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憧れの国で鬱になった★

あらすじ

「スポーツによる、生活の中での幸福度向上の要因」を探しに憧れのフィンランドで1年間の留学の機会を得たきりんは、交換留学先の大学の授業と、インターンで小学校の放課後クラブの先生になり活動に明け暮れる日々を過ごしていた…

前期が終わる11月頃、鬱になっていた。

『空っぽの感覚

気付いた頃には遅かった。何かが頭と足を重くしていた。常にゾワゾワした。結局こんなもんか自分は、と自己嫌悪になった。

何を言ってるのか理解するため辞書を引きながらの授業。毎回グループワークがある授業。家から出ると外国語。そんな生活に慣れるだけで3ヶ月かかった。そしてそれについていけない時間の方が長かった。

出ばなを挫くどころか鼻の存在がなくなるくらいに凹んでいた。一番やりたかったスポーツ施設や実践者へのアンケートや市場調査はお世辞にも「進んでいる」とは言えない惨状だった。

加えて、フィンランドの冬は暗く、寒い。未だに覚えているのは11月の月間日照時間がたったの30分だったこと。1日ではなく“月間”で30分。太陽が見えないだけなのにこんなにも辛いのかと鬱に拍車をかけた。
朝も夜も同じ景色、外気は氷点下15〜20℃、「こんなのどうかしてる。なんでみんな平気な顔してるんだ」とつい嫌味が出てしまうくらいにやられていた。

年末年始だけでも日本に帰ろうかな。
本気で考え先生に相談し、旅券を取る寸前まで行くものの、何かがクリックしようとするその手を止める。
ここで帰ってもきっと何も変わらない事にぼくが一番気付いていた。

『風吹けば恋』

学校が休みということもあって基本的には家にいた。たまには現地で知り合ったフィンランド人の友達の家に誘われて遊びに行くこともあった。
その日も何人かで遊ぼう!と誘いを受け、重い身体を起こし、寒い中電車を乗り継ぎ彼の家へ。特になにか目的があるわけではない。ただみんなで集まり、映画を観て、ギターで遊んで、サウナを楽しむだけだ。

つまりは、なにもしない。をする。
ふと、彼にこの気候と鬱について聞いてみた。こんな環境でずっと過ごしてるなかで、鬱にならない工夫はないの?と。
すると彼は少し考えたあと、いつものいじわるそうな顔でこう返した。

「鬱?ははは!毎年だよ、無理ないさ」
「みんなそうさ。だからそんなに気にするな。そんな時は何もしたくないだろ?だから、何もしてないんだおれらは」

そう言ってまたワインを口に含み、ギターを弾き続けていた。
ぼくは、彼が言ったとてもシンプルなことを解釈するのに、少しの時間を要した。

『受け止める。シンプルに生きる。』

ギターを置いたあとはサウナに入りまた考えた。
このとき一つ決めたことは、今の自分をただ受け入れること。何も出来なかった自分をだ。
否定するから辛いんだ。前に進むには「出来なかったちっぽけな自分」を認めなくちゃいけない。
もうほんと、自己肯定感なるものが地の底についたような感じだった。ただ、それは「もうこれ以上下がることはない」ことを教えてくれた。

「これが底辺なら、むしろ安心。これ以上自分のことを嫌いになることは多分そうそうないかもしれない。」

と考えられるようになった。サウナの中で。

彼にありがとうと言い、なぜお礼を言われたのか不思議な顔をしながらも彼は「ま、ビールでも飲もう。そんなもんさ。」と缶ビールをくれた。サウナの中で。

『ジム通い、絡まれる日々』

そのあとからは割と淡々と動くようになった。ビビっても白紙は埋まらないと分かり、とりあえずスポーツをしている人を探しに近所のジムに通った。

が、運動をすることのモチベーションはまだ戻っていなかったのでジムに来たものの、体育館のなかに入る気力はなかった。

ジムに行ってなにをしてたかというと、娯楽用に置かれていたビリヤード。ビリヤードを朝から晩まで、長い時はお昼を取りながら7時間ほどやってみた。一応言っておくと、ぼくは別にビリヤードが上手いわけではないしなんならちょこっと触ってみた事があるレベルだった。

1人で黙々と打ち、通りすがりのジム利用者に話しかけアンケートをとり、また黙々と打ち…そんなことをしてたら当然のように絡まれる。筋骨隆々なイラク人たちには「お!おれらも混ぜてくれよ!」とあからさまに絡まれ、ただただしい英語でお互い会話し、ひとしきりゲームをすると「またな!」と言い彼らはジムに行った。別の日はプロのハスラーを目指しているというアフリカ人が声をかけてきた。そうこうしているうちに苦手だった英語を毎日話すようになっていた。

特にこのアフリカ人(僕らはマスターと呼んでいた)は熱心で、ショットをミスると「今のはこうやって打てばいいんだ」とすごく丁寧にビリヤードを教えてくれた。プロを目指す彼に勝てるようになるまでに2ヶ月ほどかかった。

その間にここで出会った「友達」がたくさん出来た。イラク人たちもそうだし通りすがりのの人も、いつもそこにいるからなのか「今日も来てたのか!」と話しかけてくれるようになった。

この経験はぼくの中で非常に価値のある時間だったと言える。
できなかった英語が話せるようになり、スポーツをしている人たちと仲良くなり、「できる感覚」を学ぶことが出来た。

スポーツの可能性を探すのではなく、それを自ら体感出来たことが、留学後半戦の怒濤の追い上げに現れてきた。


そして年が明け、残り半年となった留学が再スタートした。
スポーツはこの国の人たちに何をもたらしているのか。
少しずつ少しずつ、その輪郭が見え始めていた。

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