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本物を知らない

葡萄ジュースをもらった。

そのお店で無農薬・最低限の肥料で育てた100%果汁の、砂糖等を加えていない純粋な葡萄ジュース。

味覚がバカになっていてなんでも美味しく食べちゃう僕が感想を述べるのもおこがましいが、率直に言って、葡萄ジュースじゃないみたい、と思った。

それくらい、僕の知っているソレと味が違った。

ゴクゴク飲むようなものじゃないわってくらい味が濃くて、一つの食べ物というか、スープみたいな感じ。
とてもおいしいんだけど、葡萄ジュースの中で一番おいしい、ではなくて、これはこれですごくおいしい、という感じ。

僕たち一般的な消費者はお店で食料を買って食べる。そこで目の前の食べ物がどれくらい安全なのかなんて、全くわからない。
それどころか、何が正しいのかすらわからない。
農薬や化学肥料は危険そうでわかりやすいけど、実は有機農業もちょっと怪しい。動物や、植物の多くが、すでに汚染されているという現実があって、その植物や動物の糞を使って、有機農業は行われている。
かといって何も加えないと痩せた栄養価の低い野菜になってしまう。食べたことないけどこれも不味そうだ。
マイクロプラスチックは様々なモノに入り込み、もう口に入らないようにするのはムリなんじゃないの?という話もある。
根本的にいくら正しく育てたとしても、遺伝子組み換えだのは、なんだか人工的。自然のモノが食べたい。でも、そもそも自然のモノって何?

ややこしいのは、そこそこ危険な食べ物でも、そこそこ美味しいのだ。

どこのなにを食べるのが安全なのだろう。あまりに分からなさすぎるから、考えるのをやめたくなる。ので、今まで考えなかった。

けど、今回こうやって葡萄ジュースをいただく機会があって、飲んでみたらその味が違い過ぎたこともあり、そうなるとやっぱりイロイロと考えたくなる。


最近聞いてすごく腑に落ちた話。

「野菜は野草から人間が作ったもの。

だから野生の中では生きられない。
人間が守りながら育てないといけない。
守られないと、野菜は種を存続させることができない。」

つまり、もともと野菜は自然の法則を使って人間が手を加えて作られてきたという歴史があって、改良すること自体を否定するのはおかしい。今問題なのは、そのやり方が自然を無視したあきらかに危険な方法だから。

そして忘れてはいけないのは、人間が野菜を作る一番の目的って何?ということだ。
本来野菜を作る目的は、土からの栄養を人間が摂取するため。
でしょ?
野菜を作るためじゃない。
農薬や化学肥料を使って、形が良くて栄養価の低い野菜を無理やり作ることが目的じゃない。
あくまでも栄養を地球からいただくためだ。
であれば、やっぱり今の食べ物っておかしい。

自然の中で育てるというのは、栄養を一番たくわえてくれる形になった植物を、自然の力を使って育てるということ。
自然の力を使って、野菜という作物を守りながら創る。

ということが、わかった。少し、スッキリした。

杞憂に終わってくれれば良いけど、懸念するのは、今の地球の環境を考えると、もう僕たちの世代は本当に安全な作物を食べることはできないんだろうな、ということ。

それでも、自然の力を利用する本来の農業は、地球に負荷をかけないということはハッキリしている。

どんなものか知らないが、安全な作物が、次の世代か、そのまた次の世代が、当たり前のように食べられる時が来るなら、本来の農業をやるというのは、意味があると思う。

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