0515 障害 カメレオン 素粒子 DTCG Hikakin mania

 5時起き。バイトへ行く。オフィスの清掃。9階の客は気難しいから気をつけてと通達。クレームを受けた木本さんの話によれば、9階に最も早く出勤する客は相当に神経質らしい。9階のゴミ回収を担当している木本さんは、小さな飴の袋が床に落ちているのを見逃した。大きなゴミ箱から一気に回収するものだから、そういう軽いゴミが見落とされるのはたまにある話だ。そうした些細な見落としがあるたび、最初に我々の仕事を目の当たりにすることになる件の客は、フロア中からその小さなゴミを探し出してクレームを入れてくるという。
 ついに木本さんは「私には障害があるので、いつも見逃してしまってすみません」だとか、まあそういうカードを切ったらしい(実際、木本さんには何かあるらしい。僕は人事ではないので、詳しいことは知らない)。すると件の客は「私にも障害ありますけども」と返したそうだ。ままならぬね。
 ある種のハンデを抱えている場合、自らが福祉の対象になっていることは自覚しやすそうに思われるが、そうでもないらしい。或いは、かつて福祉より無視され、極端なサヴァイヴを要求されたために、このようなネオリベ的思想を持つに至ったのかもしれない。或いは、細かいことを気にして他者を糾弾してしまうこと自体その障害の範疇なのかもしれない。いずれにせよ、ままならぬ。

 中島敦『かめれおん日記』を読んだ。sub specie chameleonisというレトリックに、ピロウズの『ストレンジカメレオン』を思い出した。実際似たような話だ。「sub specie」と「ストレンジ」の間にはどれくらい距離があるのかしら。中島は「奇妙」とまでは思っていないのだろうか。けれども、作中の教師は「高等小學生的人物」こそまともな人間で、自らを「最も普遍的な意味に於ての功利主義」が欠けていると評す。これは「奇妙な」という言葉を使ってもおかしなことはない。まあそんなに重要な違いでもないか。

” カメレオンも元氣なし。鳥の止り木にとまり、小さな眼孔からぢつとこちらを見てゐる。動かず。瞑想者の風あり。尾の捲き方が面白い。木をつかんでゐるゆびは、前三本、後二本。體色は餘り變化しないやうだ。全く異つた環境に連れ込まれたために、之に應ずる色素の準備がないのか?”

『かめれおん日記』を読み終わったところで、ウエルベック『素粒子』の続きを読む。相変わらずエッチしたくてたまらないかわいそうな醜男と、エッチに興味が無さすぎて苦しんでいる男の話。ウエルベックについては、「エッチしたくてたまらないかわいそうな醜男」のことばかりセンセーショナルに取り上げられるが、実際には「エッチに興味が無さすぎる男」も必ず出てくる。ウエルベックのラヴクラフトに対する関心を思うと、これはどうもそのあたりに秘密がありそうだという気がしてくる。ウエルベックは星の王子さまなのだ。星の王子さまだったのだ。だが、ウエルベックの小説に出てくる「エッチしたくてたまらないかわいそうな醜男」は、「何百万の星のどれかに咲いている、たった一輪の花をながめるだけで、しあわせ」というわけにはいかない。彼は「愛のある」セックス無しでは救われることがない。
 こうした相反する男性像が対比的に登場することは、かえってウエルベック自身保守的なセクシズムから降りたがっていることが強く読み取れる……ように思われる。
 いずれにせよ、老いてしまえばチンポは勃たなくなり、強制的にセックスの世界から降りざるを得なくなる。だが、事ここに至ってエロい女のおっぱいやケツを見ることそれ自体を辞められなかったとしたら、それはとても嫌な話だ。

『レジェンドオブルーンテラ』をやる。Riot gamesの新作。ハースストーン以降DTCGは相手ターン中の干渉を排することでゲームを単純化し、ユーザーを増やしてきた。しかしルーンテラは積極的に相手ターン中の干渉を取り入れ、新しい風をDTCG界に吹かせている。他にも、課金要素を極端に絞ることで環境を遅くしようと試みてみたり、とにかく色々やっていてすごい。肝心のゲーム本体だが、実際面白い。相手ターン中の干渉も全てマナを消費するため、遊戯王やデュエルマスターズのように急にノーコストでプレイされるということがない。よって何が飛んでくるか大体わかるし、飛んでくるカウンターの量も限られている。このへんは良いバランスだと思う。TCGの中では詰め将棋的なタイプだ。質実剛健。
 最近ハースストーンのモチベが下がっていたので、しばらくはルーンテラをやることになるだろう。

 ヒカキンの動向をHikakin maniaで知ることが日課になっている。Hikakin maniaとはヒカキンの動画を切り貼りして下ネタを言わせる動画郡のことである。この運動の創始者の名前から「Hikakin mania」と呼ばれている。発祥はYoutubeだが、現在は専らニコニコ動画で投稿されている。
 雑にパッチワークされたヒカキンが「まんこ」「ちんちん」「セックス」「精子ぶちまけ」などの言葉を交えて商品レビューをする。
 こういうMAD動画的に、フェイクな映画を作る手法はなんと呼ぶのだろう。実際のCMやニュース映像を切り貼りして作られた映画があった気がする。『アトミック・カフェ』は別に内容を改変してはいなかった(はず)。だが『Hikakin mania』は内容改変を伴う。切り貼りを通してヒカキンに元々の動画とは全く違うナンセンスなことを言わせている。こういう手法は既に何かの映画でやられていた気がする。思い出せない。

”魂も心も清純な、まだほんの子供にひとしい少年たちが、兵士たちでさえ口にするとは限らぬようなことや、情景や、肢体などについて、教室内でひそひそと、いや、時には大声でさえ、実にしばしば好んで話し合う。(中略)この場合、道義的頽廃はおそらくまだないだろうし、道徳蔑視にしてもやはり本当の堕落しきった内面的なものではなく、外面的なもので、それが子供たちの間で何かデリケートで微妙な、男っぽい、真似しがいのあるものと見なされることが珍しくない。”(ドストエフスキー/原卓也訳『カラマーゾフの兄弟』)
 
 子供っぽい下ネタは好きだ。このシーンは、アリョーシャはこういう下ネタを顔を真っ赤にして耳をふさいでしまうかわいい男の子なんだよ!というシーンである。19世紀ロシアの子供たちもまた、コロコロコミック的感性の中で生きていたのだ。なんと途方も無いことだろう。


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