自転車とバッグ

 通勤に自転車を使うようになって半年が過ぎた。リュックサック、或いは肩掛けバッグ、現在は「リュックサックと肩掛けバッグ」というどっかの軍隊の伝令のような装備で朝夕ロードバイクを漕いでいる。火野正平氏のスマートさとは対極だが。

 中身から外れないのはノートPC(LavieZ)&トラックボール、AcerのWindowsタブレット、iPad Air、そしてニコンD600だ。Quiksilverのリュックサックは電源ケーブルを含めてこれらが全て入る。あと、トラベルポーチ、歯磨き、買い物用エコバッグを詰めてもまだ余裕がある。凄いぞリュックサック。街の中にコンビニとファストファッションストアがあればそのまま旅行に行ける。財布やスマホ、鍵の類はTUMIの肩掛けバッグだ。肩紐の調節がしやすく、自転車を走らせていて苦にならない。

 私は旅行に行く時「身の回りのものがないと落ち着かない」という悪癖がある。ウイスキーも家でフラスクかミニボトルに詰め替えて持っていくし、箸もグラスも持っていく。ティーバッグ、インスタントコーヒーでさえ詰め替えて持っていく。どんなにアメニティが充実しているホテルでも、自分が使っているバスアメニティや整髪料、ブラシ、爪切り、フレグランスに至るまで1つのポーチに入っている。iPad Airを買ったのは「本は重いけど、でもいつでも本は読みたいの。え、電子書籍?バッグにつめ込まなくても整理しなくていいのね!」という理由からで、これで旅行の時に雑誌や単行本を持ち込んだりすることがなくなった。もっとも私が読んでるOCEANSもサライも未だ電子化に対応してくれないのだけど。Windowsタブレットはエロゲー及び艦これ専用マシン。D600は以前のAdidasのリュックでは入らなかったが、今度はスムーズに入る。もうあと1本くらいレンズ入りますぜといわんばかりの余裕なスペース。かつてはプライベートで愛用してるLouis Vuittonの肩掛けバッグに入れていたが、カメラは窮屈そうだしバッグは型崩れしそうになるしで見栄えの面でも改善された。以前使っていたLONGCHAMPの肩掛けはこれらの重量に耐え切れず、留め具が二度壊れたのだが。

 「そこにあるもの/用意されてるもの」で満足する、或いは工夫して使うというのが出来るひと、出来ないひとがいる。私は後者で、例えば出張の際にPCのトラックボールを忘れてきただけで、秋葉原で同じものを探してしまうようなひとだ。かつては「今日はこれが食べたい」と思えば、深夜に自転車走らせて24時間営業のスーパーマーケットまで買い物に出かけたりしていた。今は「冷蔵庫にあるもので献立を考える楽しさ」を知ったので、そんなことはまずないけど。常に自分の感覚がいちばん大事で、自分が選んだものしか使いたくない、そういうわがままな感覚がある。この感覚はとても不便で、相手を選べない時、例えば仕事先とか家族とか、そういう相手の時に何かが欠けていると苛立ちがある。それを隠して取り繕う術はこの20年間で身についたけど、やはり気持ちのいいものではない。

 あと1週間で私は40歳の誕生日を迎える。先週に父が亡くなり、父と共有してきた世界は39年と11ヶ月、3週間弱で途絶えた。こうした「こだわりが完成しないと苛立つ癖」というのは、似たような性癖のあった父がいなくなったからと言って治るとも思えないし、治ったからと言って何かが変わるわけでもないだろう。しかし「あるものをどう工夫して使いこなすか」という癖に変えていくことも大事なのかもしれない。父の遺品となったQuiksilverのリュックを見ながらそんなことを思った。

 

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