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読書感想文『ヒストリエ11巻』を読んで

※ネタバレあり

私は小説も漫画もほとんど歴史ものばっかり読んでますが、中でもヒストリエはとんでもない作品です。


舞台は古代ギリシア、複雑な生い立ちの主人公「エウメネス」は、並外れた知略と弁舌、時には剣の腕を便りにギリシア各地を渡り歩きます。そして幼い頃の「アレクサンドロス王子」やその父親「フィリッポス」に仕えながら動乱のギリシア世界を生き抜く、というのがこの物語の大筋です。と、今だからここまであらすじが書けますが、3巻ぐらいまでは謎だらけで時系列すらよく分かりません。

でも、面白い。

「何にも分からんのに何でこんなおもろいんや」と自分でも不思議なままどんどん読み進みました。岩明先生、すごい。

さて、11巻のテーマは「心の在り処」。冒頭でいきなり胡散臭い新聞記者が出てきます。誰だこいつら。町行く人に「心は頭(脳)と胸(心臓)、どこにあるか」というアンケートを取っています。これに対しエウメネスは「頭」、アレクサンドロスは「胸」。どうやら理知的でドライな人は「頭」、素直で直情的な人は「胸」と言うみたいです。そしてこの巻で新たに登場する「パウサニアス」。顔に大きな傷のある不気味な男は「脳だな」とだけ答え去ってゆきます。このパウサニアスが11巻の重要人物になるのです。

パウサニアスは「心が無い」と言われるほど無感動な男。家を追い出されても、身内を亡くしても、人を殺めた時ですら・・・。こういう人間は害意に満ちた悪人よりもよっぽど怖いかも知れません。

しかしそんな彼が唯一心を揺さぶられたのが狩りで出会ったライオンの顔。ここは11巻でも最も重要なシーンです。決して恐怖したのではありません。彼は自ら槍を構えてライオンに向かっていったのです。一方ライオンはパウサニアスに襲いかかりながらも、猛獣らしからぬ深い悲しみと怒りを湛えた顔で彼を見つめます。

野生のライオンは言わば「心」のみで生きるパウサニアスと対極の存在です。しかし突如現れた人間に群れを蹂躙されたライオンは、マケドニアに祖国を滅ぼされたパウサニアスと似た境遇にあるのではないでしょうか。もっともここでは彼が滅ぼす側に回るのが皮肉なところです。

ライオンはパウサニアスが本来感じるべき激情を生々しく見せつけながら彼に爪を突き立てます。切り裂かれたのは奇しくも彼の無表情な「顔」でした。

ここでパウサニアスはライオンの激しい感情に触れ、心を呼び覚ます兆しを見せました。これから彼が更に強い激情に出会った時、彼の心は一気に動き出すのではないでしょうか。そしてその相手とは「心は心臓」と答えたアレクサンドロスかも知れません。

最初の数巻では「何でこんなにおもろいんや」と不思議でしたが、改めて考えてみるとヒストリエの魅力は人物描写が細かい、というか「無駄が多い」ことにあると思います。もちろんこれは褒めています。例えば新聞記者とのシーンで「今 「ちっ」って言いました?」「言ってないよ」「なんかかなりはっきり聞こえたけど・・・」というやりとりがあります。ストーリーには全く要らない台詞でしょう。でも、実際の人間ってこうじゃないですか。こういう無駄なことを言ったりやったりするのが人間らしさですよ。ヒストリエのキャラクターはとても人間らしいんです。

他にもエウリュディケが自分が暗殺されかけていたことを知った時の「でも負けないよ?これぐらいで私は」という言葉と、それを受けたエウメネスの表情。深く落胆する訳ではなく、「えっ・・・」というあの顔です。きっとエウリュディケに「王宮は怖い、抜け出したい」と言ってほしかったに違いありません。期待外れの反応に「えっ・・・」としか言えないのです。ああいう時って人間本当に言葉も何も出ませんよ。しかもエウリュディケの台詞もちょっと変です。普通なら「でもこれぐらいで私は負けないよ?」でいいんです。しかし語順がごちゃごちゃになっているところに、彼女の奔放なキャラクターと収まりきらない内心の動揺が滲み出ているように思えます。こうした細やかな言葉や仕種が随所で描かれているから、キャラクターがよりリアルな生きた人間になっているのです。

人間の心の在り処と、心のない人間が主題となった11巻。物語に一層重厚感が増した巻となりました。続きが出るのはまたしばらく先になるでしょうが、まぁ気長に待ちましょう。

ちなみに私は心は「心臓」派です。

岩明均『ヒストリエ 11巻』Kindle版 講談社 2019年

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