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  • 疒日記

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最近の記事

疒日記11 音楽が終わったら

何かが終わるときThe Doorsの「The End」が詩情たっぷりにつかわれたりするのがいやで、だったらまだ同じThe Doorsの「音楽がおわったらで」充分じゃんかと思ってたのだが、最近はその曲でも全然詩情も何も感じない。カラカラと響くただのアメリカン・ロックだ。ホテル・カリフォルニアもいい線いってなくはないけけまど、いまいいちだめだ。すっかり心身ともに乾ききっている。わさかここまで乾くとは思っていなかった。さては生命とは潤いだったのかもしれない。ある種の例外を覗いて、生

    • 疒日記10 右手

      いよいよつらくなってきたな、という実感がある。つまり、あられもない言い方になるが、死にたい。そろそろ死にたい。 ただ、死ぬということが結局何なのかを我々は知ることができないし、ならばそれを望むというのもへんな話ではある。だから、こういい直してもいいだろう。もうそんなに生きていたくない。それほど生きていたいと思わない、と。 決定的だったのは右手の麻痺かもしれない。それは先週末から突然始まった。横浜まで小旅行をしたときだ。旅行出発前日、病院を一時退院し自宅に戻ったのだが、この

      • 疒日記09 自己否定

        この日記の更新の間隔がどんどん広がっているのは、体調の管理に手こずっているせいもあるが、それ以上に、病気を劇的なものだと捉えるような感覚が僕の中でどんどん薄まってきているからだと思う。以前は身に起こることを、こんなことがあった、そんなこともあった、と書いていけばよかったが、今はもう、ずいぶんのっぺりとした生活で、これといって書くことがない。自分の実存と病を患っていることがすっかり重なってしまい、輪郭線のブレを認識することすら面倒になってきているのだった。 病者であることのド

        • 疒日記8 | Art for ◯◯

          僕のガンに対してアート/アーティストは何ができるか、と問うたところで前回の日記は終わっていた。もちろんこれはある種の皮肉であって、本気で問うているわけではない。しかしその一方で、僕はこの三ヶ月のあいだ、思いのほか「アート」に触れてきた。 気になりだしたのは11月半ばのことだ。診療が進む中でガンであること、しかも肺以外にも転移していることが明らかとなってきて、PET-CTという、全身をチェックする検査を受けることになった。ところが世話になっている病院にはその設備がなかったので

        疒日記11 音楽が終わったら

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        • 疒日記
          10本

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          疒日記7 |デクノボー

          思うところあって前回の日記は「寄付受付用」にしたのだが、説明が不十分だったか、危口のイタズラであるかのような誤解を招いてしまったようだ。だから今回の日記ではきちんとした説明と、そもそもの発端である「思うところ」について書いてみようと思う。 ただ、この「思うところ」は、あくまでも先週(昨年末)の僕が思っていたところであり、今はまた違ってきている。だから、ここで書くためには過去のことを思い返すようにして書かねばならない。そして、この思い出すという作業はちょっとばかり苦痛だ。しか

          疒日記7 |デクノボー

          疒日記6 | お年玉

          支援したい! 有料でも読むよ! という声が届くこともあり、たいへん嬉しく思っています。けど、自分の文章にそこまでの自信はなく、また、値段をつけることで書く内容が変にねじれるのも嫌なので、この日記だけ有料にして寄付など募ってみようと思います。頂いたお金は、主に携帯電話やモバイルWi-Fiの通信料金に充てさせてもらう予定です(病院のベッドでiPhoneを眺めているとあっという間に通信規制に……)。

          有料
          1,000

          疒日記6 | お年玉

          疒日記5

          気力はあるが体力がない、もしくはその逆という日々が続き、前回の更新から時間が経った。しかもその間、「疒日記読んでるよ」などとほうぼうからメッセージが届き、感じる必要もない重圧を手前勝手に抱え込んでもいたのだった。これらはすべてどうでもいいことである。 11月初旬、やはりというか何というか、病気のことを知った僕は「先行事例」を求めていた。つまり、似たような境遇で亡くなっていった先人たちのことを知ろうとした。これは、演劇に関する僕の持論とも合致した行動だった。 ひとは、日常の

          疒日記5

          疒日記4

          正直いうとここ数日は調子が悪い。でもこの状態ですら後々から振り返ると得難いものであるやもしれず、それならば、だめなりに何かを書こうと思う。キーボードを叩くのはまだしばらくいけると思う。あとは肉筆、紙とペンで文を書いたり絵を描いたりする時間と体力が少しでも長く続いてほしい。 病のようなネガティブと考えられる物事に使うのはおかしいかもしれないが、日進月歩だと思う。僕の癌は。僕に似ず、実に真面目だ。 まず、自覚症状が明確となった10月から検査が本格的に始まった11月までの展開が

          疒日記4

          疒日記3 | 因果とか調和について

          1 悪いことをしたら罰が当たる、いいことをしたらご利益がある、という単純な因果はあまり好きではない。いや、好き嫌いの問題ではないか。これは、そうあってほしいという素朴な願いであって、別にこの世の摂理ではない。自然はそんな単純な法則で動いてはいない。だからこそだろう、荒ぶる自然の中にあって人は信賞必罰を求める。せめて自分たちの作る社会ではそれが徹底されるよう力を尽くす。そこに、病が、災害が、到来する。 単純な因果を信じていた人にとって災いは、罰でなければならない。となると、

          疒日記3 | 因果とか調和について

          疒日記2 | 泣くことと痛みについて

          淡々と死を受け容れていたと書いたが、それでも顔色ひとつ変えなかったわけではない。当然のことながら、かなり泣いた。おおいに泣いた。感情がこみ上げる度にベッドに突っ伏して咽び泣いていた。特に11月上旬あたりは。 泣くのは決まって、人に会ったり、電話をしたり、メールのやり取りをしたり、つまり他人と関わりを持ったときだった。人の情に触れるとこちらも動揺し、涙が溢れ出すのだった。協働していた人たちに病のこと、それゆえ仕事から降りることをメールで伝えると、みなさん温かい言葉を返してくれ

          疒日記2 | 泣くことと痛みについて

          疒日記(やまいだれにっき)

          はっきりと異変を自覚したのはふた月と少し前、9月から10月になる頃で、まず声が掠れて出なくなった。咳はもっと以前、夏から続いており、声の出なくなったのもそのせいだろうか、気管支炎などこじらせたかと思っていた。次いで背中が痛くなってきたが、これも数年前、工事現場で働いていた頃に痛めた古傷の再発だと思い込んでいた。 10/15に新宿歌舞伎町でパフォーマンスをやって、その数日後、あれこれ落ち着いたところで近所の病院に行き、レントゲン写真を睨みながら精密検査を受けるよう強くすすめて

          疒日記(やまいだれにっき)