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【きちnote】サッカーを引退するってなに?大人になっても楽しめる社会へ。心でつながりあえる仲間が集う場所を築こう

※ WEBマガジン「フッスバルラボ」より修正転載

「ここまでサッカーを頑張ってきました。これ以上できないほどサッカーと向き合ってきました。悔いはありません。今日でサッカーを引退します」

日本ではおなじみの悲しい、哀しい、かなしい光景。小学校が終わり、中学校が終わり、高校が終わり、大学が終わると、たくさんの選手がサッカーと距離をとる。

でも18歳まででは、見えない景色がある。25歳になってわかる世界がある。30歳を超えて感じるものがある。40歳になっても動ける自分がいる。

DFBの指導者育成の第一人者であるベルント・シュトゥーバーさんがこんなことを言っていた。

「最近、若い指導者が増えてきたことは基本的にポジティブな傾向だ。だが、指導者である前に、サッカー選手の経験があるかどうかは重要なポイントなんだ。プロ選手になれるかどうかではない。成人のサッカー選手として、年間を通したリーグ戦を戦った経験が十分にあるかどうかは、指導者として選手に向き合う上で欠かせないことだ」

起点はいつもサッカーグラウンドにある。そことつながりのないままサッカーを見たり、説いたり、考えたり、悩んだりしては道は見つからない。

サッカーグラウンドにあるもの。
サッカーグラウンドからつながっているもの。

ドイツの地域に密着したクラブでプレーして、指導者をして、腰を据えて活動する中でいろいろなことが見えてきた。

小さいころからリーグを通して戦うから、彼らには自然とそれぞれのクラブがもつ色と特徴と哲学が浸透していく。

サイクルの中で、ドイツの人々は小さい頃からずっとサッカーをしてきて、サッカー”と”生きてきているのだ。これは特別な話ではない。だからこそ、素晴らしいと思うのだ。

世界のサッカーではマネーゲームが進んじゃったりしている。スーパーリーグ構想みたいな話も出てきている。ファンが離れていくことは容易に予想できるし、そうなる可能性が高い。

でも、彼らがサッカーから離れたりはしない。逆なのだ。いま世界のトップリーグで行わいる様々なことが、サッカーから離れていっているのだ。サッカーから離れているのはファンではなく、彼らの方なのだ。

ファンはいつでもサッカーのもとにいる。ブンデスリーガであろうと、アマチュアサッカーであろうと、構図は変わらない。変わってしまうことがあったら、それはブンデスリーガの方が間違いなのだ。

彼らにとってクラブに関わることが生きがいであり、生活なのだ。自分の居場所なのだ。それがプロクラブである必要はない。彼らにはみな、地元にあるクラブの一員としてリーグを戦い、存在意義を互いに確かめ合える場所がある。そして、これがなくなることはない。

彼らはみんな仲がいい。練習だけではなく、時間があるとどこかで落ち合ってビールやワインを飲みに行く。馬鹿話をして、夜通し飲んで、夜中にふざけた写真が送られてきたりする。一方で試合に向けて必死に取り組み、時に怒鳴り合い、時に励まし合い、いつでも次に向けて歩んでいく。心でつながり合う仲間が集う。何年も何十年も一緒に過ごせる場所と時間。それこそがサッカーの持つ何よりも大切で、何よりも大きな魅力なのだ。

「子どもが育つ」

そのための場所がドイツにはあるんだなと僕はいつも感じているのだ。

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