見出し画像

貰った花が枯れたら捨てます。ドライフラワーは作りません。

貰った花が枯れたら捨てます。
ドライフラワーは作りません。
一瞬一瞬を大切に生きてください。

だいぶ昔にこんな文章を読んだ。
なんかステキな言葉だなと思った。

きれいな花はいつかは枯れる。いつまでも形として残しておきたい。
でも、ドライフラワーにしちゃいけない。
そんなものに作り変えたら、その花をあげた人の思いが歪んでしまう。
あんな物悲しいカサカサの姿にしたらダメだ。

どんな花でも枯れたら捨てなくちゃ。
花をくれた人の気持ちと、
枯れた花を捨てるときの名残惜しさ、
そして、きれいに咲き誇っていた頃の思い出。
それが全てだ。

花をプレゼントするというのは、大昔から受け継がれた繊細でエモーショナリーな行為なんだ。

ただ悲しいかな。花をプレゼントするという行為をこう言い捨てる者がいるだろう。「花なんかもらっても迷惑じゃない? なんかキモいし! 焼肉とかバックとかのほうがよくね!?」

こんなこと言う、くるくるパーがボクの目の前にいたら、タバコの煙をそいつの顔に吹きかけつつ、こう言い返すだろう。

おまえはマジ黙ってろ!帰れ!このバカ!

こんなことを普段から言ってるような感性の持ち主は、そもそも花なんかもらう相手も状況も生涯ねぇだろ!そして花をあげるくらいの感性を持ってる人なら、あげる値打ちのない人くらい判別つく! 万が一、こんなことを言ってるような人がもらうケースがあるとしたら、なんかのフィクション作品に影響された勘違いくんが一方的に押し付けるケースだけだ!

なので、花なんかもらっても迷惑だと思ってる人は杞憂です。そんなこと考えてる暇があるなら、自分の物欲に対する執着心を心配しなさい。そして嘆きなさい。

話はそれたけど、ボクはこの「貰った花が〜」の言葉を知った場所を覚えている。と思う。
「サスライノコトバタチ」というサイトだ。
http://sasurai.main.jp/blog/

URLをクリックすればわかるが。そう、もうこのサイト自体はなくなっている。このサイトは小説や映画、様々な作品のいい感じの言葉を紹介してくれてた。まだSNSがはやってなかった頃だから、博識な管理人さんがいろいろ見たり読んだりで集めていたのだろう。

ボクはこのサイトを知って言葉の持つ綺麗さや面白さを学んだ。少し世界が開けたような気がした。

しかし、もうこのウェブサイトを見るすべはない。なので、最初に書いた言葉の詳細も初出もわからない。上に「覚えている。と思う。」と書いたように、そもそもここ書いてあったことすら、うっすらした記憶なので確証はない。もしかしたら別のサイトで見たのかもしれない。だけど言葉をグーグルで検索しても出てこないし、手がかりゼロ。打つ手なしだ。もっと言うと全部勘違いで、自分が考えた言葉だったのかも。だとしたらかなり恥ずかしい。だがこんな言葉を思いつくほど、ボクの感性は磨かれてないからまず無いだろう。なんにせよ、こうもふわふわした記憶はやっぱし心細い。

うーんでも、まぁこのままでいいんだ。
この記憶は花と同じ。もう枯れてこの世に存在せず、記憶の中で咲いているのだ。経緯はどうであれボクの頭の中に残ったこの言葉は今も息づいている。それでいい。これからたくさん忘れたりあやふやになってくことが増えていく。
そんな不確かなものとかとよろしくやっていくのも大事だよね。

全ての枯れゆくモノに幸あれ。


だけど、もしこの言葉の初出を知っている人がいたら、どうか教えてください…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?