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No.024 松本拓(歯科医院/事務長・ソーシャルワーカー)

【医師と看護師と、もう一人誰か居てくれたら助かる】

1.法政現福に入学したきっかけは何ですか

小学5年生の時、祖父が病院で亡くなった。

亡くなる前、母とお見舞いに行っていた。その時、病院の医師や看護師は、良くしてくれたが、誰かもう一人いてくれたら、患者も家族も医療職も助かるのでは。そんな感覚があった。

中学2年生の時、将来の仕事についての授業があった。
その時何となく、医療・福祉のブースに行ってみると、医療ソーシャルワーカー(MSW)という職業があることを知った。

MSWになるためには、社会福祉士の資格を取っておいたほうがいいということを知り、地元茨城県では近くに養成校がなかったため、法政大学現代福祉学部に進学することを決めた。


どうして福祉の仕事を選びましたか

大学3年のとき、社会福祉実習で相模原市にある知的障害の人の通所施設に行った。そこで、障害者支援のおもしろさを知った。

アルバイトも知的障害者のヘルパーをしていたため、大学卒業後はそのまま正職員になる道を選んだ。

八王子・多摩エリアで、小学生から介護保険移行前の高齢の人まで、知的障害の人のヘルパーとして、移動支援や居宅介護などに従事してきた。


ヘルパーの仕事をしていて、気づいたことの一つが、家族とのかかわりについてだった。

30代の知的障害の人の援助をしていたとき、その人の母親が本人に対して、遊びに出かけたりすることなどに対し、口うるさいと思えるほどに指摘をしていた様子を見て、当時違和感を抱いていた。

もう立派な成人であり、そこは本人の自由ではないかと。

しかし関わりを続けていくと、ここにくるまで、その母親も周りからたくさんの心無い言葉を浴びせられ、つらい思いをしてきたことが分かってきた。

「私がこの子を守らなければいけない」と、必死に生活してきたことを知った。

本人を援助するためには、家族も同様にケアしなければいけないことに気付いてからは、親の一見口うるさいように思える言動にも、それまでの経緯があり、理由があることに思いを馳せることができるようになった。

このことは、大きな気づきだった。


ヘルパーの仕事は面白く、5年ほど続けたが、医療ソーシャルワーカーという当初の目的もあったため、都内の診療所に転職することを決めた。

当時はまだ、相談職に対する理解も少なかったため、最初の2年間は電球の交換をはじめ、雑務が中心だった。

その後、相談職の部署が創設されてからは、関係機関との連携や、訪問診療でのインテークなど、ソーシャルワーカーとしての業務を担い始めるようになった。


病院から退院してくる人は、MSWを通されていないと、例えば介護認定すら受けておらず、退院後の生活がままならないような人も多かった。

病院側も決して悪気があるわけではないが、もっと連携がうまくいけば、患者さんの生活はより安心できるものになる。

このあたりに、ソーシャルワーカーのやりがいがあると思っている。


よりよい連携のためには、はじめの2年間で、雑務を通じて多くの人と「顔の見える関係」が築けていたことが大きかった。「相談できる関係」を日頃から築いておくことが大切だと思う。

診療所では高齢の方と関わることが多かったため、ケアマネジャーの資格を取得した。
せっかく資格を取ったので、居宅ケアマネを経験しようと考え、その後は川崎の居宅介護支援事業所にて3年ほどケアマネジャーとして従事した。


【フラットな立場で、患者にも専門職にも寄り添う】


2.今のお仕事について教えてください

以前働いていた医療機関の歯科医師が独立するということで、声をかけてもらい、現在は歯科医院の事務長として勤務している。

一般的な事務長の仕事といえば、人事や経理、財務などをイメージされると思うが、私の場合はすこし違っていて、ソーシャルワーカーのような役割も担っている。


訪問歯科を中心に行っているが、訪問先は高齢の人であったり、施設に伺ったりする。

そうすると、歯科医にうまく言いたいことを伝えることができなかったり、専門職同士であっても、歯科医師と看護師、ケアマネなどでは、互いの専門領域が違うため、やりとりが円滑に進まないことがある。


そんな時に、私の場合、医療機関やケアマネなどいままでいろんなフィールドで仕事をしてきたこともあり、フラットな立場で、通訳のような役割を担える存在だと思っている。

「こんなこと先生に相談したら怒られるかしら…」と、つい遠慮してしまう患者さんにも、「全然大丈夫ですよ。言いにくければ、私からも伝えておきますよ」と声をかける。

患者さんや施設のスタッフにとって、とても心強い存在だろう。


【わかった気になることが一番怖いこと】

3.大学での学びが仕事で生きていると感じるのはどんなときですか

社会福祉実習はやはり大きかった。
相模原市の知的障害の人の通所施設での実習だった。

そのとき、もちろん事前学習を経て実習に行くが、実際の現場では衝撃を受けることがたくさんあった。


たとえば、自閉症の人とのかかわりのこと。

その人は、横断歩道を渡る前、点字ブロックの前で立ち止まり、つま先をそろえるという行動を毎回必ず行っていた。

またある人は、一日中「ドリームランド」「サマーランド」とつぶやきつづけていた。

「サマーランドに行きたいんですか?」と問いかけてもとくに反応はなく、またつぶやきつづけていた。


実習前に自閉症のことを本で勉強していても、目の前の人の言動や行動の理由は、まったく分からなかった。

実習を通じて、自分の無知に気づくことができた。わからないから、知らなきゃ、という気持ちになり、学ぶ姿勢が身に付いた。わかった気になることが一番怖いと思った。

そして、10回に1回くらい、ちょっとわかったかも、そんな瞬間がまたおもしろい。

【後任を育てる】

4.いま興味を持っていることやテーマはなんですか
5.今後の目標を教えてください

いままでいろいろな経験をさせてもらい、いまはそれを生かせる立場で仕事ができている。

仕事として回っているが、必ずしも自分がこの先もずっと同じ職場にいられるわけではないことを考えると、自分の後任を育てることにも注力しなければいけないと思っている。


(松本さんだったら、どんなソーシャルワーカーを育てたいですか?)

まずは、目の前の困っている人ととことん向き合えることが大事だと思う。そういう環境で経験を積んでもらいたい。
制度の知識などは、あとからついてくるものだと思う。

ソーシャルワーカーは、確かに診療報酬上の位置付けは少ないけれど、いろんなひとを巻き込み、つなげる、なくてはならない職種。

困っている人の話を丁寧に聞いて、向き合えるソーシャルワーカーを育てることが今後の目標。

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