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ぼくは大きい旗を手放すことにした。

いつだって旗を振る人でありたいと思っていた。
いつだって人はぼくのことを「○○の孫」と呼んだ。

大学を卒業して町にUターンして3年が経つ。
帰ってきて少しして、「呼ばれ方」を変えようと決めた。

生まれ持ったもの

少し小さな地方ならよくあると思う。
「私」としてではなくその前に「孫」や「息子」や「屋号」
生まれた時から持った様々なもので認識されている。

それは関係資本が大きな要素を占める地方での生き方では、
ないよりはもちろんあった方がいいに越したことはない。

でも、それを超えて「私」を見てもらうまでは遠い。あまりにも先人が偉大で、大きな存在であればあるほど、影響力も、その恩恵も大きくなっていく。

祖父や先人のおかげで覚えてもらうこと、認知してもらうことは嬉しかった。
誇りに思っている。そしてそれを超えたいと思っている。
そのために、大きな旗を振ってきた。変えることのできないものより大きな旗。
「ぼく」は「ぼく」であると言わんばかりに、力のまま振ってきた。

旗の意味

その旗は大きな意味を成してきた。
徐々にではあるが、「ぼく」を「ぼく」として見てもらう大きなツールの役割を果たしてきた。スポーツによる日常生活の幸福度の向上。生涯スポーツの場の創生。
「ぼく」が「ぼく」であるために。ここにいると気づいてもらうために。
一緒に歩んでいける仲間と楽しく生きていくために。

そんな生活を3年間続けてきた今、描きたい未来に行くにはその旗では限界があることにも薄々気づき始めていた。

これから必要なのは目立つ大きな旗ではない。誰かに認めてもらうことではない。
ぼく一人が大きな旗を持つことに、大きな意味はもうなかった。

ぼくは、大きな旗を手放すことを決めた。
手放すことの不安以上に、これから先のワクワクがあると知った瞬間だった。


今、持つべき旗

これから先必要なのは、誰もが持てる小さな旗。
「こういう未来はどうかな?」に共感してくれた誰もが手に取れる、
小さくて、振りやすい旗。
『誰もが豊かに生きられる社会』その豊かさの源の一つがスポーツになっている人たちが、自らのライフスタイルに適したスポーツの場に足を運べるような社会。
スポーツが人生を彩る一つのツールとして活きるように。
それを作るには、大きな一つの旗ではなく、たくさんの小さな旗だと思う。

一人では作れない未来は、みんなとなら作れる。
今のぼくは、誰かに「ぼく」を認めてもらうことよりも、
みんなと一緒に未来を創っていけることに幸せを感じている。

そのために、一緒に旗を振れる空気と繋がりを今ここから。

ぼくはいつだって「ぼく」である。
シンプルなことだった、問題は誰にそれを決めてもらうか。
それはきっと自分自身。これから先も変わらず。
ぼくは自分が生きる人生を、自分で決めていく。

来春、一つの夢を叶えます。
大好きなこの町で、信じられる人たちと共に。
スポーツによる幸せを追求する、海図のない航海を楽しむ
覚悟を決めました。

"必要かどうかを決めるのは 往々にして他人のことの方が多い。
 それでも自分で 決めるんだ。自分で 決めるんだ。”
あひるの空 第166話「風に向かって走れ」より

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