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将来の年金の有る無い議論はいつも主語が曖昧

10年前と比べて、さすがに将来の年金があると本気で思っている人は減ってきている感じがするが、ハッキリ「無い」と言っているメディアはまだ無い。

むしろ、お前らちょっと不安がり過ぎwwという雰囲気を醸し出している。
なんだかんだで年金は大丈夫だよ、制度がしっかりしているからね!という意見が大半だ。未だに、大半だ。

そもそも、僕らは、年金になにを望んでいるのでしょう?
働けなくなったときの主要な生活費じゃないですか?
つまり僕らがあるか無いかを知りたいのは、最低限の暮らしていけるだけの「額」があるのかどうかだ。
でも、政府が言っているのは、年金という「制度」は今後もありますよ、っていうことだ。
保険料を上げて、支給年齢や支給額をイジれば、いくらでも維持可能だ。

保険料を月5万くらいにして、支給開始年齢を85歳にして、給付年額を20万円にすれば良い。
彼らは何も嘘を言っていない。

この主語の部分がボカされているから、受け取った個人がそれぞれ都合よく解釈できちゃう。
「年金?大丈夫。ありますよ」
便利な言葉だ。

まあ誰しも怒られるのはイヤだ。多分政府としては、確定拠出年金を全ての人に解放したのが精一杯のメッセージだったんだと思う。
もう伝えたぞと思っていたのに金融庁が2000万円発言した時の国民の声がすごかったから、ビックリしただろうね。

もう、ハッキリ言いませんか。
ハッキリ言って、さあどうしようと話を進めませんか。僕は、そうしたい。

なによりも怒りを感じるのは、曖昧にして先送りする一番の理由が、最も被害を受けるのは、まだ生まれてもいない子供たちだからと考えているところだ。

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