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滋賀新党?

 国民民主党の前原誠司代表代行が離党して新党「教育無償化を実現する会」を立ち上げた。新党に集結するとされた前原誠司、嘉田由紀子、徳永久志、斎藤アレックス、鈴木敦5人のうち過半数の3人は滋賀県選出である。

 嘉田参院議員は知事だったときに日本未来の党を立ち上げて県政を混乱させたり、参院選挙では立憲民主党からも国民民主党からも社会民主党からも日本共産党からも幅広く票が欲しいために野党統一候補を要求して無所属で当選させてもらっておきながら今年国民民主党に入ったりと有権者を振り回してきた。

 徳永代議士と斎藤代議士はそれぞれ立憲民主党と国民民主党の比例近畿ブロックで当選したもので、選挙区で勝ち上がったものではない。とりわけ徳永代議士は立憲民主党県連代表として次期衆議院議員選挙の公認を田島一成元代議士から勝ち取っていたにもかかわらず立憲民主党を足蹴にして除籍されながら立憲民主党の議席を有権者に返上していない。

 滋賀県以外の鈴木代議士は比例南関東ブロックで国民民主党として当選したもので、選挙区の個人としてその議席にいるものではない。おそらく、個人票が強いのは前原代議士のみで、他の4人は他の政党や他の地域の票までを合算しなければ当選できない者ばかりである。

 それが立憲民主党も国民民主党も袖にしておそらく議席も有権者国民に返上せず、新党「教育無償化を実現する会」として結集するということはどういうことなのだろうか。しかも、新党の党名が明らかになったのは、日本維新の会の馬場伸幸代表の記者会見からである。

 すなわち、京都市長選挙での京都党、日本維新の会、国民民主党京都府連の連携は、この先、日本維新の会による京都侵攻の尖兵として国民民主党京都府連がこき使われるということなのだろう。

 国民民主党京都府連がまるごと日本維新の会京都府支部に移管されることになるかもしれない京都府の事情は京都府の事情であるが、滋賀県はまた違う事情を抱えている。

 連合方式発祥の地である滋賀県は民間労組も官公労も幅広く包摂した労働者のための組織を母体としてきたがために、民主党政権誕生時には県内すべての選挙区から自民党議員を排除し民主党一色にできるほどの力を持っていたのではなかったか。

 労組から叩き上げた川端達夫代議士が引退したら、政治家たちは立憲民主党と国民民主党に分かれてしまい、連合滋賀はそれでも双方を支えてきたのではなかったか。

 それを今年4月の統一地方選挙では自民党よりも敵視してきた日本維新の会と半年余りで手のひらを返してタッグを組んで、国会議員が自分たちの議席を守る票をバーターするために離党して新党を立ち上げ、その傘下に連合滋賀がひれ伏せというのは、労働団体に対する敬意のかけらも感じられないこれまでの恩義に後ろ足で砂をかける選挙互助会の行為ではないか。

 伝統ある連合滋賀はこうした政治屋の離合集散に翻弄され軽視される状況を座して見ているだけなのだろうか。特に滋賀3区はすでに日本維新の会から出路真吾候補予定者が公認されているのに、草津、守山、栗東、野洲、湖南、甲賀の労働組合は日本維新の会に投票するのだろうか。これこそ労働運動に対する冒涜だろう。

 このまま解散総選挙を迎えた場合、新党「教育無償化を実現する会」の比例近畿ブロック票だけでは徳永代議士も斎藤代議士も復活すら難しいだろう。つまり、両者の日本維新の会入りは織り込み済みの行動であろう。徳永代議士と斎藤代議士は2区と1区で日本維新の会と票をバーターするために3区の連帯は切り捨ててもよいと考えているのではないか。まさに連合滋賀に分断を持ち込もうとしているのである。

 連合滋賀の1区と2区は3区を見捨てるのか。否。ここで注目されるのは
区である。ついに田島一成の時代がやってきたのだ。

 苦節6年。参議院議員への挑戦を嘉田由紀子に取り上げられ、次の衆議院2区への公認を徳永久志に横取りされたが、ようやく滋賀2区の旧民主党系代表として返り咲くチャンスが到来したのである。

 滋賀2区では上野賢一郎代議士とのガチンコとなるが、連合滋賀が日本維新の会の軍門に下りたくないのであれば、ここで徳永代議士でなく田島元代議士のもとに再結集するしかないのではないか。2区において徳永代議士の個人票は少なく、労働者と連帯できる個人票を多く持っているのは田島元代議士なのだ。

 一方で、日本維新の会滋賀県支部としては、嘉田、徳永、斎藤3人衆と合流したら、維新としての使命はそこで終わりとなるだろう。なぜなら一気に維新から守旧に様変わりしてしまうからだ。悪夢の民主党からのお下がりをありがたく押し戴く日本維新の会はたちまち「日本守旧の会」となり、県議会では笑いものになるに違いない。

 田中角栄の日本列島改造論の原案作成に携わりながらも田中派の上田茂行代議士と癒着する野崎欣一郎知事を批判して革新統一候補として打ち破って知事の座に座った武村正義元代議士(いずれも故人)から始まる武村一極体制こそが滋賀県においては守旧であるにもかかわらず、もし、日本維新の会が武村一極体制の下部構造となってきた自民党県連への対立軸しか見えていないのであれば、「日本守旧の会」に成り下がってしまうだろう。

 日本維新の会滋賀県本部が武村一極体制(とその下部構造としての自民党滋賀県連)と厳しく対峙し、新しい風を吹き込んで県政界を一新するというのでなければ、存在意義はないに等しいものとなるといえる。

 こうした軸の定まらない票乞食のような惑星運動を旧民主党系の古びた政治屋たちが繰り返すうちに、胸をなでおろしているのは上野賢一郎、武村展英の自民党両代議士である。2区も3区も連合系は股裂きになり、日本維新の会の足腰はまだまだフワフワとした風のようなものであり、自民党としては悠々と王道を進めばよいだけになるからだ。

 ひとりやきもきしているのは1区の大岡敏孝代議士かもしれない。日本維新の会と斎藤アレックス代議士が合体すればどのような化学反応が起きるかわからないからだ。しかし、そのときは連合滋賀の命日となりかねない日でもある。3区の傘下単組を見捨てることになるからだ。

 前原代議士は今朝早く嘉田参院議員、徳永、斎藤、鈴木代議士の5人で芳野友子連合会長を訪ねて新党結成を報告した際、芳野会長は「驚いた」と言ったという。当たり前だろう。働く者の立場で変わらず政策を訴えると言うが、日本維新の会との連携について聞かれて言葉を濁していたことからも連携が前提であることは明白なのに維新の票も欲しいし連合の票も欲しいという二股をかけて、どうやって働く者の立場で政策を訴えられるのだろうか。

 前原代議士は「政治家はなり続けることが目的ではない」と記者会見で語ったが、党の票で当選させてもらった政治家ばかりを他党から引き抜いて寄せ集めるということは、まさに議員になり続けるためだけの互助組織のそしりを免れないだろう。

 そうでなければ政党交付金の基準となる11月中の新党結成の最後の最後の日の朝に国民民主党の離党届も受理されていないのに政党設立届を出して、二重党籍の疑いまで持たれながら慌てて記者会見などしないものだ。既成事実が欲しいだけだったのだろう。票を得るためにはお金も必要で、そこには国民の論理など微塵もない。

 しかも、「滋賀の3人も地方議員と相談しているはず」と前原代議士は記者会見で答えているが、本当に滋賀県内の県議、市議、町議は相談されているのだろうか。ただでさえ国民民主と立憲民主に股割きされた上で、過去には共産と連携しろと言われ、今度は維新と一緒になれと言われる。国会議員の延命措置のために使い捨てられようとする旧民主党系の地方議員は吹けば飛ぶような悲しい存在だ。

 NHKの報道では、《立憲民主党滋賀県連の今江政彦代表は、「新党が『日本維新の会』と連携していくのであれば、県連としては徳永氏と距離を置くことになる。各方面の動きを注視したい」》とされている。唐突感が伝わってくるコメントであるが、すでに除籍されている徳永代議士に気を遣って距離感を考えてきた立憲民主党の地方議員のことを徳永代議士の行動はこれっぽっちも考えていない。

 一方、同じNHKの報道で《国民民主党滋賀県連の河井昭成幹事長は、「きのう、県連の幹事会にオンラインで出席した斎藤氏から離党の報告を受けた。これまで国、県、市の議員で連携できる体制だったが、それがなくなるのは残念だ」》としている。河井幹事長はその後、20時30分に「(幹事長なので)報道の皆さんからはさまざまに問われますので、お答えしていますが、こちらではコメントのタイミングを逸してしまった・・ ですが、引き続き国民民主党で頑張ります」とXのポストもしている。オンラインで報告?と思ってしまうが、斎藤代議士はその前日には瀬田北学区の文化祭で奥村功大津市議会議員と一緒に写真に納まっていた。支えてもらってきた仲間にもギリギリまで打ち明けていなかったのだろうか。

 武村正義の亡霊はいつまでも滋賀県の政界を呪縛し続ける。それは学生時代に民青活動で謹慎処分を受け、田中角栄のもとで勉強し、革新統一候補として田中派の代議士と知事を葬り去って知事の座を得たうえで自民党に裏口から戻り、自民党を裏切って新党さきがけを立ち上げ、細川連立政権では自民党に接近し、自社さ政権に入閣、排除の論理で民主党に合流できず、落選後に民主党入りして民主党政権では隠然たる影響を与え、國松善次、嘉田由紀子、三日月大造と歴代滋賀県政に力を保ち続けてきたその延長線上なのだ。

 いったい滋賀県はどこへ行くのだろうか。

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