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ほったらかしでいいんですよね!と言われて物申す。

私が提唱する
「待ちよみ」

「待ちよみ」について

絵本の読みきかせの際の
大人(特に親)の在り方、考え方を
ことばにしたものです

「待ちよみ」で得た
読みきかせの喜びや楽しみは、
子育て全般に波及します。
私は、子育て全般に波及することを目的に
「待ちよみ」を提唱しました。

以前、Instagramのストーリーで
【質問】という機能を使い
あなたにとって「待ちよみ」とは?
というアンケートを実施しました。
私のInstagramを見ているフォロワーさんには
「待ちよみ」を実践してくれている人が
多く、その人たちの生の声を聞いてみたかったからです。

あなたにとって「待ちよみ」とは?

こうしたものを読めば、
子どもを「待つ」ことを、
生活の小さな一場面ごとに大切にできたら
それを積み重ねていくことで
どれだけママの子育てを前向きなものへ
導いてくれるかがわかります。

私がママを応援し、
ママたちを救いたいのは
子どもたちのためです。

わたしは
幼少期の心身に与えられた様々なものが
後々の人生、それこそ
死ぬときまで影響すると断言します。
それは、多くの学びから得た結論である
と共に、確たる実感も持っているからです。

私は子どもたちには
子どもらしく幸せな「今」を生きてほしいです。
だから
ママを救います。

2020年に農園の運営をはじめました。
その農園での生産スタイルを
「自然力畑」と呼んでいます。

「自然力畑」と「待ちよみ」は
「育てる」ことの考え方が同じです。
野菜か人間かの違いだけです。

私が伝えたいことを伝えるのに
自然力畑での生産方法と
その意味をお話したら、その話は
とても面白いし、
そこにひとこと
「子育てと同じですよね」と添えることも
できます。

自然力畑と待ちよみについてまとめた記事

さて
この話をしたとき、たまに、本当にたまに
ですが、非常に残念な反応があることも。
それが

「ほったらかしでいいんですよね」
という言葉です。

残念というのは、正直、相手に対して
「今の話、そんなふうに聞こえます?」
という落胆。
そしてもう一つ、
「待ちよみ」「自然力畑」という言葉とその
意味を伝えきれなかったという落胆。
私は講演家ですので、「伝える」ことより
「伝わる」ことまでこだわります。

「ほったらかしでいい」なんて1ミリも
思っていないです。

ですが、ただ落胆していても何の意味も
ありませんので、なぜ、その人には真意が
伝わらなかったのか考えてみました。
(ただ話すのが下手だったとは思わないからです)

その人が「ほったらかし」と言ったということは
「ほったらかしではない」状態との対比だと思われます。
では、その人の抱く「ほったらかしではない状態」とはどのようなものでしょう?

農業に当てはめるなら、せっせと肥料をやりサイズの大きい野菜を早く育てることでしょうか。
生えてきた雑草はまめに取り除き、害虫がくれば農薬をかけて野菜を守ってあげることでしょうか。

読み聞かせにあてはめるなら、3歳までに一万冊読まなきゃいけないから、毎日読んだ冊数を記録したり、子どもに読むときは子どもにわかりやすいように、言葉の意味を説明してあげたり、今ここを読んでいるよってわかりやすいように指で示してどこを見ればいいのか分かりやすくしてあげたり、理解できたかを確かめるために読んだあとに「どうだった?」と聞いてみることでしょうか。

確かにこうして書き出すと、あれこれと
手間も時間もかけていますね。
これらをしなくていいと話す「自然力畑」「待ちよみ」の話は、
手間も時間もかけなくていい。だから
「ほったらかし」
でいいんだ。
という捉え方をしたのでしょうか。

親子の時間も、例えば保育の時間も
大人側が立案したことで埋めつくす方が
一見、手間や時間を使っているので
すごく大変で子どもにとって良いことを
していると考える人は多いです。

カリキュラムが豊富だと
子どもはそのどれもを「集中」して
楽しそうに取り組んでいるように見えます。
(実際楽しいのですが)
「飽きる」前に次のことが始まるので
ぼーっと過ごす時間もありません。
非常に効率良い時間の使い方です。

ではその逆が「ほったらかし」なのか?

それはとんでもない間違えた解釈です。

「自然力畑」にも「待ちよみ」にも
どちらにも絶対に必要な考えがあります。

それは
○○○、待つこと。

○○○には何を入れますか?

○○○
に当てはめる言葉が
上っ面だけではなく、親の心の底から
の本心なら
「自然力畑」「待ちよみ」の話を聞いて
「ほったらかしにする」と解釈することは
ないでしょう。

○○○、待つためには
どんなことが必要だと思いますか?

私の答えは
「子どもの望むことをする」

子どもは、自らを人として成長させるために
必要なことを欲するようにできています。
子どもが望むことを叶えることで、
1番自然で無理なく、かつ最大限に子どもを
成長させることができるのです。
大人から見ると、なぜ?不思議?ということや
一見困りごとに見える行為も、必要でないことなど
一つもありません。

画一的なカリキュラムや教育法
マニュアルなどの落とし穴はそこです。
それに沿って子どもをコントロールしていると
「自然な姿」を見落とします。
見落としているということは、言葉通り
「落としている」のです。
「できるようになった!」とカリキュラムは達成したかもしれませんが、
子どもが本来の力で獲得するものの多くを
得られないまま先に先に進んでいるのです。

子どもの自然な姿を見落とさないこと
子どもが持つ力を○○○、待ってあげること。

それは
「ほったらかし」ではないのです。

2021.3.15
待ちよみ絵本講師
内田早苗



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