論理と感情のはざま

2019年が始まりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

私が「考える」とはどうすればできるようになるんだろう。と悩み始めたころ、一番大切なのは感情に流されず、とにかく論理的に、論理的に攻めることだ。と信じていました。感情を排除し、理解する手順・考える手順を、プログラミング設計をする要領で、細かく細かくわけ、シンプルな作業に分ける整理を行ってきました。だいぶ整理が進んだころ、一緒に働いてくれていたあるスタッフに、本当に感情は不要なのか?感情を隠すことはできないのではないか?と疑問を呈されました。当時私は、そこをしっかり分けることをしない限り、感情に振り回されるだけで、正確に理解し考えることはできないのではないか、と答えていました。その後整理を進める中で、やはり入り口は感情にあり、それをも正確に理解しようとして初めて、自分の理解を確認でき、自分にとって理解した内容が何を意味するのか、考えることができるのだ、という結論に行き着きました。

しかし、感情と論理がごちゃまぜにされていることは、とても多いように思います。何を感じたのか、がそのまま自分の結論になってしまう。感じたことに屁理屈をつけて結論にしてしまうこと、ありませんか?一瞬の感情に振り回されて考えが変わっていくと、自分自身が何を大切にしているのかわからなくなり、自分がわからなくなり、自分の向かう道が見えなくなってしまいます。

感じたこと、をまずは自分が理解する。そしてその上で起きていることについて考えることが大切です。

2019年はこんなことを具体的な方法論としてお伝えしていくこと、を1つの目標にしようと思っています。



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