プログラマになるということ

いつものようにyoutubeを見ていたら、4週間でプログラマになれるスクールのCMがながれてきた。

そんなうまい話があるか、と訝しむ主人公だったが、4週間のオンラインコーチを受けた結果、これならプログラマになれそうだ!と明るい表情で宣言するストーリーだ。良い収入を得て、良い人生を送れそうな気配が画面に漂う。

しかし、CM中の画面を見てみるとCSSを書いているみたいだし、メンターからのアドバイスはこれをコピペで貼り付けたら動きませんか?とか送ってくる感じだし、少しわかる人なら身構えるような内容だ。

まあ、4週間みっちりやれば、プログラミングの基礎は覚えられるかもしれない。しかしプログラマになるということはそういうことではない気がする。技能を覚えることと、プログラマになるということの間には暗くて深いミゾがあるように思う。

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プログラマの友人と飲みに行く。ひたすらプログラミングの話をする。大人になると仕事の話ばかりになる。普通だと思うかもしれない。

しかし、最近見つけた「熱い」ライブラリや言語について延々と語るプログラマが、話の最後に「ああ、これが仕事にも使えればなあ」とか言ったりする。え、今の仕事の話じゃなかったの?何だったの?と普通の人は混乱するだろう。

彼は仕事もプライベートもプログラミングに捧げている。あらゆる生活の境界が溶け、一日中プログラミングのことを考え、朝4時あたりまでSNSとフォーラムをうろつく。常に疲れた顔をしている。

プログラマになるということは自分にある種の呪縛をかけることだ。ハンターハンターの念能力と同じように、強い制約をかけた分、強い能力が手に入り、やがてはそれは日常になっていく。だが、それが普通の人間の幸せと繋がるかはわからない。CMで描かれている、規範とされそうな良い人生とは、多分違う。

そんな呪縛を普通の人にかけようというのか?

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さて、最近の僕はコードを書かない案件も増えた。呪縛も解けている。仕事の合間にプログラミングの教本を開くのではなく、YoutubeやVimeoなどを見てリラックスする。そこにこのCMだ。プログラマになることが、ここに描かれた明るい人生への扉なのかどうか、今ならそれを客観的に見つめることができる。呆れた気持ちで僕はCMを閉じるボタンを押す。

CGのチュートリアルの続きがyoutubeから流れ出した。blenderのeeveeは熱いので、出来ればhoudiniのPDG等と連携出来るようなワークフローを考えたい。ああ、これが仕事にも使えればなあ。


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