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日々思うことのメモ

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最近の記事

世の中は「程度」で出来てる

やさしいとか、厳しいとか。 賢いとか、馬鹿だとか。 あたたかいとか、つめたいとか。 世の中を二項対立で語ることはたくさんあるけれど、結局は「程度」の話なんだと思っている。「やさしい」が過ぎると、「優柔不断」だったり、「優しくなさ」が過ぎると「厳しい」とか。結局人間はやじろべぇみたいに、「優しさ」の目盛をバランス取りながら生きてるもんなんだと思う。 行ったり、来たり。いろんな環境や、人や、本人のマインドや価値観など、多様な変数でその目盛が移りかわっているだけのこと。

    • 自ずと湧き上がる「反省」じゃなきゃ、意味がない

      同僚があるカジュアルな議事録で「(私が担当する)***の件の反省がメイン」と書いた。 その文言になんとも言えない気持ち悪さを感じて、ふと考えた「反省」という言葉。この気持ち悪さの原因は何だろう。 そもそも「反省」という言葉がネガティブに思えるから?(印象・定義の問題)それとも、そもそも***の件については改善プロセスの途中であり、決してネガティブなものでもないのに、「反省=ネガティブ」というふうに設定されたから怒っているのか?(ネガティブや失敗の定義の問題)それとも同僚に

      • 「なるはや」から考えるー言葉を用いず、人を動かすということ

        日々日々の仕事をしていると、ふと耳にすることば。 「なるはやでお願い」 新入社員がどこぞのマナー研修で学ぶであろう仕事の基本(とされるきめごと)にはいつでもついて回る、納期の確認。そんな時にふわっと「なるはや」という言葉を使っていないだろうか。 とある外資系企業で務めるマネージャーの方はこう言った。 ーなるはやという指示の仕方ほど無意味なものはない。一見納期を指示しているようで一切指示していない。こちらは納期を含めて依頼したと思って業務を任せるが、受けとる方は明確な指

      世の中は「程度」で出来てる

      • 自ずと湧き上がる「反省」じゃなきゃ、意味がない

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