「きみとぼく」ということについて

 端的に言えば、そこに二人しかいないから「きみとぼく」なんだ。「きみ」と「ぼく」という人称だけで話を進めるためには、三人目が存在してはいけない。名前が必要になったら、「きみとぼく」は、もうおしまい。あとは、社会をやっていく。
 一時期、「きみとぼく」ということは、「セカイ系」という言葉と結びついて使われたこともあったけれど、例として挙がる作品はいずれも純粋な「きみとぼく」じゃない。誰かを名前で呼ばなくてはいけない物語という時点で、それは少なからず社会のお話だから。本当に「きみとぼく」だけで駆動する物語なら、個人名など出てくるはずがない。
 僕が知る限り、100%の「きみとぼく」で物語を駆動させる人間は一人しか知らない。嶽本野ばらだ。
 嶽本野ばらが「きみとぼく」についての物語を書く時、二人以外の物事は全てのっぺりとしてぼやけている。ただ、二人分の描写だけが、異常にくっきりと書かれている。なぜなら、嶽本野ばらの小説は比喩でもなんでもなく「僕」から「君」宛てのラブレターだからだ。だから個人名は一切登場しない。「君」と「僕」という人称だけで駆動している物語だから。その他脇役の皆さんは簡単な役割名で表記されるのみで、本当にのっぺりとしている。のっぺりとさせている。ラブレターに第三者なんかいらないから。
『世界の終わりという名の雑貨店』を読めば、それは君、君、君のオンパレードで出来ている。ラブレターだから。はっきり言って「きみとぼく」というカテゴライズ、ラベルが許されるのはラブレターだけだ。どこの批評家だかオタクが言い出したのか知らないが、セカイ系という概念の説明に「きみとぼく」という文言が出てくるのは絶対におかしい。「きみとぼく」とは文字通り「君」と「僕」という人称だけで駆動しなければならない。絶対に。例外は認められない。だって「きみとぼく」なのだから。そうだろうが。

 と、ここまで言ったところで、僕は例外的な「きみとぼく」の話をしようと思う。「人魚姫のきみとぼく」についての話を。人魚姫には王子様と人魚姫の他に、お姫様という第三者が登場する。でも人魚姫にとって王子様との関係は「きみとぼく」以外の何物でもない。これが例外だ。
 本来、住む世界の違う人魚姫は王子様と「きみとぼく」という宇宙を開闢させることは不可能だ。だが、人魚姫は王子自身の宇宙を諦めることによってこの隔たりを飛び越えていく。人魚姫は、王子自身の宇宙と自らの宇宙がイコールになることを諦めることで、人魚姫の意識からは確かに「きみとぼく」が成立しているという片翼の「きみとぼく」宇宙の開闢を成し遂げたのだ。
 アイドルが結婚すると、必ず大騒ぎになる。「ショックだ」と。だが、誰が誰と結婚しようが、それは個人の自由であって、あれこれ言うのは極めて道義に反する振る舞いであると言える。けれども僕は、そうして生まれた「ショックだ」という気持ちを、それが倫理的ではないという理屈を抱くことこそすれ、馬鹿にすることなど出来ない。
 ファンとは、片翼の宇宙の主だ。単なる片思いと違うのは、それが両翼になることは絶対にあり得ないということ。なぜなら、ファンという存在は黒魔術さながらの犠牲と、それに見合う飛躍を持って、本来絶対に開闢など訪れるはずがなかった「きみとぼく」宇宙を摂理を捻じ曲げて開闢させてしまうからだ。単なる片思いはもっともっと健全だ。声を失ったり、歩くことが難しくなったりなんかしない。だがファンというあり方は違う。あらゆるプロセスをすっ飛ばしていきなり「きみとぼく」という宇宙を開闢させてしまう。絶対に両翼の宇宙にならないという代償を払って。あまりにも徒労で、あまりにも釣り合わない代償を支払って、そうしてようやく手に入るのは、片翼の宇宙。片思いは、たとえ僅かであっても、両翼宇宙への可能性がある。だがファンというあり方を選んだ時点で最早それは無い。無いのだ。あらゆるプロセスを無視して愛してもらえる代わりに、その宇宙はずっと片翼で飛び続ける。
 そして片翼の宇宙はことあるごとに試される。自分が黒魔術によって「きみとぼく」の宇宙を開闢したという事実を思い知らされる。結婚のニュースで。友達と仲睦まじく遊んでいるSNSの投稿で。だが、片翼を選んだ魂は、誰に文句を言うことも出来ない。ただ、せつなくため息をもらすので精一杯だ。
 けれども、アイドルとファンの関係が「きみとぼく」であることは絶対の真実だ。ただその真実のためだけに、ファンは全てを捧げるのだ。この美しさが、ただただ道義や倫理や人権を語る人間にわかるか?僕は残念ながら、ファンというあり方を主観的に理解することは出来ないかもしれない。著名人が誰かと仲良くしていることに嫉妬したことなどないからだ。そういう意味で僕はファンというあり方を選んだことは一度もないのかもしれない。だが、このあり方の美しいことはわかる。禁忌を犯して、無理矢理「きみとぼく」を開闢させるその美しさを。

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