永遠があったらいいのにな

わかってる、この世に"永遠"とか"絶対"なんてものは存在しない。

だけど、"永遠"を信じていたい時は誰にだってある。
そして、それは決して悪いことでも、誰かに責められることでも、何でもないのだ。


2019年1月27日、日曜日。
国民的アイドルグループの嵐が2020年をもって活動を休止することを発表した。


この日、皮肉なことに、私は嵐ファンの友達とデュアルモニターのあるカラオケで嵐のライブ鑑賞会をした。数十回と観ている大好きなDVDを、毎回新鮮な気持ちで楽しめるという、ある種特技みたいなものを持ち合わせている私は、いつもと同じシーンで沸き、ビジュアルの良さに悶絶し、これでもかと楽しんだ。

当たり前のように大好きな彼のソロ曲を聴きながら、インスタにどの写真あげようかな~なんて余韻に浸って電車に揺られる帰り道。
最寄り駅に着いてスマホを閉じ、電車から降りる。
駅の駐輪場に停めてあった相棒の自転車を跨ぐ。
ここまではいつもと変わらない帰り道だった。


家に着く。
両親は買い物に行っているため家には誰もいない。
私は時間を確かめるためにスマホを開ける。


……ん?


TwitterのTLが信じられない速度で流れていく。

なんだこれは。

たった数分で世界はまったく姿を変えていた。
状況を理解するのに時間がかかった。
心臓がバクバクと音を立てていた。

とりあえず動画を見なくては。

信じられなかった。
というより、信じたくなかった。


私にとって嵐は、どんなに世界が変わっても、どんなに私自身が変わっていったって、嵐だけは永遠の存在だと思ってた。というよりも、彼らを見てるとそんなふうに感じた、のほうが正しいかも。
とにかく彼らはそういう人たちだった。

だからこそ、信じたくなかった。


そしてこの時、私の中で唯一信じていた"永遠"が崩れ去った。


ひとり布団の中で悲しみに暮れていた時、ある人の一言、いや、一文に私は救われた。

「僕らはいつまでも嵐です。」

私はこのメッセージが誰からのものか、考えることもなくわかった。
世間からは捻くれ者と呼ばれ、実際ちょっと斜めから世界を見つめている彼。
それでいて、誰よりも、宇宙よりも、大きな愛を嵐に向けている彼。

そう、二宮くん。私にとって世界一の人。


当然二宮くんはこの世界の永遠を信じていない。
昔、itの連載の記念すべき第1回で彼は"終わり"について語った。

よく「終わりは始まり」なんて言葉を耳にする。

違う、彼が語ったのは「新しい事が始まるということは、いつかそれも終わる時がくる。」ということだった。つまり「始まれば終わる」ということ。

永遠なんて存在しない。


私は「僕らはいつまでも、この先何があっても、永遠に、嵐です。」と言っているかのような、そんな彼の力強い言葉を見て、思わず涙が溢れていた。
5人はこれからも、休止したって嵐なんだ
という事実にではなく、

永遠はないと考えている二宮くんが、嵐は永遠だとかつて私が信じていたように、彼も嵐は永遠であると、いまこの瞬間信じていること

に、涙が止まらなかった。嬉しかった。彼も信じてる。私だって信じてもいいんだって思えた。


この世界に"永遠"とか"絶対"なんてものは存在しない。

だけど、"永遠"を信じていたい時は誰にだってある。

信じることで前に進めるなら。


嵐よ、永遠なれ。

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