酸化する思想

エントロピー増大の法則といえば、覆水盆に返らず、

私の部屋が勝手に汚くなることはあれど、勝手にキレイになることはないという、この世界における単向性の性質を表したものだ。

鉄が錆びたり(酸化)するのも、このエントロピー増大の法則に因る。

今あるものは、錆びたり、崩壊したり、往々にして「発散する」方向に進む

そして、エントロピー増大の法則の対象として考えられてるのは、一般的には物質だ。

しかし、私は「思想」もこの法則に従うのではないか、と考えている。

「真理に許されるのは、逆説的だと非難されるか、陳腐だと軽視されるかの、2つの長い期間にはさまれた短い勝利の祝賀だけである」
ショーペンハウアー

この言葉は多分に示唆に富んでいる。

端的に言うと、我々は「真理に達しておきながらそれを真理と認識できないでいる」状態にあるかもしれない、ということだ。

もし本当にこの状態にあるのであれば、科学に落とし込まれていない過去の思想こそ、すでに見つけられた「真理」なのかもしれないのだ。

そして、その真理とは、2000年前の釈迦や孔子、ソクラテス、キリスト、そういった賢人たちが見出したものなのではないだろうか。

はるか昔に釈迦が悟りを開き、”本当に"世界の真理に達していた。

しかし、現代に至るまでの科学至上主義によって、つまりエントロピー増大の法則に従い、その思想は「酸化」してしまったのかもしれない。

自然淘汰の考えに則れば、生き残っている者たちには生き残っただけの理由がある。

古代の思想が未だに生き残っているのにも、それだけの価値があるはずだ。

科学的でないものは本当に価値がないのか?

それは自身の頭と身体でしっかりと見極めていかなければならない。

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