見出し画像

教育の形ってどんなのがあるんだろう?

こんにちは〜

松葉です。

僕たちはKids Lab.で「プロジェクト型学習」を推進していますが、なんで公教育は「ミッション型学習」なんだろうっておもいませんか?

そんなにプロジェクト型がいいなら、公教育でやればいいじゃんって話ですよね。

そんな疑問をお持ちのあなたと共に!!今日は日本の教育の変遷を辿ってみましょう〜〜〜〜〜(楽しいな)

教育ってなんだっけ?って話は前回したので、そちらを見ていただくとして、いつから教育って始まったの?原始人?天照大御神?聖徳太子?

実は日本で教育が始まったのっていつからかよくわかってないんですよね。というか、「社会の一員を育てる」ことが教育なのだとすれば、別に国語や数学を体系的に教える人や施設がなくとも成立しうるのでまあみんな興味関心に沿ってやってたんじゃないのーってのが僕の見解です。

歴史上、記録が残っている中でそのような記述があるのは山上憶良(多分中学か高校ででてきてみんないじってたオクラさんです)の貧窮問答歌(いま激アツの万葉集に収録されており、律令体制辛いよー税金辛いよーみたいなやつです)の中で、親や親近者が子供を社会に一員として幸福に生きることを願って手助けするみたいなものがあります。

ちなみに、この歌ができたのが大体730年ごろですが、それより少し前の701年には「大宝律令」によって都に大学寮というものができます。組織の風土としては今の大学に似ており、自らの興味関心や教養を身につけるために通っていたっぽいです。(当時の身分制の中では特段大学寮に通わずとも地位につけるものが大半であり、そのような地位の人が大学寮に通う必然性は全くないため)

また、この大学寮が公的な機関であるとすると、少し遅れて一族限定の塾みたいなものも出てきます。当時は貴族が実権を握っていた時代だったので、その争いや地位を守りため教養や研究が欠かせなかったようです。しかしながら一律○○をやるというものでもなく、それぞれの得意分野や関心ごとを主とし、幅広く学んでいたようです。

次に鎌倉・室町付近ですが、ここでは貴族が衰退し、僧や寺院が台頭しています。そのため古典研究が盛んとなり、五山文学などを残しました。寺院に興味のある人たちのために学ぶ環境を作り、好き勝手学んでいたら、めっちゃ価値のあるものが後世に残っちゃったって感じですかね。

また武士などの階級では、後進のための図書館(金沢文庫・足利学校等)を建設したり再興させたりしました。金沢文庫では様々な研究の対象となりうる書物が保管されており、足利学校はちょっと専門学校っぽい雰囲気で易学・医学などをベースに教えていたそうです。

庶民の間では趣味が洗練され「芸能」というものに変容しつつありました。

お次は江戸時代です。超長い時代なので、前期と後期では雰囲気が違いますが、ベースはやはり興味関心に基づく学習のようです。

前期は幕府が安定していたため、町人や豪商などが中心となり「文化」っぽい学びが各所でされていました。松尾芭蕉とか、菱川師宣、あとは歌舞伎とかもこの時代の産物。

学問的にも真言宗の僧が万葉集を研究したり、星を観察していた渋川春海という幕府の人が暦を作ったり面白い発見がたくさんされていた時代でした。星観察してたところから暦作っちゃうとかめっちゃ面白いな。。笑

こんな感じの自由で開放的な江戸時代前期の雰囲気ですが、ここまでの担い手は学者とか豪商とかで、庶民は結構気ままに暮らしていたいみたいです。

さて江戸時代後期。幕府の体制も多少揺れ始め、教育こそ体制強化の一助となる!ということで各藩が藩校や塾を作り始めます。それとは別のストリームの中で、江戸前期に作られた文学とかを俺らも理解してみたい!みたいな需要があり庶民を対象とした寺子屋ができました。以来、寺子屋は学びたい意欲がある生徒にすでに知識がある人がサポートする体制がとられていきました。

そして明治〜現在。

ここで「教育」というものの形がすごく変わったように感じます。

明治時代に日本も産業革命・工業化の流れが加速します。また、他国との戦争などもあり「おんなじ様な作業がおんなじ様なクオリティでできる人」の育成が急務になりました。例えば蒸気機関を構成するには、A・B・Cそれぞれの部品を同じ様に取り付ければ良いだけでそこに創意工夫や、自分なりのエッセンスを加える必要はなかったのです。つまり一定の理解能力があるがあまり自分で考えなくなった平均化された人間がそこには必要だったのです。そのため教育ではそういった人材をいかにして作るか、ということに焦点が置かれました。その結果として、都合に良いミッション型学習が採用されたり、障がい者と呼ばれる人たちは排除されていきました。

自分で思考し、異議を唱えたり、健常者の様に働けない人たちは工業化の流れでは不必要だったからです。まあ確かに同じものを作りたいのに急に自分なりのロボット作ったり、そもそも作れなかったりする人はいりませんよね。いらないというかそこに役割や居場所はありませんよね。当時の背景を考えると当然だと思います。

そんな流れで戦争に突入し、負けました。明治に突入してから約150年、戦争に負けてから約75年。あの頃とは時代背景・前提条件が全く違う世の中になっています。様々なテクノロジーによっていろんなことが変わりました。しかし、教育はいまだにあの頃とほとんど変わっていません。シーラカンスかよってぐらい変わってません。

5教科学習が大事だ、偏差値は大事だ、大学名が大事だ。それも大事かもしれません。今の日本では勉強はできた方がいい場合もあります。でもそれが全てではないです。

僕たちが作ろうとしている教育の形に違和感を感じる人も多いかもしれません。ただ僕たちは「プロジェクト型学習」をやろうといっていますが、これは何も新しい試みではなく、むしろ日本がずーっとやってきたか形に戻そう。その上で戻すだけではなく現代の文脈を加えて教育をアプデートしようと考えています。

社会に出て幸福になる、社会に出て与えられる人間になる。そのために必要なものはなんだろう。数学の人もいるだろう。物理の人もいるだろう。でも5教科に含まれないこと、偏差値で測れないことで与える人間になっている人もたくさんいる。Kids Lab.はそんなことをお伝えし、実践できる場所でありたいと考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?