ヒステリー、ブンゲイファイトクラブ、イシオカについて。

 寝巻きのまんまで渋谷東急本店のジュンク堂へ行った。創元の乱歩全集を手に入れるためである。
 小綺麗な中高年の皆様が歩く売り場を、ジャージのまんま、生来のクセ毛に加えて寝癖までついているだらしのない人間が歩いているというのは、実に奇妙なことだ。そしてそのだらしのない人間とは、自分のことなのだ。
 ここ数日は本当に、ダメなのですよね。仲の良かった友達の前でヒステリーを起こし、まるっきり絶縁されてしまって。ぷいとそっぽを向かれてしまったのであって。そりゃ僕がゲロゲロとしているのは良いのだけれども、そうして僕がヒステリーを起こしたことが、相手にとって何かトラウマになってやしないかと気が気ではないのです。自分が傷つくことは、意図的に離人すればそれでオーケーなのだけれども、他人はそうはいかないものねえ。
 そんなどうにもならんことをウダウダ考えながら床についたら、寝過ごした。私は朝4時に起きてバイトに行かねばならないのだ。6時だった。担当者から電話がきたんで、蚊の鳴くような声を作り「朝起きたら熱が出ててェ」と答えた。一銭の木戸銭も取れぬかなし〜道化である。
 失礼しますと電話を切ると、もう知るかい俺ァ寝るワと二度寝。今月は台風で休み祝日で休みとバイト泣かせの月であった。にもかかわらず俺という人間はゼロワンドライバーなど買ってしまって、部屋で一人ニヤニヤしながらかしゃかしゃ遊んでいるのだ。
 11時になるとブンゲイファイトクラブなる文芸賞の一次発表があった。これは西崎憲だとか惑星と口笛ブックス周辺の方々が立ち上げたイベントで、原稿用紙6枚以内の言葉で面白いことしましょうという主旨のイベントである。小説だろうが詩だろうが、はたまた食べログに送る予定だったレビュー文でもいい。とにかく原稿用紙6枚で面白いことをすればよろしい。
 その一次選考の発表が今日あって、案の定僕の名前は無かった。応募総数293作のうち通ったのが10だか20だかで、中には矢部嵩だとか金子玲介の名前があるのだから、何ら恥じることないのだけれど。そうは言っても、である。虚脱、免れないのである。
 そうして益々ぐっちゃんぐっちゃんのへべれけになった僕の脳内では「ぢぐぢょお」「どないやねん」「あほくさあ」などの言葉が無数のちゃぶ台型爆弾と化して飛び交い、着弾。炸裂。口を枕に向かってもにょもにょと動かし、手足は死にかけの虫のように蠢き、布団の上でひすひすめそめそとしておりました。
 しばらくそうしてうごうごやっていたのだけれども、布団の上におってもなんもならんので、どうにか立ち上がり歯だけ磨いて、半ば夢遊病者のように渋谷へ向かいます。
 渋谷駅を出て、くっせえくっせえドブの臭いが、比喩ではなく本当に足の下から臭気がせり上がってくるセンター街を、ふらふらめそめそ真っ直ぐに歩くと、お上品な佇まいした東急本店に辿り着きます。
 

 江戸川乱歩の話をしましょうか。
 私がその名を初めて聞いたのは、小学生の時分であります。PTAの企画か何かで、図書室に集められた少年少女たちは、企画者たるイシオカ君の父からあるパンフレットを受け取りました。それは、乱歩の代表作について簡単な解説が書かれたパンフレットでありました。椅子の中に入る変態の話、顔と胴だけになった哀れな男とその妻の話、自分とよく似た資産家とすり替わって、空想を実現した狂人の話……。それらの解説はおよそ小学生向けでなく、本来学校教育の場では忌み嫌われるであろう官能表現も一切隠さず、どれだけそれが美しく価値ある表現であったのか、事細かに記してあったのです。その頃の僕は、小学校3年だか4年であったのかなあ。父親の書斎を右から左へ読破しようとしていた頃で、その過程の中数冊の官能小説と1冊のエロ本を発見し、手淫を覚えたところでありました。また、友人より『ToLOVEる』の同人誌が違法アップロードされたサイトを知ってからは古手川唯本を漁り、それだけでは足りずに学校の女子という女子を頭の中でひん剥いては毎日5回の射精を欠かさずこなしていたのです。
 そろそろ古手川唯と学校の女共にも飽きてきたなァ、というところで、私は乱歩の入り組んだ官能表現の端っこに触れたのであります。
 しかし悲しいかな。当時の僕に乱歩の、というか昔の語彙は難しかった。というのは、父の書斎にあったのは、新聞記者らしくその殆どがノンフィクションのルポルタージュであり、小説といえば前述した数冊の官能小説と、これも父が購読していた週刊アスキーに連載されていた森奈津子『セクシーGメン麻紀&ミーナ』ぐらいなもので。あとは教室にあった十五少年漂流記とかデルトラクエストとかゾロリを読むぐらいだったのです。だから漢字が難しくてぶん投げてしまった。勿体無いことしたなあと今でも思うのですが、読みがなの無い旧字体には当時本当にイライラしたのです。
 そういうわけでパンフレットの衝撃を大事にしつつ乱歩を敬遠していた私ですが、同じクラスには乱歩を読みこなす怪物がおりました。それがイシオカ君その人だったのです。
 私にとってイシオカ君は今でも憧れの、唯一無二の存在であります。それは乱歩を読みこなしていた、というだけでなく、彼が他のあらゆる点で非凡な少年であったからです。
 当時の僕には特技がありました。ドラえもんのひみつ道具でしりとりをすることです。私はこの遊びで負けたことがありませんでした。ただ一人、イシオカ君を除いて。私は何度も何度もイシオカ君に勝負を挑んでは敗北し、その度毎晩夜更かしをして分厚い『ひみつ道具大百科』を頭から読み直したものです。それでも僕は一度として彼に勝ったことがない。自分の好きなことを、自分よりも好きな人間がこの世界にいるという絶望。それを初めて私に突きつけたのが他でもないイシオカ君なのです。
 彼は小学3年生だか4年生だかにして、完成されたサブカル男でした。好きなバンドは「たま」で、乱歩を読み、ひみつ道具の知識に明るく、おかっぱ頭で、夏休みには目黒寄生虫館へ行き、その思い出を楽しそうに語ってくれる少年でした。あの男さえ僕の人生に関わらなければ、僕はこんなところで矮小なサブカル男をやらんで済んだかもしれない。私が人生で初めて出会った「物理の成績の悪い子どもたち」の一人。
 ああ、あの少年は、一体今どこで何をしているのだろう。エスカレーター式に同じ中学へ行ったけれども、クラスが分かれ、それぞれに別の友達が出来て、君と僕とはそれとなく分かたれてしまった。「それとなく」の引力のためというのもあるけれど、何より僕は君に嫉妬していた。君のことがコンプレックスだったのだ。あの頃僕には、君の隣にいることが耐え難い屈辱であったのだ。
 柄にもなく野球部などへ入ったのも、単に『ドラベース』に憧れたからという理由以外に、君への屈折した思いがあったのかもしれないねえ。だって僕は君のことが大嫌いだったんだ。そうして僕が君と距離を取ろうとするたびに、君はつまらないイタズラなどして僕の気を引こうとする。それも死ぬほど嫌だった。いつか取っ組み合いの喧嘩になった時、僕が君の顔面へ拳を突き落とそうとして、寸前でやめたことがあったろう。僕はその場で泣き崩れて、ブツブツと君へのコンプレックスを言っていただろう。本当に嫌だったんだ、お前が生きていることが、存在していることが。だから乱歩なんか絶対読んでやるかと思ってた。本当は、当時の僕でも怪人二十面相ぐらいは難なく読めただろう。でも嫌だったんだよ。お前のそのムカつくおかっぱ頭がちらつくから。
 今こうして僕は渋谷のジュンク堂で創元の乱歩全集を3巻ほど買ってきたがねえ、ことによっちゃあ読まないかもしれぬよ?だって俺はお前が嫌いだから。だが、お前ほど俺の本当のところを理解し、支配さえした人間はいないだろう。俺はお前の幻影を追って、ゴロゴロとどうしようもないオタクなどやっているのだ。
 お前さえいなければ……お前さえいなければ……。

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