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「自助、共助、公序」とことさらに言わなくてもいい世の中を

働き方改革が進められる今。みなさんの働き方には、何か変化が起こっているでしょうか? そもそも、どんなふうに改革されれば、みなさんはもっと豊かな働き方ができると思いますか?

このコーナーでは、「働き方」に関するさまざまな話題を取り上げて、「幸せな働き方って何だろう?」ということを考えていきたいと思っています。

■「たたき上げ」と言われる人から送られるメッセージ

安倍首相の後継を決める自民党総裁選が、9月14日(月)に投開票となります。

立候補しているのは岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長、菅義偉官房長官の3名ですが、どうも菅さんに決まりそうな気配です。

この菅さんが9月2日の出馬表明以降しばしば口にしたり、テレビ番組でフリップに書いて見せたりしているのが、「自助、共助、公助」という言葉です。

2日の出馬表明の会見をテレビで見ていた私は、「まあ、そう言うでしょうね〜」という会見の言葉をぼんやりと聞いていたのですが、後半にこの言葉が出てきたところで「ええ?」と引っかかりを感じてしまいました。

菅さんは秋田県の農家に生まれ、高校を卒業すると上京していったん就職、その後大学に入り、政治家を目指して国会議員秘書になったという経歴の持ち主。この「たたき上げ」エピソードがメディアでも繰り返されていますが、そういう人から「自助、共助、公助」という言葉が出てくることに、どこか威圧感を覚えてしまうのです。

自分もたたき上げでここまでやってきた、だからみんなも自分でできる限りのことはやりなさい……そんなメッセージにも取れてしまうのです。そして、その「できる限り」がとてもハードルの高いものを押しつけられているようにも感じます。うがち過ぎでしょうか。

ここまで考えなくても、公的なものを動かす立場の人が、自助や共助というメッセージを国民に向かって送ることには違和感があります。

公助が必要なのに、まだ届いていない人たちがたくさんいる。そういう中で、自助や共助が先で、それでもダメなら公助だとハッキリ上から言われると、絶望的な気持ちになる人は多いのではないでしょうか。もう自助も共助もやり尽くしたんだよ!と……。

ちなみに、菅さんはたたき上げではあると思いますが、お母さんや叔父、叔母が教員をしていたり、お姉さんも大学に行って教員になったりと、貧しさゆえに進路が閉ざされていたり、学びよりも稼ぎに価値が置かれるような家庭に育っていたわけではなさそうです。

ただ、生まれながらに政治家を志すのが自然といった家庭に生まれたわけではない、という感じですね。

■自己責任ではブラック企業もネットカフェ難民もなくならない

さて、世の中を動かすような上の立場にいる人が「自助、共助、公助」と言い切ってしまうのは、会社においてブラック上司が「俺たちの若い頃は寝る間を惜しんで働いたんだ!」とブラックな働き方を部下に押しつけるのにも似ている気がします。まずは死ぬほど働いてから権利を主張しろ、というような考え方です。

あるいは、子育て経験のある高齢者たちが若い母親たちに「なんでこんなこともできないの!」「もっと我慢しなさい」と昔の価値観を押しつけて、新しいさまざまな母親向けサービスや行政施策を「必要ない」と言い切ってしまうのにも似ているかもしれません。

でも、そんな言葉に私たちは惑わされてはいけません。

自助、もちろん、自分でできる余裕がある人はやればいいのです。でもそれを人に押しつけるような言動は、できるだけ慎みたいと思いませんか。

世の中に広がってしまった「自己責任論」、これによっていったいどれだけの人たちが受けられるはずの公助を受けられず、またブラック企業などで潰されてきたことか。自助がことさらに主張されることにより、どれだけの人が共助の心を失ってきたことか。

たとえばコロナ禍において、ネットカフェに寝泊まりしていた人たちが家を失いました。公助も少しは発動されましたが、正しく発動されたわけではありませんでした。自治体が借り上げたビジネスホテルに入っても、十分に暮らしていける賃金を得られない状況のまま、期限が過ぎてまた路上へ帰っていった人たちもいます。

そもそも、こうした支援につなげるために、路上生活者たちに必死に情報を届け、手続きを助けていたのは民間のNPOでした。

こうした困難を抱えた人たちに、世間が投げかけたのは「仕事なんか選ばなければいくらでもある」「田舎に行けばいいだろう」「なぜネットカフェに寝泊まりしていたの?もっと働いて稼げばいいのに」「好きでネットカフェに泊まっていた人に、どうして税金でホテルを提供しなければいけないんだ」という心ない批判でした。

ネットカフェに暮らさざるを得ない人たちにはさまざまな事情があることは想像できますが、そういったものもすべて「頑張り次第でなんとかできるもの」として多くの人が批判する側にまわるのです。

こういうことが進むと、いざ自分が困ったとき、働けなくなったとき、働き場所を見つけたのに理不尽な目にあったときに、誰も助けてくれない社会ができあがります。

チャレンジして失敗した人は、ただの愚かな人となり、チャレンジせずにストレスをため込んでいる人たちの格好の餌食となっていくでしょう。

さて、「自助、共助、公助」です。

私は、自助を他人に押しつけず、共助で自分も他人も幸せになることを考え、公助は「必要なときに必ず正しく発動されるもの」として安心して暮らしていきたいものです。

働くうえでさまざまなチャレンジができる世界で、生きていきたいです。失敗をしたら袋だたきのような目に遭う世界は嫌です。

みなさんも、「自助、共助、公助」をどのようにとらえるか、一緒に考えていきましょう。


大西桃子
1980年生まれ。出版社2社、電子出版社1社の勤務を経て、2012年よりフリーのライター・編集者として活動。2014年より経済的に困難を抱える中学生を対象にした「無料塾」を立ち上げ、運営。

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