疒日記8 | Art for ◯◯

僕のガンに対してアート/アーティストは何ができるか、と問うたところで前回の日記は終わっていた。もちろんこれはある種の皮肉であって、本気で問うているわけではない。しかしその一方で、僕はこの三ヶ月のあいだ、思いのほか「アート」に触れてきた。

気になりだしたのは11月半ばのことだ。診療が進む中でガンであること、しかも肺以外にも転移していることが明らかとなってきて、PET-CTという、全身をチェックする検査を受けることになった。ところが世話になっている病院にはその設備がなかったので、急遽近所にある他の診療所に行くことになった。そのあたりの段取りは当時の主治医の先生がテキパキと進めてくれた。その場で電話して翌日の予約を取り付けてくれた。いま思い返してもいい先生だったと思う。また会いたいな。

翌日。指定された時刻にちょっと遅れそうだったので、新横浜の駅を出てすぐタクシーに乗った。ちょっとしたオフィス街、そして繁華街を抜けると、すぐにいかにも郊外といった風景が広がり始める。川を渡り、かつて町工場が密集していたであろう地区の端の方にその診療所はあった。3から4階建てくらいの大きさの鉄筋コンクリート造のビル、大きさに比して窓は少ない。建物周囲に植えてあるのは普通の街路樹ではなく、なぜか棕櫚の木だった。

タクシーがエントランス前の車寄せに停まる。手元にファイルを持った看護師が既に出迎えの準備を整えている。木口さんですね? まだ車から完全に降りないうちに尋ねられる。はい、と答えそのまま案内に従い建物の中へ。入ってすぐ左手に受付、右手にソファの並んだ待合がある。ちょっとしたホテルのような設えだ。壁面には額に飾られた絵がかかっている。僕はその平面に瞠目する。コレハ、イッタイ、ゼンタイ、ナンダ……

上半分はブルー、下半分はグリーン、つまり空と草原が描かれた絵だ。タッチは曖昧としている。油彩ではない。水彩のようだが、どうも確信が持てない。とにかくボンヤリとしている。いちいち近くまで寄って眺めることをしなかった。今にして思えばそうしておけばよかったかもしれないが、そのときはそこまで気が回らなかった。

どんな絵だったか知りたい人は今すぐグーグル画像検索で「草原」と入力してリターンキーを押せばよい。最初の方に出てくる当たり障りのない画像が、それだ。雲や樹木も描かれていただろうか、そうだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。とにもかくにもボンヤリだった。

このボンヤリ感は絵だけにとどまるものではなかった。受付を済ませ検査着に着替えると、まずは薬を飲むことになる。それが身体中に行き渡るまでの小一時間ほど、安静にしていなければならない。専用の部屋に案内される。小奇麗な漫画喫茶の個室のような空間。そして遠くというほど遠くでもない場所、壁一枚隔てたような場所から微かに音楽が流れてくるのが聴こえる。どんな曲だったかは思い出せない。いわゆるイージー・リスニング系だったか、それともクラシックだったか。やはり当たり障りのないものだ。

僕はここで、かつて観てきた映画のことを思い出していた。SF映画だ。『2001年宇宙の旅』であったり、『ソイレント・グリーン』であったり。

死や終末を前にした人間に与えられるべき光景はなんだろうか。『ソイレント・グリーン』の場合、時の政府は死を選んだ人間に、自然を撮影した映像とベートーベンを提供した。方針としては比較的ハッキリしているように思う。少なくとも僕が新横浜で提供されたものと比較すればこっちのがマシだ。

しばしば言われることだが、現代文明は「死」を扱いかねている。日常生活を脅かす異物、怪物として排除しすぎたせいで、いま僕たちはそれとどのようにして付き合っていけばいいのかわからなくなっている。しかし絶対に消すことはできない。それは絶対に、いつか来るものだから。そこで、曖昧なまま何とかごまかそうとして、この、僕が体験したような空間が出現するのだった。

放っておくと、死を扱う施設の空間はどんどん無味乾燥になっていくんじゃないだろうか。フンワリした明かりの照らす、無人の、がらんどうの空間、うっすらと流れるBGM、まるで閉店直前〜直後のショッピングモールのようでもある。そして実際のところ、最近一般的になってきた斎場、葬儀場の空間も、だいたいそんな雰囲気で作られている。

ところでかつて僕たちが死を意識してきた空間といえば宗教施設だった。日本なら寺だ。僕たちと死との間にあるインターフェイスとしてお寺の空間はある。そこで気づくのだが、思いのほか、お寺は装飾的だ。そこには、死という、巨大な「真空状態」への畏敬の念をみてとれる。向こう側を直接目にすることがないよう、おびただしい装飾でもって埋め尽くしたかのように思える。

ちなみに僕が現在入院している倉敷中央病院は、大原美術館を作った大原孫三郎が創立した施設なので、一階の廊下には美術館のコレクションの複製画が掛けられていたりする。確かコローとかピサロなんかの風景画が多かったようなきがする。残念ながら僕が居る上層階の壁には何もかかってないのだが。


このテーマで、もうちょっと色々書けるような気もしていたのだけど、体力が落ちてきたのと、それから、前回の更新から随分間が空いてしまっていることでもあるし、とりあえずここでストップして公開しようと思う。また体力ゲージが溜まったら続きを書くつもりだ。死生観は大事なテーマだし。


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