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 今日もインターネットを守るために戦いました。いっぱいウイルス倒しました。最近インフルエンザが流行ってるらしいです。倒しました。いっぱい倒しました。ロックマンエグゼをやっていたということです。
 ロックマンエグゼは20年近く前のソフトですから、ちょくちょくバグって止まります。その度何度か電源切って挿し直して再起動。自分が子供の頃のゲーム機でこういうことしなきゃならないのは、なんとなく変な感じがします。昔GBAやっていた頃はここまで再起した覚えがありません。接点が経年劣化でイカれているのかも。
 パソコンが欲しいです。今パーツが安い時期っぽいので、AMDで一式揃えたいです。まだインテルしかやったことないから。そしたらまたMAD動画とか作るのもいいかもしれないですね。
 MAD動画はくだらないから好きです(決して文脈から自由であるという意味ではありません。「くだらない」と「文脈から自由」は同じ意味ではありません。この世界に文脈から自由な領域などありません。僕もあなたも文脈の中にいます。MAD動画とかやってると自分らがあたかも文脈から自由な発想の持ち主みたいな奴がいっぱいいて辟易する。おはようからおやすみまで文脈から自由だったことなんて僕らに一度も無かった。遺伝子自体が文脈なのだから)。くだらないということは、意味付けを放棄することが容易ということです。例えば、この世界ではお金を稼いで生活を維持したり、世界を維持して人類を守ったりとかしてるわけですが、分解していけばそれ自体に何か絶対的な意味はありません。意味の「ある/なし」という問いの立て方自体が間違っているというのは置いといて、取り敢えずまあなんとなくそんな感じがしますよね。僕たちは誰に言われるでもなく、なんとなく人類を維持しているだけで。だのに、それに対して何らかの大仰な根拠づけ動機づけがされているのが許せないのですよ。こういう会議を経た後ならいいけど、このプロセス無しに有意義が定義されることが気持ち悪いのですよ。でも、「くだらない」ということは最初にニヒルがある。ニヒルの了解から始まって、遊ぶ。これがお遊びであるという了解ありきで始まる。それが心地よいのです。人類を守るという大仰なことと、うんこで遊んでいる誰かの映像が、並列されている。「くだらない」ということはそういうことです。「くだらない」の世界では全てが平等です。むしろ真剣さや誠実さがかえって滑稽で、その滑稽さ故に、「くだらない」は真剣さや誠実さを歓迎さえします。繊細な真剣さや誠実さほど滑稽なものは無いからです。地球温暖化を憂うヒステリックな少女の姿を見てください。笑えるでしょう?真剣さや誠実さは、「くだらない」という土俵では絶対に勝てません。なぜなら、真剣さや誠実さは生へ向かうベクトルですが、「くだらない」は死へ向かうベクトルだからです。これから死のうとしている人間に、愛とか正義とか理想とかヒステリックに説いて、どうにかなると思いますか?なりません。これから死のうとしている人間にとって、その真剣さや誠実さは滑稽にしか移りません。だから誰かの真剣さや誠実さを笑うものがあったら、それらは例外なく自殺志願者です。もしあなたが自殺サイトか何かの会員を募っているなら、「くだらない」の信奉者を狙うとよいでしょう。ここで言っている自殺というのは、単に生命を停止させるという意味ではありません。なぜなら、実際生命を停止させるような行動は強力な動機が無いと不可能だからです。肉体自殺志願者はむしろ強い生命エネルギーに動かされていると思います。これからさあ死んでやるぞっていう人って、なんか前向きじゃありません?びっくりするぐらい。僕はあんな風にはなれないですね。でも、なんか仮想通貨に10万ぐらいぶっこんだのが50万ぐらいになった時は割と全部どうでもよくなってめっちゃ元気になりました。めっちゃ元気になったら今まで友達だったクライヤツに半年くらい縁切られました。怖いですね。
 僕はスカトロビデオが大好きです。くだらないから。真剣にうんこを塗り合ってる人間が存在するという事実が、大変にくだらないからです。本当はくだらなくなんかないのでしょう。うんこを極める道というものが、武道のように存在するのでしょう。けれども、僕はうんこに真剣さを見出すことが出来ません。そういう生まれだからです。だから自分でスカトロする気にはなれません。きたねーし、痛そうじゃん。僕にとってうんこを塗り合ってる様はくだらないことなのです。僕の好きなゲームとかアニメとか本とか、他の誰かからしたらくだらないのと同じように。僕はうんこ塗り合うことに真剣さなんか持てません。だからその様は滑稽にしか映らないし、どうやって面白がってやろうかなという気持ちにしかなりません。そうして底を抜いてみると、この世界の全ては真剣に面白がることが出来るし、くだらないことだとすることも出来る。そういうことが実感として自分の中に立体を形成します。そうなると、殆ど躁鬱です。意味が無いことを分かった上でそれでも誠実に生きていきたいという日があり、意味が無いという前提のために、だから全部くだらないのだという自殺へ舵を切る日があります。
 飽きたな。どうでもいいことだし。要するに、僕の世界に対する解釈が、僕にとって都合の良いものになれば、それで僕は全然やっていけるのですが。
 明日もインターネットを守るためにウイルスをいっぱい倒したいです。がんばります。

 もう人生拗ねるのやめてる人は何も言わずに帰ってください。こういう芸風が滑ってることは自覚してるけどやめられないからこうなんです。あんたには関係のないことです。地球温暖化を憂うヒステリックな少女を守ってください。間違っても周囲に流されて自殺志願者になってしまわぬように、気をつけて。

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