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「何かを好きでいる習慣」について

娘がポケモンにハマった。朝から晩まで、ずっとポケモンの話をしている。

最初はアニメだった。ひょんなことから見始めた2019年からのシリーズを最初から順番に見て行き、途中から最新作(スカーレット)に手を出し、螺旋階段状にどんどん知識をつけていっている。今ではパルデア地方(最新作の舞台)と東京西部が若干オーバーラップしているかのような言動をたまにしている。

特に「パルデア図鑑完成ガイド」というとんでもなく分厚い紙の本を手に入れてからの知識吸収のブーストは見ていて少し面白い。朝起きてから、朝ごはんを食べてから学校に行くまでの間、お風呂に入った後に髪を乾かしてもらってる間、夜ご飯までの待ち時間、ずーっとこの鈍器みたいな本に頭を突っ込むような勢いで読んでいる。

この間、池袋にあるポケモンセンターメガトウキョーなるショップに連れて行った。巣鴨プリズンの跡地というある意味由緒正しい土地柄の一角が、いまや世界におけるポケモンのメッカの一つとなっているのだが、メッカだけに入場までも、入場してからのレジ待ちも尋常でない長さの行列に並ぶ羽目となった。入場とレジ待ちの合計で1時間半くらい並んでいた気がするが、娘は一言も泣き言を言わずずっとポケモンの話をしていた。ポケモンの話をしながら、一番デカいホゲータのぬいぐるみをちゃっかり確保し、目についた欲しいものをポイポイとカゴに放り込んでいた。

アニメのストーリーから入らせてゲームの深みに嵌めていく「いわゆる典型的な手法」に見事にハマっている娘だが、ちゃんと宿題はやっているし、やや多忙になりかけているダンスの習い事の合間を縫ってのゲームなので、まあ、好きなだけやらせとけばいいのかなと僕は思っている。

これまでの経験上、何かを知りたくて本を真剣に読む(仮にそれが攻略本であれ)習慣がゆくゆくの娘にとって悪影響を及ぼすとは思えないし、色々なポケモンのわざやら見た目やらの色々な特徴を分類学的に識別していくのも、そのやり方をいい感じに継続と応用ができればペカッと明るい未来が待っているだろう。

なによりも、ずっとそのことを考えていられるほどに何かを好きになる経験は、まぎれもない財産になるだろうと思う。きっと来年には今ほどにはポケモンの話をしていないだろうが、きっと同じくらいの熱量で他のものを好きでいるのだと思う。

僕はいま自転車が好きなわけだけど、僕や僕の周りの(特に強度が高めの)自転車おじさんたちはほぼ例外なく、青春や青年期に多大な時間とお金を費やしてきた趣味や活動がある。それは「何かを好きでいる習慣」をずっと続けてきて、興味の赴くまま歩いているうちに気付いたらサドルの上にいた、みたいなことなんだろうなと。

「何かを好きでいる習慣」を持たない人生はきっと彩りの薄いものだろうなと思いつつ、それを選ばなかった僕からは見えない景色もあるのかもしれない。ただ、他の人はともかく、仮に対象がどんなものであれ、娘には好きなものに胸を高鳴らせ続ける人生を送ってほしいと思う。

より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。