失敗に関する展望

 何度も失敗したことについて考えることは、意味があるだろうか。理解していることでも、失敗を期に、改めて考え直すことは確かにある。しかし、ほとんどの場合、同じ結論にしかならない。それはたぶん、ほとんど解答がわかっているものだからだ。すでに発見したことは、何度考えても、同じような結論に至ってしまう。

 逆に同じようなパターンで、失敗を防げなかった経緯こそ問題だ。そのことを考えることが最も建設的だろう。そういう意味では、原因はけっこう簡単にわかってしまう。そして、その答えに対して、なるほどと納得してしまうことで終わることが、目的であってはいけない。辿り着くべき答えは、それに対して、どう取り組むことが最も正しいことなのかを導き出すことだ。知らないで止まってしまっては、その経験をした意味がない。対策を考え、再び同じ過ちを起こさないための対策が必要となる。観測することが目的でいいことは、実は余り少ない。

「また道間違えたの?」
「ごめん、さっきのところを右に曲がるべきだった」
「いつも通りだけど、何回も失敗している様子を見ると、どうしようもない感じ?いい加減治した方がいいんじゃない?」

 手厳しいことを言われるが、言ってる方が正しいため、反論はできない。車の運転で少し遠出をすることになったが、よくしてしまう失敗として、道を間違えてしまった。今年に入ってからは、2度目くらいだろうか。車の運転は、それなりにできるが、困ったことに道をあまり覚えていない。そのため、過去に一度行ったことばある場所でも、カーナビ頼みになってしまうことが多い。

「カーナビさんも大変だよね。困った人が主人で」
「まったくだ」
「自分で言わないでよ。格好悪い」
「反省してる」
「反省はいいから、ちゃんと運転してよ。いくらあたしでも、車の中でカーとなっちゃうよ」

 ダジャレを言うくらいだから、機嫌はそこそこいいらしい。情けないことに、そのことに安堵しながら、カーナビが示す道順に従い、運転を続ける。機械仕掛けに従うことになんとなく違和感を覚えるが、道に詳しくない以上、従う以外に情けないドライバに道はない。前方にはきちんと道があるが、進むべき道がわからない。

「早く自動運転ができないかな」
「機械に頼るの?そんなことでいいの?」
「人の運転は効率がよくないんだよ。道を間違える可能性があるし、事故のリスクもある」
「自動運転だと、事故が失くなるの?」
「可能性はある。遠くない未来にそうなると思う」
「へぇ、そうなんだ。でも、今はしっかり運転してよ」
「はい」と、ハンドルを握る手に力を入れる。

 同じような失敗しないような仕組みを考えるが、集中力が無限に存在する人に頼むか、機械仕掛けにするか、この二つの選択肢が正しいことだと思い浮かぶ。僕は、機械仕掛けにコントールされた未来について、それほど悪くないと予想する。だからこそ、同じ過ちを繰り返さないという対策についての基本的な考えすら、将来的に大きく変わるのではないかと、些細な日常の一幕で感じているのだ。

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恋話な物語

書いてて恥ずかしい・・・。でも、辞められない!
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