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「数字と仲良く」

末っ子の、「勉強するね!」宣言からどれくらい経ったのだろう、自習してる姿に遭遇しないまま時だけが過ぎてゆく。

もう、秋です。

ランダムに、例えば「210+190=」という計算問題を10問くらい出して、「ほい」と何度か渡したりしたけど、いつもだいたい正解だったから「やるなー」と思っていたし、実際褒めちぎっていた。

「ねぇ、最近勉強どんな感じなの?」と、厨房でスコーンを食べている末っ子に声をかけた。
末っ子は、たちまち暗い顔をして、「ママ、ほんっとーにごめん。めちゃめちゃ悪いことした。あのね、うそついてた」と、おもむろに自白し始めた。
なかなか思い詰めた表情だ。
「なにしたの?」と聞くと、「あのね、実はね、算数の問題の答えをぜーんぶSiriに聞いてたの」
「ぜんぶ?」「うん、ぜんぶ」
ほほう、どうりで全問正解だったわけだわ。
てか、あれれ、ちっとも腹が立たない。わたしだって計算はぜんぶ計算機任せだもんな、便利なツールがあるならそれ使うでしょうって。それにこうして「悪いことした」という自覚を持っている。
「そっか、Siriは計算も出来るんだ」と言うと、「わりとなんでも答えてくれるよ」と言った。

今どきだ。今どきが過ぎる。
昭和生まれの自分はさっぱりだけど、もうすでに時代はそんなふうになって久しいのだ。
未だにガラケーで、ヘアドライヤーも電子レンジもなく、ピアスの穴もなければUberにもセグウェイも乗ったことがないわたしにとって、末っ子がいつのまにかSiriをそこそこ活用していることが驚きだった。

でも、やはり数とは仲良くなったほうがよい。数字は神秘だ。数字は芸術だ。岡潔は情緒だ。
円周率をどこまで言えるかとか、コインロッカーは素数以外は使わないとか、旅人算やつるかめ算で世界を渡り歩いているとか、数秘術にのめりこんで人すら数字に見えるとか、そこまでじゃないにせよ、この先もしかしたら数字がきっかけで開かれる世界もあるかも知れない。

でも、どうやって?

ええい、こうなったら銭だ銭!
カード社会っていったってまだまだ現金使うでしょう。
割り勘文化(文化なのかな)だって、わたしの目の黒いうちは続くでしょう。
だったら銭っ子さ使って数字を学ぶどー!

「210+190=」という問いのため、店の釣り銭をじゃらじゃらさせた。
が、あいにくわたしは夕飯のために、手羽先のカレーの仕込みでひたすら玉ねぎを飴色に炒め途中だったので、あとは潤ちゃんにバトンを託す。

「ごはんできたよー」の報告を兼ねて、末っ子の学習風景を見るも、「むずいむずーい」と計算式の書いてある紙を前に、頭を抱える末っ子。
潤ちゃんは、「小銭を使ったらできるんだけど、紙上ではなんでかわからなくなっちゃうっぽいんだよねー」と。

いかにも商人の子らしいじゃないか。

ここ2週間くらい、長男が鹿児島に行っているため、バイトのピンチヒッターとして15歳の長女が抜擢された。
なかなか立ち回り良く動くので、たいへん助かっている最中、いったん店を出たお客さんが戻ってきた。
「あのー、お釣りが間違ってるかもです」
お会計をしたのは何を隠そう長女である。お客さんは善い人で、「1000円多くもらってますよ」と、わざわざ返しに来てくれたのだ。
「ひゃーーーーごめんなさいっ!」と、真っ赤になりながら謝る15歳の少女(うちの長女)

みなさんに支えられてます、ほんと。

自慢だが、波羅蜜のお客さんは揃いも揃ってみんないい人ばかりで、そのご加護で、わたしたち店側も気持ちよく仕事ができている。
ぜんぜん世の中捨てたもんじゃないです。

さて、末っ子。
今日は小遣いを1000円持って近所のブラジルサンドイッチ屋にお出かけだ。
「ちゃんと何がいくらでお釣りが何円ってママに教えてね」というと、「うん!」と元気な返事が返ってきた。

いくらSiriでもそこまでは介入できまい。









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