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きんしかがやく~「紀元二千五百年」から「リパブリック讃歌」へ

テレビゲームが登場する前の、昭和の女児の外遊びにゴム段があった。地域によってはゴム飛びというかもしれない。公園の車止めの2本の円柱に衣類用の平ゴムを引っかけてその間に立ち、歌を歌いながら左右のゴムを足に引っかけたり、ひねったりしてステップを踏む。
姉やその友達たちがリズミカルに複雑なステップをこなすのを、年少で運動嫌いの自分はただ眺めているだけだったが、ゴム段遊びの歌は今も口ずさむことができる。

その中でも、「きんしかがやく」の歌は印象的だった。

きんしかがやく ニッポンの
あいこでアメリカ、ヨーロッパ
パッパッパのしんがっき にんにんにくやのおおどろぼう
ああ、ああ、せいしゅんのかねがなる、キンコン

メロディーは、アメリカの愛唱歌の「リパブリック讃歌」だ。むしろ、ヨドバシカメラのCMソング、といった方が通りがよいかもしれない。

一方で「きんしかがやく」のフレーズは、さっぱり意味が分からなかった。「金糸」もしくは「錦糸」が輝くとは? インターネットで検索できる時代になって、ようやく歌詞の意味を探り当てた。

 金鵄輝く日本の
 はえある光身にうけて
 いまこそ祝えこのあした
 紀元は二千六百年
 ああ一億の胸はなる

昭和15年に神武天皇の即位紀元を祝って作られた国民歌「紀元二千五百年」がゴム段遊びの元の歌だった。
そして「紀元二千五百年」と「リパブリック讃歌」は、出だしのメロディーがよく似ている。

戦前は「紀元二千五百年」で歌われていたのが、敗戦で禁止になり、メロディーの酷似した「リパブリック讃歌」に差し変わって、歌詞も改変され、ひっそり生きながらえたのか。ギブミーチョコレートのご時世に、進駐軍の歓心を得るために、むしろ意図的に改変されたのか。子どもたちのささやかな日常を保つために必要な改変だったのか。それは分からない。

自国の愛国歌がいとも容易く敵の愛国歌にすり変わってしまう。その臆面のなさというか、強かさというか、そこに我が国の本質の一端がうかがえるような気がする。

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