見出し画像

コロナ時間にeBayでよみがえる音楽その2:ヴァレリー・カーターの『Ooh Child』

沢山の歌い手に愛され続けているこの名曲は、シカゴのファイブ・ステップスという男性6名で構成されたアーティスト・グループが原曲を歌って1970年にリリースされた。

今回私が選んでいるのは、ヴァレリー・カーターという女性アーティストが1977年にカバーしたバージョン。残念ながら2017年に彼女は心臓発作で亡くなっている。

彼女のファーストアルバムである『愛はすぐそばに』はオススメの名作であり、その歌はA面の一曲目に収められている。

元々ジャズバンドでありディスコ時代を一世風靡したその名も輝かしいアース・ウィンド・アンド・ファイアーのバンドリーダーであったモーリス・ホワイトもプロデューサーのひとりとして迎えられている経緯から、自分的には間違い無しと即買いした覚えがある。

この曲を思い起こす大前提となる大きな波が私に押し寄せたのはまさしくこの3月30日。新型コロナウイルス感染症がニューヨークで目に見えて猛威を振るいだした頃であり、私の中では決して不用品ではなく長い間大切にしてきたモノへの高い需要と手応えを感じたのもこの時期。

今回の伝染病についてそれまでまったく実感が沸いていなかった自分自身の現実とも一気に変容した。そのふたつの前兆を身をもって教えてくれたのはジョージア州に住むレジーナという名のお客さんだった。

国内送料と消費税分はカバーするくらいの割引を彼女から申し込まれたのでOKの返事をしたら、即座にMCMの小さなオレンジ色のモノグラム入りPVCのショルダーバッグを買ってくれた。廃盤になっているこの目立つ色とポップな素材のスタイルが売れた瞬間、私はとても不思議な気分に駆られた。過去にも二回程同ブランドのバッグを販売したことはあるものの、その時の感覚とは全く違っていたからだ。

ニューヨーク市が規制しないといけない程、高値で取引する人々も続出するマスクトイレットペーパー除菌スプレーの完売を世間が騒ぎ続ける状況下に、中古ではありながらも高級ブランドバッグを選択し購入した彼女だ。急激に人々が仕事を失っていく最中に、何かが違うと感じてはいた。しかし人には私の想像もつかない様々な事情や感情もあることに納得する。モチロン売り手としての私にとっては、コロナ時間内のステイホーム中売り上げは更にありがたい以外のなにものでも無い。なので直感的に医療関係の人ではないかとだけその時に思ってやり過ごした。

商品発送の知らせを兼ねてお礼のメッセージを書いた際に、「どうかお気をつけて安全でいてください。」と締めくくり送った。すると彼女からの返事の最後に「また感染しないことを自分でも祈るワ。」と気になるひと言をみつけた。その瞬時に私の直感が高速度で再起動してしまった。

きっと夜勤明けで疲労困憊しているであろう看護婦、医師、またはEMTと呼ばれる救急車やヘリに乗ってやってくる救急医療隊員の職業を持つひとで、とにかく極度なストレスの発散や自分へのご褒美を兼ねてポチっと押したのだろうと身勝手な購入経緯を想像して同情し始めていた。

日常は仕事に追われ自分の時間もままならず夜遅くにネットで買い物をする人の孤独というのにも何だかいたたまれなくなり、返事を書くことにした。少々長い内容になってしまったが、「もしそういった関係のお仕事をされている方でしたら、この場をお借りして日頃のあなたの献身や貢献をたたえ感謝いたします。」との内容を書いていた。

そして彼女からの返事の内容で、元エアフォースの救急医療隊員であったことを知った。既にウイルス感染し3週間半ほど生死を彷徨い、幸いにも復活したそうだ。それも感染先は定年後に楽しんでいたであろうクルーズの豪華客船内。

彼女の仕事柄、知識だけでなく戦地における極度な緊張下で医療業務にあたる実務経験が豊かなだけに、入院先での医療関係者達には煙たがられる存在だったと自ら明かした。

その理由ともなり得るのが、オキシメーターという指先にクリップで挟んで読み取るタイプの検知器を、自ら持ち込んで常に脈拍数と血酸素飽和度を計っていたと言うのだ。そこで酸素が足りなくなってくるのを数値で確認すれば、彼女自身で看護士を呼んだ。そうしてICUへ三度移してもらい、数が圧倒的に足りていなかった人工呼吸器を一時的に着けてさせてもらうその都度、本人の死の危険を回避していたと聞いて愕然とした。

クルーズ船に起こった感染も一時期よく報道されてはいたが、スクリーンの画面を通すのみでその情報を受け取っていた私にとって、「集団食中毒」のような一過性の認識しか持てず、他とは関連性のない数カ国のみに起こっているケースだと完璧に誤解していた自分に気づいて後悔した。

実際にこの呼吸器が足りていなかったという事実は、3月下旬当時のアメリカの大問題となっていた。その結果として連邦政府からスピーディーな援助を受けられなかったニューヨーク州の感染者への対応は大幅に遅れ、一時期は一日の死亡件数がまったくもってアンラッキーである777人にまで登りつめてしまっていた。

患者として入院しながら、もしレジーナ自身が声を上げ指示を出せる体力がなかったとしたら、一体彼女はどうなっていただろう。当時の病院での患者数に対する看護チームの数など到底追いつかない非常事態。私がまだ行ったことの無い戦場のように壮絶な現場、それ自体の想像がつかなくて恐ろしくなった。

「親切な言葉をかけてくれてありがとう。イイ評価しといたわヨ!また何かイイのがあったら私に知らせて。」と連絡をくれ「その際には逐一アナタにお知らせしますからネ!」とやり取りしたメッセージを終えた。

この4月半ばに一度メッセージを入れてみたが、今は違うブランドにハマっているそうだ。「じゃあ引き続きショッピング楽しんでくださいネ!」と伝え、そう言ってくれる彼女のタフさに感心し私の方が逆に安心させられてしまったではないか。

今回の伝染病の菌の生命の力強さには正直、圧巻している。そのおかげもあって、過去を振り返るコトに改めて終止符を打ち、未来を渇望して生きるのも辞めた私。

「ステイホーム」と聞こえはシャレオツだが、緊急事における「外出禁止令」発動中に、自分でも信じられないくらいのいわゆる不必要な動きの数々を去年までの5年間内に繰り返し、踊る現場があんなに大事だったこのワタシがこうして立ち止まり、「必要のない旅行」を制限されている現状を考慮したとき、その「必要に迫られていない行動」という考えも無しに空間移動できる自由が、いかに恵まれていたモノであったのかがとてもよく分かった。

その期間の移動やダンスや思考という「エントロピー」とはかけがえのない私のバックボーンとなり、これまで普通に出来たことがもうできなくなった今、「通常」というものに関し、新しい価値を見出すことができた自らを喜ばしく想っている。

そんな私がウチにこもってモノを手放す時というのは、過去と未来を消去する行為のプロセスであり、バーチャルに出逢った人々を通して、この曲の歌詞に表されているような「まぶしい光」という名の希望を、この現在に今感じ生きている。


いつか

みんな正気を取り戻し すべてを共にやり遂げられるさ

いつか

頭も軽く感じられるとき

いつか

美しい太陽光線の下を歩けるようになるよ

いつか

世界がより明るくなるときに


感染の本拠地ニューヨークから発送されてくる物なんて誰も買いたくないだろうとタカを括っていたのは自分だけだった。アメリカ人の懐の深さに改めて触れるチャンスに恵まれて、私の本気にもようやく拍車がかかったヨーダ


あなたの探す逸品や好きな物もみつかるかも。
サンラおばさんのeBayストア
ぜひ覗いてみてください。
日本語・英語で対応可!


48歳から人生の本編スタート。「生きる」記録の断片を書く活動みならず、ポエム、版画、パフォーマンス、ビデオ編集、家政婦業、ねこシッター、モデル、そして新しくDJや巨匠とのコラボ等、トライ&エラーしつつ多動中。応援の方どうぞ宜しくお願いいたします。