見出し画像

「ぐるぐると循環してる」

先日、生まれて初めて「ここにあるワイン、好きなだけ飲んでいいですよ」と言われた。
大きなフロアの一角がコンパネで仕切られ、中はクーラーがキンキンに効いている。そんな店主のD.I.Yワインセラーには、敬愛する鎌倉「鈴木屋酒店」の白、赤、オレンジ、泡という各種ナチュールが、100本ほどずらーっと並んでいた。

「夢かな」と思った。
そんなドバイの富豪みたいなことを言った主は、スパイスカレー屋を営んでいる。
「あ、今日は無料ですから、好きなだけ飲んで食べていってください」
細長いテーブルに、作りたての料理が鍋ごとどんどん並び始める。
「これは、きこさんをイメージして作りました」と、主がサーヴしてくれたのはキヌアの煮込みだった。色はベージュでどこまでも地味であるから、アセンダント山羊座のわたしとしては納得のビジュアルである。
ひとくち。
「美味しい!見た目と違う。旨味がぎゅーっとしてる!ハーブもスパイスもほどよく効いてる!」
ここはほくそ笑むところである。だって、「きこさんのイメージ」とかなんとか。

「このマッシュルームのカレーも、きこさんのイメージです」
なんだなんだ、今日はわたしの誕生日かしら。

丸ごとのマッシュルームがごろごろ入った飴色玉ねぎたっぷりのカレーを食べながら、どこら辺がわたしのイメージなんだろうとスプーンを転がしながら考えたけど、もうそんなことはどうでもよい。
自由にイメージしてくれていいですよ。たとえ「なまこ」でも「いなご」でもいいのです。

表向きは料理人である主は、ミュージシャンの顔も持っている。家にはたくさんの楽器や機材があり、主の奥さんいわく、「この人、酔っ払うとさらに気前がよくなって、楽器もどんどんあげちゃうんです」と言った。
「ある人には、もう何本もマイクだけあげてて、『なんで?』って聞いたら、『うーん、あいつマイクに似てるんだ』と。細長いところがですかねぇ」


気前のよさなら負けていない読谷村のパン屋の友人は、「持ち寄りごはん」というと、「業者ですか?」って量の、おでんとか肉まんとかを拵えてくる。
ならばわたしも負けまいと、家にある食材を手あたり次第あげたくなっちゃって、油揚げとか海苔とか、彼女のでかいバッグにぐいっと押し込む。

さながら、あげあげ合戦である。それはまるでおしくらまんじゅうをしてるようで、押されたら押し返す。ぎゅーっとして、ぎゅーっとする。ほかほか。


屋上階に住むわたしの両親に、余ったおかずを小鉢に入れて持っていったら、次の日にその小鉢のなかに柿が入って戻ってきた。

それはとてもさりげないやり取りながらも、思っている以上に影響は絶大で、おおげさではなく宇宙の采配に関係してくるものだと思う。
(それを仏教では「托鉢」というシステムをつかって合理化している)

しかしながら、わたしは長らくその「恩還し」に無頓着だった。迂闊だったのだ。
それで、ずいぶんと不義理を重ねてきたことを思うと、穴があったら入りたくなる。
それでも懲りずに気持ちを送って下さる方々のおかげで、昨今ようやく気がつくことが出来たのだ。

読谷村のパン屋のパンを、内地の大切なともだちに送る。
「ここぞ」というタイミングで。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?