【えいごコラムBN(24)】「すてきなダム」
C・S・ルイスの「ナルニア国ものがたり」(The Chronicles of Narnia)は、ナルニアと呼ばれる異世界を舞台とした全7巻のファンタジーです。
イギリスの子どもたちがナルニアを訪れ、さまざまな冒険を繰り広げます。
一部の作品は映画にもなっています。
第1巻『ライオンと魔女』(The Lion, the Witch and the Wardrobe, 1950)では、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィの4人きょうだいが衣装箪笥を通ってナルニアに入り込みます。
ナルニアは「白い魔女」に支配され、100年の冬に閉ざされています。
雪の森でビーバー氏(Mr. Beaver)に出会った4人は、彼の案内で人目を避けつつ森を抜け、彼の家へと向かうことになります。
やがて彼らは凍りついた大きな川のほとりに出て、川の中にダムが作られているのを目にします。
そのとたん彼らは、ビーバーはダムを作るものだ、ということに思い至ります。
ふと見ると、ビーバー氏が妙に「つつましい」表情を浮かべています。
“common politeness” は「日常の礼儀作法」といった意味です。
またビーバー氏が口にする “Merely a trifle!” は、「ほんのつまらないものです」という謙遜の文句です。
緊迫した場面にさしはさまれるこのやりとりは何なのでしょう。
引用部に「ある人が作った庭を訪れたときその人が浮かべるような」表情をビーバー氏が浮かべていた、とあります。
庭作りはイギリスの重要な文化です。
私はケンブリッジで「テラスハウス」という、二階建ての家が何戸もくっついて並んでいる住宅に住んでいましたが、そんな家にも玄関前に花木を植えた小さなスペースがあり、裏にも板塀で囲まれた芝生の庭がありました。
大家さんから「放っておくと手がつけられなくなってしまうから芝刈りだけはきちんとしてくれ」と言われ、道具小屋から使い慣れない芝刈り機を持ちだして懸命に押したものです。
春が近づくと、何もしていないのに芝生のあちこちにクロッカスの芽が頭をもたげ、薄紫の花を咲かせました。
このように庭作りにこだわりを持つ人が多いイギリスでは、誰かの家を訪問したときも、いきなり上がり込んではいけません。
玄関前でいったん足をとめ、樹木や花を見回して “What a lovely garden!” (なんてすてきなお庭でしょう!)と言うのが大切なマナーです。
どうかすると玄関先に椅子が置いてあることがあります。
これは、そこに腰かけてゆっくり庭を眺めて下さい、ということなのです。
とつぜん異世界に転がり込み、白い魔女に狙われ、初めて会った口をきくビーバーに導かれて、雪の森を逃げるようにして進み、急斜面の下に凍りついた川を見渡すところに出る――このような状況にあっても、目の前のダムがビーバー氏の作ったものだと気づけば、イギリスの子どもたちはやはり “What a lovely dam!” (なんてすてきなダムでしょう!)と言うのです。
このことは、どんな状況に置かれてもけっして日常の生活習慣やマナーを放棄しない、というイギリス人の特質を示しています。
これはイギリス人が誇りとするセルフイメージであり、ファンタジーをはじめとするイギリスの児童文学作品の多くに描かれているものです。
たとえばアリスは、不思議の国でもあくまで身についた作法に従って行動しようとします。
ディズニーが映画化した『ライオンと魔女』を観たとき、この「なんてすてきなダムでしょう!」というスーザンのセリフがなかったので、私はがっかりしてしまいました。
「ナルニア」シリーズが伝えようとしているものは、こうした何気ない描写にこそあると思うのですが・・・。
(N. Hishida)
【引用文献】
Lewis, C. S. The Lion, the Witch and the Wardrobe. 1950. London: Collins, 2001.
(タイトルのBNはバックナンバーの略で、この記事は2013年4月に川村学園女子大学公式サイトに掲載された「えいごコラム」を再掲しています。)