疒日記4

正直いうとここ数日は調子が悪い。でもこの状態ですら後々から振り返ると得難いものであるやもしれず、それならば、だめなりに何かを書こうと思う。キーボードを叩くのはまだしばらくいけると思う。あとは肉筆、紙とペンで文を書いたり絵を描いたりする時間と体力が少しでも長く続いてほしい。

病のようなネガティブと考えられる物事に使うのはおかしいかもしれないが、日進月歩だと思う。僕の癌は。僕に似ず、実に真面目だ。

まず、自覚症状が明確となった10月から検査が本格的に始まった11月までの展開が早かった。声が掠れ、背中が痛み始めた。そして次、倉敷に移る12月までにさらに病状は進行した。11月中、内視鏡からCT、MRIまであらゆる検査を受けてきたが、その間も病は病として着実に進行し、背中の痛みは範囲と深度を増していった。そして倉敷への転院後、病はさらに影響力を拡大した。

数日間実家で過ごし、入院したのが12月5日、翌6日には自覚症状が出てきた。なんだか歩きにくい。足元がおぼつかない。背骨に転移した癌が悪さをしているのだった。それにしても、その日の衰弱の速度ときたら驚くべきものだった。夜にはもう、何かにつかまらないと立てなかった。そして7日の朝が来る頃には、ほぼ下半身不随状態になっていた。


これを受けて病院は緊急手術(硬膜外腫瘍除去)を実施し、それはある程度成功した。いまは物につかまって立ったり座ったり程度はできる。ふだんは車椅子を使って移動している。だからぼくが入院後にやっていることといえば(膨大な何もない時間を何とかしてやり過ごすという全ての入院患者の義務を除き)、足腰のリハビリだったりする。癌で入院したのだが。

ここでふと、治療ってなんだろうと思う。11月のある時点から僕が癌であることは明白だった。しかし、癌そのものに対する治療――放射線なり抗癌剤なり――はいまだに行われていないのだ。その間にも癌は着実に進行している。実に不思議な事態が自分の身に起こっていると感じる。

そして今日、手術後に世話になっていた整形外科から、本来の帰属先である呼吸器内科へと病棟を移った。ようやく癌の治療が始まるようだ。と思ったら、放射線治療の予約がパンパンで、本格的な開始は再来週になるとのこと。

"システムはつねに良好だ"(P・K・ディック『ヴァリス』)。

病院は医療スタッフと病人からなる複合的組織であり、ここでは我々病人にも病人としてのつつがない振舞いが期待されている。治療はもちろん、食事その他、提供されるサービスを粛々と消化していくことが重要で、本質的にイレギュラーは忌避される。病や死というイレギュラーを扱う施設にもかかわらず、こうなのだ。不思議だと思う。近代の不思議さ。

ところで、今日はもう一つ書いておかねばならないことがある。お見舞いについてだ。

ここまでの展開が急だったことは、僕自身よりも周囲を慌てさせたと思う。だから引越し直前には横浜のアパートにたくさんの友人が来たし、倉敷に移転後も遠くから来てくれる人たちが大勢いる。それはとても嬉しくありがたいことで、よくぞという気持ちが強い。だから当然会えるだけ人と会っていたのだが、これが思ったより体力を削ってしまったようで、今週半ばあたりから、発熱を繰り返すようになってしまった。

だから、いまは新しい見舞いの連絡は、ちょっと待っていただくよう返信している。個人的な感覚でいえば、週に1〜2組くらいがいいペースかなと思うが、やはりこれも病状次第だ。断りの連絡をするのは心苦しいが、何卒ご理解いただきたい

ついでにちょっと愚痴めいたことも言わせてもらうと、自分に寄せられる見舞いの打診を自分で管理するというのも疲れる。「◯◯だけど、◯月◯日、空いてる?」というメールが毎日届く。これではまるでスタジオの予約受付係だ。見舞いなんて、ふらっと立ち寄って、会えたら会う、ダメなら帰る、くらいでいいんじゃないか。

善意で連絡をくださる人たちに冷水を浴びせるようなことを書いてしまったが、もう、このくらいのわがままは自分に許そうと思う。

でも、これで連絡がぱたりと止んだらそれはそれで寂しいけど。



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