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僕は「語源の創造」に挑戦してみようと思う。

何かを始めるということが、非常の勇気のいる決断で、人生を大きく変えるきっかけになるとすれば、何かを辞めるということもまた、時に同じぐらい勇気のいる決断で、重要な決断なんだと思ってる。

僕にとって「辞める」という決断は実に12年ぶりになる。

前回の決断は18歳の時、通っていた高専を辞める、というものだった。当時の僕は自分がどういう人間かも全くわかっておらず、何を大切に生きるべきなのかの価値観も存在していなかった。正直に言うとその時は「辞める」という選択肢すら脳裏に浮かんでいなかった。当時の担任の先生から「辞めて大学に行ったらええやんか」と言われてから僕の人生は大きく変わった。

あれから、色々なことを経験し、沢山の大切な出会いがあり、大きく成長させてもらい、どうすれば毎日楽しく生きていけるのか、少し自信を持てるようになった。

そして今回、大学卒業後、新卒から7年10ヶ月勤めた日鉄興和不動産という会社を辞めることにした。


思い返せば僕の夢は、サラリーマンになることだった。

これには少し理由がある。僕の親父はプロのオーケストラ奏者で、たいていいつも自宅にいた。オーケストラというのは、大体が金土日の内2日か3日が本番で、公演時間はきっちり決まっているので当然残業なんてないし、公演に備えた全体練習も本番前の2〜3日、1日あたり数時間で終わる。僕が学校に行く時に親父はまだ家にいて、帰ったときにも家にいる生活だった。友達の親父はみんな、ネクタイを締めて汗だくで夜遅くまで残業をして帰ってきているのを見て、当時は「うちの親父は全然働いてなくて格好悪いな」と思っていた。今なら如何にそれがすごいことかわかるんだけど。

だから、「サラリーマンになって、いっぱい働く格好良い大人になるぞ」というのは、物心ついた頃からずっと思っていた。

実際、サラリーマンになって、それなりに沢山働いたと思う。褒められることかどうかは分からないけど、残業も何年も続けて社内トップクラスにやっていた。
途中からは、ただがむしゃらにやるだけでなく「組織が何を欲しているか」を少し考えて動くようになって、やらせてもらえる内容や自由度が大きく増えた。迷惑をかけて怒られるようなこともあったけど、それでも何とかクビにならずにやれていたのは、それなりにバリューも出せていたからだと思う。


(盛りに盛った)僕の足跡を少しだけ貼っておく。

『一貫して、住宅領域における顧客体験の創出・向上に取り組む。担当した不動産開発PJ数は20PJ・2,000戸超。コスメブランドやアパレルブランドとの協業など業界を超えた取り組み経験も豊富。加えて、マンション向けMaaSサービスや、新築マンションのオンラインストア「sumune」など、ITを活用した複数の新規サービス開発を主担当として構想段階から推進。「sumune」では、従来不動産には馴染まないとも言われてきたオンライン販売の仕組みをつくり、初期在庫はローンチ後数ヶ月で完売。経営企画部に異動後はCVCを担当し、不動産業界では後発の参入ながら1年間で4社への投資実行を1人で担当し軌道に乗せ、CVC及びDXの推進を担う新設部署を立ち上げ。広報担当としても多数の記者会見やプレスリリースのマネジメントを通してメディア露出数・広告費換算額での社内レコードを複数回達成した。』

尖ったガキにこれだけやらせてくれた、本当にいい会社だった。言葉で言い表せないほど感謝しているし、寂しい気持ちも大きい。


じゃあ、何故辞めるのか。理由は2つ。

1つは、組織と自分のスピード感がフィットできないことが段々と増えてきたから。正直、会社に不満があって辞める訳ではない。むしろやりたいこともまだまだ沢山あった。でも、会社が選択する時間軸や進め方と、自分のエネルギー放出量が段々と合わなくなってきた。「組織が何を欲しているか」もよく考えるようにしていたからこそ、「じゃあ自分の好きなようにやらせてもらう」ということはただの我儘になるので、潔く辞めて別のやり方を探すことにした。

もう1つは、大変有り難いことに応援してくれる人達が沢山いて、その人達にもっと応えたいなと思ったから。誰かに応援してもらえるということは、とてつもないパワーになり、一人では決して成し遂げることのできない結果を生むことにも繋がる。幸いなことに「和田くんは独立してやった方がよいよ」「どうなっても応援するよ」とか、「一緒にやろうよ」「うちの会社においでよ」と言ってもらえることが、ここ数年段々と増えてきていた。1つ目のスピード感の話とも絡みながら、そういう期待に今100%応えられている状態や環境かと問われると必ずしもそうじゃないなと思い、新しい道を歩むタイミングなのかなと考えることにした。

ただ、会社の中で「一緒にやろうよ」と言ってもらっていた人達には、申し訳無いな、という気持ちも大きい。勿論立場が変わっても、僕は会社のためにできることはこれからも続けていきたいと思っている。


さて、これからのお話。

GOGENという会社をつくった。今日からこの会社で「語源の創造」に挑戦してみようと思う。

GOGEN株式会社 公式HP

どうせやるなら、それまで世の中に存在しなかった、あたらしい概念を作るということに取り組みたい。それができた時、きっとその概念を生み出したサービスや商品は、その概念の「語源」となる。
はじめて出会い、ずっと忘れられることのない、あたらしい体験と価値に、自分たちがつくったサービス名や商品名が冠される。それはきっと、この上なく幸せなことだと思う。

だからGOGENの社名の由来であり、VISIONは『語源になる』ことだ。


当然といえば当然かもしれないが、慣れ親しんだ不動産業界をまずはターゲットにしている。僕のテーマは、不動産の流動性を上げること。もう少しわかりやすく言えば「もっと不動産を気軽に売ったり買ったりできる世界」をつくるために、サービスや商品をつくる。

ずっと、一不動産会社の立場でそれにトライしてきたけど、その立場だからこそできることと、そうでないことがあって。これからはそうでないことの方に取り組んでいく。既に準備を進めているサービスもあれば、ほんの数日前に湧いたまだ実るかわからない面白いアイデアもある。そう遠くない日に、形を明らかにできるものも出てくると思う。期待して待っていてもらえると嬉しい。


もう一つ大事なMISSIONがある。GOGENには共同創業の相方がいて、この相方がいなかったら僕は会社を辞めることもGOGENをつくることもなかったと思う。相方は僕にないものを沢山持っていて、心から尊敬できる存在だけど、僕が自分の全てを注ぎ込むことで、相方が一人では決して見ることの出来なかった世界に連れて行ってあげたいなと思う。「一緒に行く」ではなく「連れて行く」ことが僕なりの覚悟の表現だ。


GOGENの仲間も募集したいと思う。職種やコミット度合いは問わない。フルコミットは勿論、副業でもインターンでも結構。サラリーマン時代の僕の様に、エネルギーの放出先を探しているなら、とりあえず手伝いに来るでもよい。当然、お返しすべきものは確りとお返しする。別にやることは不動産じゃなくても良い。少なくとも当面の間は個人が尊重される楽しい環境を用意できるので、少しでも興味があればぜひ連絡して欲しい。

既に、GOGENには面白いメンバーが集い始めている。外資コンサルファームを渡り歩いてきたバイオリニストや、誤差±5ヤード以内でゴルフのショットが打てるスーパー営業マンや、あたらしい体験を創造できる著名なデザイナーのジョインが決まっている。加えて、オフィスには上場起業役員や大手企業の次期社長候補、20代でもバリバリ活躍してる会社員など、色んな人が遊びに来てくれる。


僕たちと一緒に、語源をつくりませんか?

まだそんな偉そうなことを言える実績はないけれど、少なくともGOGENに少しでも関わってくれれば、決して後悔をさせない自信はある。とりあえずみんな、オフィスに遊びにきて。



結びに、いつも言っていることだけど、僕は5年先や10年先を見据えて動ける人間じゃない。でも、目の前のことに全力で向き合って、出会いを大切に進んでいけば、きっと今の自分では想像も出来なかった素晴らしい5年後、10年後に行き着けると思ってやっている。実際にこの10年を振り返ってみても確かにそう言えるから、これからもそうやって生きていく。


まさか自分がサラリーマンを辞めるなんて、半年前には微塵も思っていなかった。

次「辞める日」はいつになるのだろうか。その時もまた最高の「辞める」にたどり着けるように、今日からまた心機一転、最高の人生の続きにチャレンジしていこうと思う。


いつも本当にありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いします。


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