見出し画像

指先に触れそうで掴めないこの想い

"ピアノの森"を見ていて、少し昔の自分を思い出した。

普通の人が習うような本格的なコンテストに出るようなピアノ教室ではなくて、ただシンプルに指の練習をするように協奏曲を弾いているような感じの教室。

難しい曲を弾けるわけではないし、10歳から本格的に弾いていないのに、演奏を聴くと昔の自分を映し出すような、心をえぐられるような不思議な感情で涙が出た。


みんなが普段聴くような音楽も歌詞に沿った感情が生まれるように、協奏曲も作った人の思いを込めたものがある。
その背景は昔ならではのものもあれば、今の自分に当てはめれることもある。

だから基本的にはピアノを弾くときは、ショパンならショパンの、バッハならバッハのその時の感情を鍵盤に乗せる。

特にピアノの森はストーリーに沿って、それぞれの選曲があるからこそ色んな人の想いをバックに乗せすぎて、心苦しくて涙が止まらない。
ピアノをしている人、していた人にはぜひ見て欲しいアニメだ。


私が見ながら昔を思い出すからか、心を抉られてもどかしい感情、そして手を伸ばしても触れる触れられないレベルのところで届かない。

目の前にあるはずなのに。どうして届かないのか。
声に出したくても、言葉が出せない。
ただ、苦しい。苦しいのだ。

ただピアノに触れられたらおさまるものでもなくて、何をどうすればいいのかもわからない。
だが、心が、体が何かを追い求めている。

このもどかしさに名前を付けるとしたら何なのだろうか

わからない。
喜怒哀楽を超えた多くの感情をかき乱されている。

強いていうなら、沼の中から垂らされたたくさんの糸から自分の追い求めている答えの糸を探しているというものなのだと思う。


こんな気持ちになったのはかなり久しぶりで、普段の自分の感情をまとめたものに違いない。
だからこそ涙が止まらなかったのだろう。

普段は精神が安定しない風邪を弾いたときに、夢の世界でこの感情に侵される。
感情を心から叫びたいのに、喉から声が出ない。

心を掴まれるこの気持ち、言葉ではうまく表せないこの気持ちを自分の中に落とし込んで、包み込めるように。

きっとこれは色んな感情が混ざった本心だと思うから。

そんな今も涙が止まらない。
苦しいけれど、これもまた自分の気持ち。

ご支援いただいた分は海外移住への未来の投資とコーヒーの技術向上に使わせていただきます。