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年イチの恒例行事

 文学部文学科表象文化論講座という学内屈指の何やってるかわからんエリアに自ら足を踏み入れ、勉強自体はそこそこ楽しいものの相性の悪い教授とのディスカッションに胃を痛め、就活で全くツブシが効かないと嘆きながらも、大学院に行ってまで学び続ける気力もなく、しかも半年前にフられたことがわずかに尾を引いていた頃のこと、電池の切れかかったような学生生活を過ごしていた3年の夏のことであった。

 どうにもならない気分だったので遅くから行きつけの居酒屋で飲んでいた。特になにか嫌なことがあったわけではないが、ここのところ調子が上がらない。調子が上がらないというか覇気がない。しかし、やはりというべきか気分の沈むときなのであまり酒が進むわけではなかった。午前1時。仕方がないのでお開きとすることにした。
 したのだけども、どうにもまだ飲み足りない。だから近くのコンビニで酒を買うことにしたのは必然であった。缶ビールなど買って、もうどうにでもなれという気分だったので行儀が悪いのなんのという良心を道に捨ててコンビニの前で早速1本呷ってしまおう。
 と、缶に口をつけた途端に街灯のあたりから見知った女の子がコンビニに近づいてくるのが見えた。
 こちらの存在に気づかれるのは自然の摂理であった。読谷山さんである。
 読谷山さんというのは私と同じ文学部文学科表象文化論講座の3年生であり、本当に本とか文学が好きで講座を選んだ奇特な志の持ち主であり、私と違って教官ガチャに成功したため今のところ文学部の闇に沈む必要のない幸運の持ち主である。初めて会った時からよく三つ編みで来るため比較的女子の多い文学部にあってもなおかえって珍しいタイプであり、昨今のキラキラ女子とは一線を画す慎ましやかさと可憐さであった。
「なにやってんの」
 コンビニの前でビールを飲もうとしてました。と懇切丁寧に答えるでもないが、見ての通りといってごまかした。ふうん、と答えた彼女がなにを考えているのかわからなかったが答えを出す間もなく「ちょっと待って」
 そういって読谷山さんはコンビニに吸い込まれていった。ほどなくして袋を提げて出てきた。
「ここで飲むのもあれだし場所変えようよ」
言っている意味がよくわからなかったが、どうもこれから彼女と酒を飲むらしい。
アルコールが回って思考が鈍っていた私は彼女に言われるがまま歩き出した。
 歩き出したと思ったら隣でプシュっと缶を開ける音がした。見ると読谷山さんがチューハイを飲み始めていた。
「なんか不道徳ってこういう感じなのかもね」
彼女は悪びれるでもなく言った。面白くなってしまった私は彼女の不道徳に付き合うことにして、歩きながらビールを飲み始めた。
 どうやら彼女はレポートのために徹夜をしていて休憩がてらコンビニに行こうとしたところ、私を発見したらしい。そこからどうすれば歩きながら酒を飲むことになるのかは不明なのだが、しかしアルコールが入った私は饒舌だったので、普段はあまり話さない彼女とも話が進んだ。

「最近なんとなく元気なさそうだよね」彼女に問われた。
「ゼミでなあ、あのヒゲがどうにも」
いってくれるなよ、なんて笑いながら彼女は返した。やはり教官の悪口は大学生にとって最高の酒の肴だ。
 そこから話はあまりよく覚えていない。ただ、普段はあまり話さない好きな本の話とか音楽の話とか、そういう話をしたような気がする。はっきりと覚えていることは私が毛皮のマリーズを激烈に薦めたことと二人の間を流れる夏の夜風の感触だけだった。

 住宅街を抜け、駅を過ぎ、繁華な通りの向こうに来た。どのくらい歩いたかわからないが、少なくとも買っておいた2本のビールはもう飲み切ってしまった。
 さすがに疲れたのか、お互いの言葉は少なくなった。なんとなく歩き続け、川の橋を渡ろうとしたとき、読谷山さんにこっちに行こうよ、と土手の方へ誘導された。普段は自転車やランナーの走るこの土手も深夜には誰もいない。風が吹き私たち二人が立っているだけだった。そして、そのままどちらから行くわけでもなく、私たちは土手を川の方へ下りていった。

 歩き続け疲れたものだから土手に腰掛けて休んだ。ぼんやりとしてなんの気なしにポケットからタバコを取り出したときだった。
「あっ、それなに?」
 しまった。基本的に知り合いの前では吸わないようにしてたのに。
「なに?タバコとか吸うの?」
「いや、吸うとかいうわけでは……」
「でも吸おうとしてたよね。どのくらい吸うの」
「1日1本くらい……」
「それほとんど吸う意味なくない?」
 なぜか詰められている気がする。さすがに特に吸わないであろう同期の前で吸うのも申し訳ないので、オロオロしながらタバコをしまおうとすると彼女がさらに
「ちょっと、吸ってみたいかも」
とんでもないことを言い出した。さすがに止めなければと説得するが、好奇心に駆られた彼女の妙な圧に負けて一本渡してしまった。
「へえ、タバコってこんな感じなんだ」
 興味津々の彼女にレクチャーする
「そっちのフィルターの方をくわえて……」
 こう?とまっすぐにタバコを加えた彼女は言った
「火、つけてよ」
 ライターの火をタバコの先に近づけた
「そう、軽く吸って……」
 なんというか、よくわからないのだけど確実に悪いことをしていることだけは分かる。彼女の長いまつ毛がわずかにきらめいた。

 刹那、けほけほっと彼女は軽く咳き込んだ。
「うーん。やっぱり味が美味しくなさすぎる」なんて言いながらしばらく吸い続けていた。
「香りだけは確かにいいかもしれないけど、吸うもんじゃないわ」
「それはそう。でも、こんなに香りがいいのってピースくらいだから」
 そうなのである、私が吸いたいと思えるタバコなど、香りにおいて秀でたピースだけなのだ。
タバコを持ったまま彼女はさらに尋ねた
「いつから吸うようになったの?」
「半年くらい前…かな」
「へえ、なんかきっかけとかあるの」
 なんとなく、などといってごまかした。昔の恋人の影響、なんて口が裂けても言えなかった。

 妙な時間が流れていた。

 タバコは10分くらいで吸い終わった。大した感慨はなかった。そのあとは川の土手でただ座っていた。ただそれだけだった。
そうしているうちに、やがて夜が明けた。東の方から迫ってきた瑠璃色は私達の頭上を覆い、やがて薄紫に空の向こうを染めていった。
「めっちゃ朝だあ」
いかにも呑気そうに彼女は言った。確かに朝だ。
 こんなにも身動きが取れず惑いの最中にいる私の上にも陽は昇り、世界を祝福するように照らしていくのだ。あまりにも美しくて耐えられなかった。世界とはこんなにも美しいのか。

「なんかさ、海とか行きたいね」
 彼女がつぶやく。
「いいね。行こうよ」
 私は答えた。だが、私は知っていた。往々にして約束というのはガラス細工よりも脆く、言葉もまた同じであることを。

 ふたりを朝日が照らし街が動き始めるころ、彼女はもう帰るといってふらりと帰っていった。私はしばらく動けずにいた。ただ、眩しさを増す朝日の中で次の授業のことを考えていた。


完走した感想(激エモギャグ)

 今日はいいことがあったのでやるべきことを放擲してこれを書きました。毛皮のマリーズのMary Louを聞いた直後だったのでこんな調子になったのかもしれません。あとお察しのとおり森見調は無意識のうちに入っているはずです。ちなみに著者は非喫煙者です。とりあえずみんなマリーズを聞こう(結論)。








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