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それが真実かは重要ではない

2011年3月11日に起こった東日本大震災。
わたしは山形県で被災した。

その当日はただただ気が動転していて、正直なにがなんだか理解が追いつかない状態だった。

その翌日の3月12日、
「これは現実なんだ」と受け入れなければならなかったあの日のことが忘れられない。

まるで現実的でないような悲惨な状況を知り、
心の中が今までに感じたことがない分厚い不安と悲しみに覆われて、本当にやりきれない気持ちになった。

それまでは、なにかを信じるというのは、
それが真実かどうかが重要なんだと思っていた。

でもそうではなかった。

信じることは、それが「わからない」から出来ることなのだと思った。

いつケータイや電気が使えるようになるのか、
余震がいつまで続くのか、
この不安がいつまで続くのか。

どうなってしまうかわからない不安と恐怖と憔悴感とやりきれなさの中で、わたしは信じていた。

それでもきっと明日や明後日や、その先に続く日々があるんだと。

それ以降の日々、わたしがしたのは、わたしに出来たことは、それだけだったと思う。

あんな風にただ「信じる」という気持ちが、
不確かな世の中を生きるために、とても大切なことなんじゃないかと改めて思った。

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