にはフランク・ゲーリー氏のウォルト・ディズニー・コンサートホール、通りを挟めば磯崎新氏のロサンゼルス現代美術館(MOCA)という、文化中心的なエリアに建っている。建築家はNYの「ハイライン」でも知られるディラー・スコフィディオ+レンフロ(DS+R ※1)。設計チームには世界最大の事務所ゲンスラー(Gensler)も参画している。

敷地にたどり着くと、いきなり現れるのが特徴的なファサード。全体がなにやら多孔質な意匠で包まれている。個性的な均質性、とでも言ったらよいだろうか。アングルを問わず、通りのどこからスマホで撮ってもそれなりに決まる感じ。敷地の周りをあれこれと見て廻って、はじめて様子が把握できる、みたいな面倒なことは一切ない。

建築家が「ヴェール」と名付けたこの外装はGRC(グラスファイバー補強コンクリート ※2・3)製で、総数は約2500枚あるらしい。近づいてみるとそれなりに大きく、えぐり込まれた曲面・鋭角なエッジを持つ複雑な形状が高精度に製作されている。

これは、3Dデータをもとに彫りだした形状をネガにして型枠を成型したらしい。手順的には銅像なんかのつくり方に近そうである。しかもこれ、裏側に廻ると支持部材が殆どなく、どうやら構造としても機能している模様。これが普通のカーテンウォールであれば、一枚一枚からファスナーが出ちゃって、とてもじゃないが裏面を見せることなんて不可能。一体全体どんなトリックを使っているんだろう??

この「ヴェール」がつまみ上げられたようなコーナー部から建物に入る。ちなみに、訪問時(土曜の午後)は長蛇の列ができていた。事前予約で優先入場パス(これも無料)が入手できるので、予めとっておいたほうがよいだろう。ロビーは、ファサードとは印象の異なる空間で、洞窟のような雰囲気。建築家はこの量塊を「ヴォールト」と名付けている。

展示室は3階にあり、そこにはエスカレーターで向かう。洞窟を抜けるようにグングン昇っていくと、来客はギャラリーのど真ん中に放り出される。

そこは巨大な一室空間。1エーカー(≒4050㎡)の広さがあるという。壁は立っているものの、それはあくまで絵画を架けるためで、順路は特にない。「ハイ、あとはご自由に」って感じで、実際お客さん達はブラウン運動する粒子のように、ジェフ・クーンズやら村上隆やら、その他の現代アートのあいだを不規則に歩き廻っている。

さて、最近の美術館の建築的な見どころは「天井」だと思う。原則フレキシビリティが求められるので壁や床で主張するのは容易でなく、必然的に天井に個性が集中する、というパターンが多い。直達光をカットしながら自然光を導く、という相反した命題に対する腕の見せ所でもある。で、「The Broad」の天井であるが、この建築も例に漏れず圧倒的に個性を発露している。ファサードで見た「ヴェール」のコンセプトが天井にも展開されて、立体的な意匠が7mの高さでバーンと広がっている。もっとも、ここはコンクリートではなく、構造は鉄骨。ただし、H鋼の梁成は2.1mもあるらしく、ここでも並々ならぬことをやっている。

なめらかな曲面の奥をのぞき込むと、開口が設けられているのが確認できる。これがアイレベルでは滲むような光として知覚される。可動スクリーンも付いていて、自然光は制御可能。ライトレールと照明のミニマムな納まりも見逃せない(夜はどうやって照度を確保しているのか気になるけど)。天井に空調設備が見えないのも意匠的にはポイントで、少なくとも吹出口は床で全て処理しているようだ。

展示室に立っている壁は1枚として天井まで届いていない。つまり、この空間は完全に無柱なのだ。ならば、いっそ仮設的な展示壁なんて取っ払ってしまうか、せめてその高さをグッと縮めたら、ここにはとんでもない抽象空間になるのではないか・・・と思った。

その空間は、ミースの「クラウン・ホール」に匹敵するラディカルなものなのではないか。同時に、それは「ユニバーサルスペース」ともまた違うかもしれない。例えば、クラウン・ホールは無柱の大空間ではあるが、それでも、建築家によって計画された低い間仕切壁がある。その配置の、まるで碁石を置くような慎重さが、あのプランに緊張感のある場をつくっている。均質なユークリッド幾何学にもたらされた最小限の作為が、ミース的ユニバーサルスペースのオーラの源ではないだろうか。それは彼のコラージュを見てもよく分かる。

いっぽう、ここ「The Broad」には、(建築家が配置した壁という意味では)それすらない。「ヴェール」に包まれた、ひたすらに均質な空間だ(※4)。建築家の「作為」なぞはプランには必要なく、ただアートを収容するプラットフォームがあればよい、と言わんばかりだ。このプラットフォーム上で、約2000といわれるBroad財団のコレクションは、任意のタイミング・任意の配置で入れ替えられるのだろう。なんだかそれは、スマートフォンのホーム画面とアプリの関係みたいではないだろうか。

「場面」の建築

またしても脱線含みで長々と書いてしまったが、この辺で前回の「Getty Center」と併せ、2つの美術館について振り返ってみたい。

ゲッティ・センターは、アプローチのトラムから展示室の内部、展望テラスに至るまで、シークエンスの感覚が充満していた。敷地に着いてからそこを出るまでの、ネックレスチェーンで繋がれたような一連の出来事が、建築体験として明らかに意図されている。従って、建築全体を把握できるのは一通り見終わったときで、個別のシーンはあくまで断片として機能する。そして、設計者の並々ならぬ力量は、全ての断片を上質に仕上げ、かつ全体としても統一せしめるところに現れていた。

いっぽう、この「The Braod」はどうか。ファサードの「ヴェール」や内部の「ヴォールト」といった骨太系のコンセプトがいい例であるように、上記のようなハイコンテクスト体験に身構える必要は一切ない。建物の前に立てば、(建築関係者じゃなくたって)多かれ少なかれ「おーすげー」となる。そこでスマホを取り出して1枚シャッターを切る。それでOKだ。内部に入れば、急に場面が変わる。ここでも1枚パシャリでOK。エスカレーターはそれ自体はシークエンシャルだが、これも純粋に場面転換の仕掛けとして楽しめばよい。

極めつけは展示室だ。建築家が用意したのは、柱がなく、均質な光で満たされた、ただ広く抽象的な空間。そこには順路という概念がそもそも無く、来訪者はただ気に入った作品があればそれを見て、写真を撮って、なんなら別の作品はスキップしたって結構だ。それでも、この場所を訪れた心理的満足感は十分高いだろう。その時点で、シェアするに十分なだけのネタは、カメラロールに揃っている訳だし。

要するに、この「The Broad」の建築体験は、ひとつながりの「シークエンス」ではなく、個々に独立した「場面」のスタッキングで出来ているように思うのだ。ひとつひとつが独立しているから、前後の文脈を知らなくても、その場面にさえ凄みがあれば、1枚の写真でも驚きや感動を共有できる。これって大事なことだ。なぜなら、現代の建築体験は実際の訪問よりもインターネット・SNSを介するほうが圧倒的に多いのだから。

ここまで書いて、「いやでも建築体験として正統なのはゲッティ・センターで、The Broadのソレはちょっとぶっきら棒すぎないか??」と、言いたくならないこともない。なにせ建築学科の授業では、ミュージアムは「シークエンスが肝」と教わってきたのだ。実際、美術館の設計課題でも、みんなパースや模型写真を順番に繋いだシークエンスプレゼンをつくっていたし、それが表現できない類の作品は、あんまりいい評価は期待できなかった(たまに例外はあったけれど)。

が、そんな意識ももう潮時、アップデートしたほうがよいのだろう(勿論、ゲッティ・センター的なオーセンティックな美学も共存すべきであるけど)。実際、この「The Broad」は、アート・ミュージアムとしては例外的なほど、あらゆる層の人々に受け入れられているらしい。DS+Rの解説によれば、このミュージアムの平均来館者年齢は33歳で全米平均より12歳も若く、人種多様性も平均の3倍をマークしているそうだ。来訪者のアートへの知識も、約80%が「ほぼ知らない、もしくは比較的少ない」と回答しているとのこと。

このことから、「The Broad」が、21世紀のアートミュージアムとして、従来型の施設とは別種の誘引力を発揮し、"結果"を残しているのは事実といえるだろう。ちなみにDS+Rのプロジェクト説明は興味深く、この入場無料の美術館がいかに地域の雇用と消費に貢献し、経済効果を生み出しているかについても強調していた。

LAを訪れる前、見た目にデコラティブなこの建物、実はそこまで期待していなかった。が、いざ実際に中に入るとその甘い心算もりは打ち砕かれ、その空間は驚きに満ちていた。ラディカルな構成や規格外のエンジニアリングももちろんその理由だが、それ以上にこの場に感じたのは、現代の空気感や現代人の振る舞いに対する、ちょっと残酷なくらい鋭い建築家のまなざしだった。1997年のゲッティー・センターが20世紀美術館の洗練の極みであるように、この建築も21世紀初頭のベンチマークとして残っていくだろう。

美術館(ミュージアム)は20世紀からずっと続く建築タイプの花形で、今でもトップスターだけが手掛けられる特権的な領域ではあるが、正直「美術館やったら立派な先生!!」という建築家モデルは足元が揺らいでいる(と僕は信じている)。とはいえ、この建築を見て、時代へのまなざしと、それを(いかなる形であれ)建築として具現化する技量だけは高め続けないとな・・・と改めて思ったのでした。

(おわり)

The Broad 公式サイト:入場パスはこちらから申し込めます

 
※1:設計事務所(DS+R)によるプロジェクト紹介:
https://dsrny.com/project/the-broad

※2:GRCファサードの解説
http://www.pre-cast.org/broadmuseum.asp

※3:日本国内でのGRC実例は、例えば代官山T-Siteなどがあります。
http://www.agb.co.jp/kei/ex/p52.html

※4:上記DS+Rのプロジェクト紹介ページでは、壁が一切ない状態のギャラリー内観写真を見ることができる。


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