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【佐藤敏基】 軌跡〜生い立ちから〜

NFL挑戦をしているキッカーの佐藤敏基です。
この度、僕の師匠であり、Japan Kicking Academyの代表の丸田さんが、
僕やオービック所属キッカー山崎丈路らNFLに挑戦するキッカーのために
クラウドファンディングを開設して下さる事になりました。

(※近日中に公開予定です。)

まだ挑戦を成し遂げる途中の
僕らは特別何かを持っているというわけではありません。
なので自分たちを全部さらけ出すことにしました。

これまでの生き様を公開します。
・これまでどんな人生を辿ったか
・どんな想いでどんな挑戦をしたか

拙い文章ではありますが魂を込めて書きますので、是非ご一読ください。


1993年9月30日神奈川県横浜市生まれ
3歳年上の姉が1人
小さい頃はボーッとしていて話し始めも遅く、姉に手を握られてどこへでも連れていかれてたそうです。あと年中鼻水を垂らしていたみたいです。

・優勝の味と成長の場を探す術を学んだ小学校時代

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小学生時代は剣道とサッカーをやり込んでいました。
サッカーは1番好きなスポーツで、とにかくボールを蹴るのが大好きでした。

竹刀が欲しいという理由で始めた剣道はいつのまにかどっぷりハマり、小学3年生の頃、区大会3年生以下の部で個人戦優勝。
人生初の優勝を経験しました。周りから駆け寄ってくる友達や先輩、先生に囲まれた瞬間に「ああ、勝つってこんなに嬉しい事なんだ」と実感しました。

その後も市大会の団体戦優勝や日本武道館で全国大会に出たりと良い経験をしていた僕は、当時生意気にも「トロフィー取るのは大前提、一位にならなくては」と考えていました。隣町に出稽古したり、中学生に混ざって練習させてもらったりと、外に成長の場を探しに行く能力はここで身につけたのだと思います。

しかし大好きだったのは結局サッカーで、サッカー選手になりたいと夢見ていました。剣道場に昼間のサッカーの練習着で元気よく入場し、先生に「お前は剣道とサッカーどっちが好きなんだ?」と聞かれても満面の笑みで「サッカー!!!」と答えていた気がします。そして中学校に進学したときにはサッカーを続ける選択をしました。

・現実を叩きつけられた中学校時代


「Jリーガーにはなれない」これが中学校3年間で学んだ事でした。身長もあまり伸びず、足も遅かったですが、置いてあるボールを蹴る事とPKで勝負どころを外さないのは得意で、小さい割には良いキックをしていたと思います。この辺りから実はキッカーの片鱗が見えていたのかもしれません。大会でも特に勝つことは出来ず、サッカーの壁の高さを感じた中学校生活でした。

・「努力は裏切らない」は幻想と知った高校生

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早稲田大学高等学院に入学。
新しいスポーツを始めたいと考えていると、校内に「初心者大歓迎、昨年全国準優勝」とアメフト部のポスターがあり、体験に行ってみたところチームの雰囲気に惹かれてなんとなく入部しました。
全てのポジションを体験で回ろうかな、と考えていたのでまずはQBに行くと、初めて投げた時から綺麗な回転をかけて投げる事ができました。
そして先輩に「すごいよ!」と褒められたのを間に受けてQBになりました。しかしいざQBとしてプレーすると全くセンスが無く、毎日怒られ、迷惑をかけ、地獄のような日々でした。
誰よりも早くフィールドに来て誰よりも遅くまでフィールドに残って練習していました。それでも一向に上手くなりません。努力は裏切るのです。というよりも、正しくない努力は裏切るのです。

1番ショックだったのは3年生になる直前、東京都の新3年生選抜試合の際に、新3年生の各ポジション1人ずつ出れるはずでしたが、下手すぎて僕だけ出場する事ができませんでした。これは高校3年間で1番ショックでした。

・度重なる大怪我


そして3年生も残り後1ヶ月を切った3月9日、
どれだけ練習してもスタメンになれそうにもない。
いっそ怪我でもしたらスタメン争いとかしなくて済むのかと、そんなことを考えた矢先でした、天罰が下ったのか練習中に左膝の靭帯を断裂しました。

病院に行くと「前十字靭帯、内側側副靱帯、内側半月板すべて損傷してるね」と言われました。先生は「実質的な引退だと思う」と説明してくれました。あんなに辛いと思っていた部活ですがいざもうできないと伝えられると「嫌だ」と思いました。

怪我すれば気持ちが楽になるとか、そんな馬鹿なことを考えた自分を恨みました。そして1ヶ月後に手術を受け、術後に起きると先生から「前十字は切れてなかったよ!良かったね!」と言われました。MRIで見た時に診察された内容ほど酷くはなかったみたいで、夏合宿には無理やりなら復帰できるとの事でした。その日からは死ぬ気でリハビリを重ねて徐々に回復していきました。そして夏合宿前の面談で顧問の先生から、このままでは一個下のQBがスタメンだぞ、と言われました。そして臨んだ夏合宿ではとにかくボールを投げまくりましたが、今度は肩を壊してしまいました。「現役中にボールを投げることはできない」医者から2度目の引退宣言です。

・キッカーというポジションとの出会い


それからはQBで投げずにできる練習や、プレーの提案、ボール拾い等をやってなんとなく時間が過ぎていました。
それでもグラウンドに最後までいて、キッカーの球拾いをしながら「自分にも蹴れそうだな」なんて考えていました。

同期には藤原という高校生記録を持つスーパーキッカーがいたのですが、彼が小さめの怪我をしました。チャンスだと思った僕は「蹴らせてください」と当時のコーチにお願いしたところ「よし今蹴ってみろ」と言われました。初めて蹴ったボールはフィールドを横切り隣の野球場まで飛び「としき、今日からキッカーね」とコーチから言われました。

これが9月末の都大会準決勝の前日です。そして来る次週の練習で、FG(フィールドゴール/得点を決めるキック)を蹴る機会がやってきました。
自己申告でFGを蹴る制度だったので52ydを宣言しました。「入る距離でやってよ」と言われ、火が付いた僕は52ydを見事に成功、そうして都大会決勝からレギュラーになる事ができました。そしてクリスマスボウルでは最後のオフェンスで同点となるFGを決め、同点ながら優勝を果たしました。1年前の優勝とは全く違う気持ちで「辞めなくて良かった」心から思いました。


・All Japan選出

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引退後のある日、同期からの電話でアメフトの月刊誌「Touchdown」が選ぶポジションごとの最優秀選手、All Japanに選出されたと知らされました。下手なQBでAJなど雲の上の存在だと思っていた僕は、電話を切ってから嬉しくて地元を駆け回りました。 
そしてこの経験を経た僕は「キッカー」という道を極めたいと考えるようになり、ここで大学でもアメフトを続ける決心をしました。

・丸田さんとの出会い、そして自分もアメリカへ

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大学でアメフト部に入り、キッカー専任として4年間を過ごすことを決めました。早稲田では過去に4年間を通してキッカー専任でプレーした選手はおらず、部内に技術的コーチもノウハウもありませんでした。

そんな中、2年生春の立命館との定期戦で立命館の2つ上のキッカー佐伯さんのキックを見て、こんなにすごい人がいるのだと度肝を抜かれました。不躾にもその晩に佐伯さんにtwitterでメッセージを送ると、次に関東に来る際に一緒に練習をしようという事になりました。そして、その時に一緒に早稲田のフィールドに来てくださったのが僕の師匠丸田さんでした。その後丸田さんと同じくNFL挑戦をしていて現在Japan Kicking Academyを、丸田さんと共に運営する櫻井さんにも出会いました。

すごいキッカーの人達と一緒に蹴ること、そして教えてもらう事の大切さを学んだ僕は、様々な大学やxleagueのチームのキッカーの方に教えを受けに東奔西走していました。当時NFL挑戦していた丸田さんはずっと日本にいたわけではありませんでしたが、アメリカにいる間も動画を送ると快くアドバイスをくれました。

挑戦する丸田さんをみてかっこいいなとは思っていましたが当時はNFLを目指す気は少しもありませんでした。その後3年生になる直前には国内だけではなく、本場アメリカでキックを学んでみたいと考えた僕はチームに頼み込み、英語は話せませんでしたが単身でウィスコンシンにいるキッキングコーチを訪ねて1週間の修行をさせてもらいました。

そこで開催されたFGコンペディションで優勝する事ができ、アメリカ人は確かにすごいキック力を持っているが全員が完璧なわけではない、勝負することが出来る、と確信しました。この経験は後で会社を辞めてNFLに挑戦する際に背中を押してくれました。大学時代は本当に素敵なキッカーの方々との出会いに恵まれ、そのおかげで成長する事ができました。

・人生最高のFG

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3年生のシーズンはFG9/9と成功率100%でリーグ戦最多成功記録も当時達成、3年生ながらオール関東に選出されました。そして4年の秋大会の法政戦、僕の人生で1番嬉しかったFGを経験しました。勝てば関東優勝で甲子園に大きく近づく1戦の4Q終盤、7点リードして臨んだラストオフェンスで42ydのFGが回ってきました。決めれば残り時間を鑑みて実質勝利が決まるFG、これをど真ん中に決め、過去3年間敗れ続けてきた法政に勝利して僕たちは甲子園ボウル(大学全国決勝)に駒を進めました。あのFGは今でも僕の人生最高のFGです。

・人生最大の挫折

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そして迎えた甲子園ボウル、相手は立命館大学。
前半21点差まで広げられましたが怒涛の追い上げを見せ、残り1秒で27対28。52ydのFGが回ってきました。決める気満々で臨みましたがこれを決める事ができず敗戦、4年間追いかけてきた日本一を自分のせいで逃しました。

人生で1番泣いたと思います。決められなかったことも悔しい、そして何より不安な顔ではなく、僕を信じて笑顔でフィールドに送り出してくれたキャプテンやチームメイト、コーチたちに申し訳ない気持ちで一杯でした。試合後の記憶はほとんどありません。この世から消えてしまいたいと、本気で思いました。

・再起

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当時アメフトはもう辞めようと考えもしましたが、同期や友人、コーチ、家族、周囲の人に励まされ、もう一度アメフトを続けよう、アメフトを続けてこの悔しさを晴らそうと決めました。
卒業して志望していた不動産業界の野村不動産に入社しました。そして社会人になり現在のチームIBM BIGBLUEに入団しましたが、入団後すぐのFG成功率は散々なものでした。大学時代はフィールドに立った瞬間絶対に決められると自信を持ってキックを蹴っていましたが、当時はフィールドに立つと、どうやってポールの間にボールを通していたかわからなくなっていました。

・マイケルとの出会い

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2016年の6月、当時丸田さんと櫻井さんが設立したJKAのイベントで元NFL選手でコーチのマイケルが来日しました。日本人向けのキッカークリニックを開いてくれるとの事で、僕ももちろん参加しました。
クリニックの最後に開催されたFGコンペディションで優勝した僕のパフォーマンスを見たマイケルから「会社を辞めてNFLに挑戦する気はないか?」と声をかけてもらいました。せっかく入社した大企業をすぐに辞めて良いものかと悩みましたが、こんなビッグチャンスは2度と来ないかもしれない、人生は一度きりだと考えました。

そして何よりも「あの甲子園の雪辱を晴らすにはキッカーとしてどこまでも上を目指していくしかない」という想いが僕を突き動かしました。
そしてNFL挑戦を決意した後は会社を辞め、もう一度キックと真剣に向き合いました。丸田さんや櫻井さんに教えを乞いながら、渡米に向けてトレーニングを積みました。

・初の渡米、NFLの壁を思い知る


2017年の1月に初めて渡米してサンディエゴにてトレーニングを開始しました。英語取得とビザの確保のために語学学校に通いながら、マイケルやその弟子たちと共に練習をしていたのですが、中には現役NFL選手やNFLキャンプ経験者もいて、アメリカのレベルの高さを思い知りました。日本にいる時はキック力で負けることはほとんどありませんでしたがこの時はもうボコボコにされた気分でした。さらに初めて参加したフリーエージェントのトライアウトでは、スカウトの前に進むための試験に合格できずスカウトの前でパフォーマンスするキッカーたちをただただ見ていました。「来年はあそこで蹴る」そう決意してサンディエゴに戻り、マイケルの元でトレーニングに明け暮れました。

・自分を取り戻した2017年Japan X Bowl

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着々と上達して、帰国する頃には失っていたキッカーとしての自信を取り戻しつつありました。秋に帰国後、IBMは決勝戦のJapan X Bowlに進出し、そこで蹴った短いFGを決めた瞬間に何かがプツっとキレる音がしました。

NFL挑戦の決意が、そしてアメリカでトレーニングしてきた経験が、甲子園のトラウマを乗り越える力になりました。

残念ながら敗戦してしまいましたが、その試合でJXB史上最長のFGを決め記録を作り、更にはMIP(敗退チームの最優秀選手)を受賞しました。

・再渡米、再度打ちのめされる


2018年も1月から渡米し、トライアウトを2つ受けました。1つ目のトライアウトではスカウトの前に進むも目立つパフォーマンスは出来ず、2つ目のトライアウトはキックオフの飛距離が足りないと、再度スカウトの前に進むことができませんでした。
スカウトの前で蹴る際には特別なプレッシャーがあります。試合中の大観衆とは違って静寂の中全てのスカウトに見られるという雰囲気はそれまで経験したことのないもので、パフォーマンスに大きく影響しました。
そして次の年の2019年には2つ共のトライアウトでスカウトの前に進みましたが、これもまだNFLから声がかかるパフォーマンスではありませんでした。しかしこの時はそんな中でもキックオフで1本全体の中でも上位に食い込める数字を残しました。1本だけ、しかも上位というだけではまだまだですが、確実に成長を感じました。

・信条と強みを理解したThe Spring League

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2019年の春に参加したプロ育成リーグのThe Spring League(以下TSL)で2つの大きな収穫を得ました。まず一つ目は自分の「強み」です。現地の日本人記者の方に「あなたのアメリカ人にも負けない強みは何ですか?」という質問を受け、改めて自分は何を武器にアメリカ人のキッカーと戦っていくのかを考えました。そこで僕は「プレッシャーのかかった場面でFGを決めること」と答えました。実際に日本の学生時代やXリーグでの経験に基づいて出てきた言葉でもありますが、この言葉を言い放つことでこれを実現しようと考えました。ビックマウスのようなイメージです。そして実際にTSLで4本蹴ったFGは全て成功、距離は46yd〜54ydと全て長いキックでまさにビックマウスを実現させた経験になり、これは自分の強みだと自信を持って言えるようになりました。その後、日本でもリーグ最高の成功数と成功率(12/13=92%成功)更に日本記録となる58ydのキックも記録し、さらに強い自信へと変わりました。
2019年のTSLではもう一つ大きな収穫がありました。それが「Focus on what you can control」という信条に出会ったことです。この言葉はチームの監督に試合前に言われた言葉で強風、大舞台、スカウト、どれも自分にはコントロールできないことで「自分のコントロールできることだけに集中しろ」という意味でした。トライアウトでも他の参加者のパフォーマンスやスカウトの目を気にしてしまって思うようなパフォーマンスができていなかった僕にとって非常に大切な言葉だと感じました。


TSLには2020年秋も参加し、ここでは初めて全米テレビ放映の中でプレーしました。放映される中ラスト1秒で同点FGを決めチームは逆転勝利、決勝戦まで進み準優勝を果たしました。

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・やっと見えて来たNFLの背中


2020年に参加したトライアウトでは、強みと信条を胸に、自分のパフォーマンスにのみに集中した結果、大きな功績を残しました。
キックオフで平均飛距離が参加者1位、そしてFGではコンペディションで4位タイという成績で、NFL公認のエージェントとの契約締結、NFLスカウトとのメールのやり取りも始まりました。そしてチーム名は明かせませんがそのチームと他にも2チーム、合計3チームのウォッチリスト(選手を新たに探したり補充する際に使用される目ぼしい選手たちのリスト)に加えてもらうことができました。今までやって来たことは間違いじゃない、そう確信しました。

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そして今年2021年のトライアウトではキックオフのTop3キッカーに選出されました。昨年は飛距離が1位とはいえ、滞空時間では数人のキッカーに劣っていました。この対空時間が重要視される場合も多く、そして背筋優位で蹴り上げる力の強い西洋人に対してアドバンテージを許しがちな部分でもあります。

TOP3キッカーはエンドゾーン奥5yd以上の飛距離と4.3秒以上の対空時間を記録したキッカーが対象でしたが僕は奥9ydの4.33秒でした。2019年に入手したNFLキッカーのキックオフアベレージは奥4ydの4.09秒、トップキッカーと認められたキッカーのみで計算を行なったデータでも奧6ydの4.21秒でしたので、今回の記録を通じて日本人である僕のキック力がアメリカ人にも負けていないということを証明できたと思っています。

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人種や生まれ持った体格は多少のスタート地点の違いをもたらしたとしても何かを実現できない理由にはなり得ないと考えています。

・飛躍の要因


2019,2020年は大きな飛躍の年となりましたが、これにはいくつか要因がありました。メンタル部分は先ほど話した強みと信条の理解、そしてテクニック、フィジカル面に関しては、丸田さんと二人三脚でずっとやってきた成果がずっと出続けていること。そして2019年からピラティスを始め、パフォーマンスが飛躍し、更にトレーニングの効率も上がりました。

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結果フィジカルもアップして現在の体重は大学卒業時よりも約10kg増量しており、パワーも格段に上がったと思います。

そして元サッカー選手の中西哲生さんとの出会いも大きな要因でした。長友選手や現在海外で大活躍する久保選手などのパーソナルコーチをしている中西さんから「中西メソッド」という指導を受けました。元はサッカー選手のキックに対するアプローチですがこれをアメフトのキッカー用に工夫したものを教えて下さいました。今までに無い現地からの指摘を受けて自分のキックが1段階進化するのを感じました。この出会いもJKAを通じてのものでした、ありがとうございます。

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・人脈も必要な世界

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ここ最近では、つい数年前までNFLでプレーしていたキッカーのNick Novakとのトレーニングを開始しました。昨年のトライアウトなどを見て僕のことを評価してくれているNickは技術指導の他にもNFLのチームに僕をプッシュしてくれたりもします。
技術的な成長、そしてこの人脈の獲得を経て毎年確実にNFLに近づいています。

・様々なチャンスに取り巻かれている現在

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先日行われたトライアウトの結果を受けてまさに今から夏のキャンプ開始前までフリーエージェント市場が大きく動く時期です。こちらの動向を伺いながら、4月の半ばにはCFL(カナダのプロリーグ)のグローバルドラフトがあり、その候補選手にも選出してもらっています。

そして次回開催のTSLからも内定を貰っている状態てす。
XFLというアメリカ下部プロリーグも2022年に再興するとの事で、今は様々なチャンスに囲まれた環境と言えます。
このチャンスを掴むためにも最高の状態でトレーニングを積んでいきたいと考えていますが、アメリカに渡りNickとトレーニングをし、現地で暮らしていくとなると資金的に大きな負担がかかります。年齢は27才、NFLの背中が見えて来た今、まだまだ成長していますしピークはこれからだと思っていますが、悠長な事は言ってられません。

スカウトの見る目は歳を重ねるごとに厳しさを増します。ここ数年が、今年が、今この瞬間が勝負です。皆様のお力をぜひお貸し下さい。必ずやNFLの壁をぶち破ります。

【NFL選手になって成し遂げたいこと】


甲子園ボウルの挫折を経てNFLに挑戦していると、友人から会った事の無い方にまで「甲子園の挫折を乗り越えてNFLに挑戦する姿を見て勇気をもらっている」と声をかけて頂くことがあります。

自分が誰かに良い影響を与えることができるというのは本当に嬉しいことで、あの経験をした僕がNFL選手になることで
「挫折は人生の終わりではなく、何かを成し遂げるための原動力に変えることができる」
ということを世の中に伝えたいと考えています。これが僕がNFLに挑戦する意義だと思っています。

もっと多くの方にメッセージを伝えられるようになる為に、僕がNFLで活躍します。

クラウドファンドが公開になった際は、
支援のほどよろしくお願い致します!!


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