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プリンセスに居場所は必要ない。ヒーローじゃない男に居場所の自由はない。 シュガーラッシュオンラインを観て、とにかく俺は悲しくなった

人生は「居場所探し」だと思う。
仕事でも家庭でもなんでもいい。たった一人でも構わない。
異性同性も問わない。でも人間じゃなきゃダメなんだ。
自分という存在を肯定し、
必要としてくれる存在があるだけで生きていける。

そしてディズニー最新作シュガー・ラッシュオンラインは「ヒーローじゃない男の居場所は限られている」と無自覚に描いている作品だった。
それを観てボクは、ただただ悲しくなったのだ。

前作に当たる1作目「シュガー・ラッシュ」を観た時の感動は今でも忘れられない。もともとピクサーの秀逸なストーリー作りに、強く感銘していたオレ。そのピクサーが自分の世代(昭和62年生まれ)にバッチしたゲームキャラを登場させる映画を作る!
観る前から面白いとは思っていたが、そのストーリーがもう当時のオレの心の中心に突き刺さった。

主役の「ラルフ」は架空のアーケードゲーム「フィックス・イット・フェリックス」で悪役を務める粗暴な大男というゲームキャラ。
仕事としてゲームの稼働以来30年、主人公に倒される日々を送っているが、同僚たちに邪険にされる日々に嫌気が差し不満を感じていた。
かくしてラルフは「悪役」ではなく「ヒーロー(主人公)」になって、周りを見返すために自身のゲームから旅立つ。

ボクはラルフにシンパシーを感じてた。彼には居場所がないんだ。
ボクが映画館で観たのは2013年。ちょうどその頃転職したばかりだった。
仕事の同僚とも反りが合わず、環境も順調とはいえなかった。
だからラルフの辛さが自分には他人事じゃなかった。

そんなラルフを変えたのはヒロイン「ヴァネロペ」と、敵「ターボ」との出会い。
ヴァネロペはバグがあることでラルフと同じく邪険にされているキャラクターだが、ラルフと違って自分の「役割」を受け入れている。
受け入れているからこそ周囲に馴染めなくてもレースゲームのキャラとして誇りを持ち続けていられた。
一方の「ターボ」はレトロゲームの主人公だったが人気に陰りが出たことで、「シュガー・ラッシュ」の世界を乗取った。時代に取り残されたゲームという自分の役割を受け入れなかった故の行動だ。

ラルフ、ヴァネロペ、ターボに共通しているのは、自分の「役割」とどう向き合ったかだ。物語のラスト。悪役という自分の役割の受け入れたラルフは、
シュガー・ラッシュの世界を乗取ったターボを倒し、シュガー・ラッシュの世界を救った。ヴァネロペという友人を得た。
「俺は悪役。それでいい。ヒーローになれないのは悪いことじゃない。」
「あの子が俺に好きで居てくれるなら悪役も悪くない。」

ラルフは自身の悪役という仕事に誇りを見いだせた。
彼は自分の居場所を見つけることができたのだ!

どんな境遇でも、大事な人が一人見つけれれば、その人と心を通わせられるならば、自分を受け入れられるし頑張れる。ヒーローになる必要なんかない。そんな作品からのメッセージが本当に嬉しかった。

ではその続編はどうだったか?
(こっから下はシュガー・ラッシュオンラインのネタバレありですよ。)
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この作品を要約しよう。
自身の仕事に誇りをつことで悪役を続けながら毎日ヴァネロペと毎日楽しく暮らすラルフ。一方のヴァネロペは、自分のプリティなゲーム世界を捨てて、最先端のオンライン暴力ゲームの世界に行くことを決意。そんなダークな世界に憧れるヴァネロペを最初は止めようとするラルフだが、すったもんだあって最後は彼女の意思を受け入れて見送る。

書いてみると本当にひどい。

まずラルフがあんまりにも惨めだ。
作中ラルフはヴァネロペにべったり。彼女のご機嫌伺うことに始終して情けないのだ。今作のラルフの目的はヴァネロペとの今の関係を保守すること。
1作目で描かれた葛藤を乗り越え悩みから開放された結果、彼は「成長が止まった幼稚なおっさん」になってしまってた。

ヴァネロペに至っては、マリオカートからグランド・セフト・オートへのFA宣言。ラルフと対象的に「成長して不良文化に憧れだす小娘」に変貌を遂げた。100歩譲って夢を求めて遠くへ行くのは認めるにしても、どうしてスラム街に行きたいって言うかね。

結局、二人の関係はそこまでの仲だった。
「プリンセス」と「ヒーローじゃない男」は、住む世界も立場もかけ離れて、それ埋めることはできなかった。
1作目のテーマが「役割を受け入れる」だとしたら、2作目は「役割は受け入れざるをえない」だった。
役割を強いられているヒーローではない男、ラルフはヴァネロペから取り残された。彼はもう新しいことを初めるほど若くない。死ぬまで自分のテリトリー外で生きられないだろう。
でもヴァネロペはプリンセス。徹底的にかわいい。誰からも愛される。どこでも生きていける。ヴァネロペは自分の持てる才能を活かし好きなことに向かって羽ばたいた。ラルフが救った「シュガー・ラッシュ」の世界にもう未練はないようだ。

これはもう前作の全否定だ。1では自分の報われない役割から抜け出すことは悪と描き、その続編では自分の役割から抜け出し挑戦することは善、むしろそれを邪魔立てするのは悪と描く。両者の共通項は、大人の男は悪で、幼い少女は善というだけでしかつじつまが合わない。

作品のことをもっと言うと、目的と本筋が噛み合っていないんだ。
本作ではインターネットの世界へ冒険に出るが、「Wikipedia」「eBay」「youtube」とあっちこっちに移動ばかり。おそらくPRとして結構な額お金をもらっているんだろう。本作の一番の見所は歴代のディズニープリンセスの登場になっているのもまずい。1作目ものラスト、ヴァネロペが落下するラルフを助けるシーンがあるが、2作目で同じく落下するラルフを助けるのはディズニープリンセス達だ。しつこくCM出てたからちょっとしたファンサービスかと思ったが、なんとラストにがっつり関わってくる。
ラルフとヴァネロペの繋がりより、PRとマーケティングを優先したとしか思えなかった。

エンドロールは最後まで観た。なにか期待しているボクがいた。「ラルフとヴァネロペがこんな形で終わるわけない。きっとなにかあるはず…」
結果なんのサプライズもなかった。寒い寸劇がちょっとあったかも。
途中で立てばよかった。本当に。

映画を見た帰り道のボクの足取りは重かった。
ただただ、本当に悲しかった。

ボクも、いやボクだけじゃなく、多くの男はラルフと同じなんだ。ヒーローじゃない。
運命を克服して人生を切り開く力がないことは、とっくにわかってる。
そして生きるため、選ばれるため、認められるため仕事を続けてる。
好む好まざるに関わらず、社会が求められる役割を演じる。身の程を知って受け入れる。足に鎖が繋がっているような環境、そんな自分の場所で踏ん張って暮らしてる。
それでも、それでも誰か大事と思える人に出会いたいし、そんな人に必要とされたいと思ってる。餌を求める雛みたいに天に向かって泣きながら愛を訴える哀れな生き物。その名は男。愛飢男。

そんな願いも持って生きるボクらに、本作は優しい声で残酷な正論をぶつける。
「あなたはあなたの人生を生きなさい。プリンセスはおろか、他人の見返りを求めるのは分不相応。そう、それがあなたの役割なのよ。」
うん。はい。そうですね。Other。他人です。だもんね。
出過ぎたマネをしてごめんなさい。良識があれば他人の自由を奪う権利なんかないよね。

どうやら責任持って地に足つけて働いてる人は愚鈍な時代遅れで、今のトレンドは、まず自分最優先の好き勝手ドリーマーらしい。なので世の女性達は、突然にパートナーが仕事辞めて夢に生きる宣言しても責めたりしちゃだめだぜ。

自分を置いて遠くへ旅立ってしまったヴァネロペ。
ラルフにとってヴァネロペは友人であり、恋人であり、娘といえる存在。だからこそ自分から離れてしまうことに狼狽した。いや狼狽するだけならいい。本作はそんなラルフを愚かで過ちを犯した男として描いている。そしてその意思は敵となって具現化する。一方的な愛はストーカーとかサイコな事件の引き金にはなることはわかってる。でもラルフとヴァネロペに限ってはそんな関係じゃないと思っていた。でもどうやらそうじゃないみたいだった。

男は抜きん出た能力がない限り、どこか一箇所でなにかを築かなくてはいけないんだ。それ以外に社会に「居場所」はないよ。

ヴァネロペよ。そんなに「自分のしたいこと」が大事か。自分の仕事や責任をほっぽりだしてまでスラムで一旗あげたいか。お前のやってることはターボと何が違うんだ?

ラルフよ。男ってきついよな。俺たちはプリンセスのように求められるような存在じゃない。でもお前が悪役という仕事をやめてヒーローになるという夢を捨てたことは、正しくかっこいいことだとオレは信じてるよ。とにかく今の俺たちにできることは「仕事」するしかないんだな。

(部屋に飾ってる1のチラシ。観てて悲しくなる)

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