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そうだ、絵本作家になろう⑧僕と遠野物語と神楽坂〜前編〜

(前回の記事はこちら→そうだ、絵本作家になろう⑦絵本作家じゃなくて画家なのかよ

初めての個展を開催した年の秋に、第二子を出産しました。

前後して、せっかくはじめた平面作品や絵本の制作を続けるにはどうしようかなと考えていたので、ZINEのグループ展に参加したり、翌年の個展開催の計画を立てたり、出版社にコンタクトをとったりしていました。

絵本を商業出版するなら、自分と世の中の接点を見つけなければいけないと考えていました。

そこで、パッと思いついたのが「遠野物語(著・柳田国男)」。

私は岩手県遠野市出身で、幼少の頃から遠野物語には馴染みがあります。祖父から遠野物語に載っていない昔話を聞かされた事もあります。
「遠野物語を絵本にしたいな〜」
と、ふと思いついたのです。

水木しげる大先生の漫画もあるよ。

ただ、遠野物語の絵本はすでにいくつか出版されていました。京極夏彦氏の「えほん遠野物語シリーズ」が、それです。しかも、最近出版されていて、題材が重複するわけにはいきません。
なので、京極氏が絵本化していないお話しを絵本にしないといけないな。と考えていました。

ある時、「とりあえず遠野物語を読み返そう。ヒマだし〜(←第二子出産前だったので……)」と思いたち、家の本棚にあった遠野物語の文庫本を手にしました。

この画像の文庫本は、夫からもらったものです。東京生まれ埼玉育ちの夫ですが、大学生のときにこの文庫本を片手に、新幹線と列車を乗り継ぎ、はるばる遠野まで一人旅にきたのだそうです。

ちなみに、遠野物語を知らない人のために簡単に説明を↓

『遠野物語』(とおのものがたり)とは、柳田國男が明治43年(1910年)に発表した岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集である。 遠野地方の土淵村出身の民話蒐集家であり小説家でもあった佐々木喜善より語られた、遠野地方に伝わる伝承を柳田が筆記、編纂する形で出版され、『後狩詞記』(1909年)『石神問答』(1910年)とならぶ柳田國男の初期三部作の一作。日本の民俗学の先駆けとも称される作品である。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本文を読み終え巻末の解説を読んでいると、こう書いてありました。

明治四十一年十一月四日、牛込加賀町の柳田氏の家へ、水野葉舟が初めて佐々木喜善を連れて来た。

牛込加賀町は現在の市谷加賀町。えーーー!? 市谷加賀って、めっちゃうちの近所じゃん!!!

そう、私は柳田国男が住んでいた家の近くに住んでいて、まさに佐々木喜善が柳田の家に通って昔話を語り聞かせていた、その道程に住んでいたのです!!!

つまり、私は気がつかないうちに、遠野物語発祥の地に住んでいたのです。

現在私が住んでいる神楽坂は、夫がもともと住んでいた場所に、結婚して私が引っ越してきたという形で、特段「ここに住みたい!」と思ったわけでもなく、流れでそうなったのです。夫においてももちろん、遠野物語発祥の地と知っていて住んでいたわけではありません。
(ていうか、遠野物語を持って遠野に一人旅して遠野物語発祥の地に住んで遠野出身の嫁をもらう夫……笑)

ネットで検索してみたら、2010年に遠野市が柳田国男旧居跡に説明板を設置したとのこと。

お散歩がてら行ってみました。

ほ、本当にあった〜。
ここからてくてく歩いて40分ほどの、佐々木喜善の当時の下宿先にも説明板が立てられていました。

この事で、「遠野物語を絵本にしたい」という思いは強まるばかりでしたが、「でも、、商業出版の一作目は完全オリジナルがいいなぁ〜」というのが本音でもありました。

ていうか出産でそれどころじゃない。第二子出産後には平面絵画の展示も控えていたため、とりあえず絵本のことは横に置いておくことに。

後編に続く。。

【余談】タイトルは嵐の相葉くん主演のドラマ「僕とシッポと神楽坂」をもじってつけました(笑) 見てないんですけどね。(←見てないんかい!)

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