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【木石南・記】9月1日(日)macaroomライブ配信開催のお知らせ

おは魚!木石南だうお!
皆様、macaroom投げ銭YouTubeライブ第二弾を9月1日に開催する魚。
皆様準備はアオリイカ。

macaroomで大阪遠征ライブを実現させるべくYouTubeライブにて支援を募ることにしました。



わたくし木石南は、2017年の冬まで大阪に14年住んでいた。

大阪は第二の故郷のような場所である。


そして、弟のアサヒ、ボーカルのエマルも山口県が故郷であることから、東京から実家に帰省するついでに大阪に寄って数日間遊んで帰るということが何年も続いており、macaroomの写真は大阪で撮影されたものが多いので、てっきり全員が大阪在住と思われていることもしばしばあった。ボブはボブで度々仕事で大阪に行っていたらしく、大阪の話になると、「西成に気になる鍋屋があるんだよ!もうそこしか行きたくないよ!」と爆笑しながら言っていた。

しかし、大阪に頻繁に遊んだり仕事をしたりしていても、ライブをする機会のないままに、私も東京に拠点を移して今日に至っている。

かつての私は味園ユニバースというグランドキャバレーで照明の仕事をしながらカンフー教室で指導をするという生活をしていた。
キャバレーが2011年に閉店した後も味園ビルにある深夜喫茶銭ゲバというバーでバイトをしながらカンフー教室をやっていた。
そのうち、アメリカ村にある昭和ときめきサロン桃色宇宙というバー主催のカンフーワークショップを開催したり、バーでバーテンをやりながらカンフーを指導したり、バーとカンフーという暮らしを何年も営んでいた。
そして、難波にある老舗の喫茶店ロアにてウェイターもやっていたので、一時期は朝までバーで働き仮眠をしてから喫茶ロアで夕方まで働きそのまま夜のカンフー指導に行き、終わればバーに行き朝までバイトして喫茶店へ行って働き……という無茶な暮らしをしていた。
無茶ではあったが、全てが愛すべき生活であった。
バーに「ここにカンフーの先生がいると聞いて来たんですが…」と訪ねて来る人もいたり、バーのお客さんがカンフーに来てくれることもあったし、喫茶ロアにコーヒーを飲みに来ていたお客さんがカンフーに来てくれたり、カンフーの弟子が練習帰りの打ち上げにバーに飲みに来てくれたり、全てが繋がった生活であった。

東京で生活するようになり、バイトのために履歴書を書いた時、ハッとした。
大阪でバーや喫茶店やカンフーで生活していたけれど、ほとんど履歴書を書いたことが無かった。
確かに「履歴書無し」みたいな求人はどこでもあると思うけれど、バーにしても喫茶店にしてもカンフーにしても、正確な僕の情報は知らないまま、信用だけで成り立っていたことに驚く。

喫茶ロアで働いていた数年間、お店の人はおそらく私について「カンフーをやっている南くん」という情報と電話番号しか知らなかったと思う。私はロアでバイトを始める以前から客としてよくお茶をしに来ていたのだが、お店の人はたったそれだけでぼくを信頼してくれたのだ。

東京で履歴書を書きながら、当たり前ではあるが全く誰からも知られていない信用ゼロな場所にいることを認識してゾッとしていた。無茶苦茶当たり前であるが、仕事を紹介してくれる人も誰一人おらず、仕事だけではなく趣味や生活が連動して回っている人も全然いなかった。

難波のばんぶーというバーでは、マスターがしばらく入院するということでその間店を任せたいと言って、急に鍵を渡してくれた。毎日行くような常連客ではなかったし、お互いによく知らないはずなのに、「僕で大丈夫ですか?」と聞くと「金を盗んだりする人間じゃないのは飲んでてわかったから大丈夫や」と言っていた。
深夜喫茶銭ゲバでもキャバレーユニバースが潰れて職を失いヤケクソで飲んでいた僕に、店主のムヤニーさんは「次の仕事が決まるまで明日からバイトするか?」と言ってくれ、そのまま働いた。
昭和ときめきサロン桃色宇宙のじゅんこさんも、桃色宇宙やべつの飲み屋で昔から会うだけであるにもかかわらず「何かおもろいから」とカンフーワークショップを毎月開催してくれていた。
カンフー教室も、「昨日バーで話を聞いて面白そうだったから」という理由だけでレッスンに来て、最後までぼくが誰なのかわからないまま5年くらい通うことになった真面目な弟子もいた。

東京へ引越すギリギリまで働いていた喫茶ロアは87歳のマスターと50代の息子、娘、そして70代の古株ウェイトレスという家族経営スタイルで切り盛りしていた。

僕を誰なのかわらぬまま毎日一緒に働いていたし、マスターも高齢のため、事実上店長をしている娘さんに気づけば「息子」と呼ばれていた。


あるバイトの日、macaroomの撮影で東京に行くための交通費で悩んでいたら、帰り際に封筒をサッと渡してくれ、中には東京までの往復の新幹線代が入っていた。
交通費の悩みなど何も言っていないのに、「息子のことは目みたらわかるんや」と言っていた。

87歳のマスターは毎日喫茶店には来るのだが、日々脳の老化が進行していて、私が出勤する度に「いらっしゃいませ!」と言うようになり、「おはようございます、僕ですよ」と言っても「誰や?」と言い、数時間働いているとだんだん思い出して「そうか!兄ちゃんは陸上選手やったな!」と少し間違えてはいたものの、嬉しそうに納得していた。

東京へ引越す直前、高速バスに乗るギリギリまで喫茶ロアで過ごした。

その時もマスターは「誰や?」と最初言っていたが、私の長髪から一気に剃りあげた気合いの丸坊主と大量の荷物を見てか、出発時間が近づくと、だんだん私を見る目が変わり、急に「何があっても、絶対に何があっても生きて帰ってこいよ!!危ない時は逃げてもええんやからな!!」と涙目で言い始めた。

そして、突如立ち上がりさらに涙溢れんばかりに「必ず生きて帰ってこいよ!バンザイ!!バンザイ!!!」と言い始めた。

太平洋戦争時に青春を過ごしたマスター。
戦後、アメリカから入って来たボクシング興行にいち早く飛びつき、若手ボクサーとして大金を稼いで喫茶店を始めたマスター。
今、目の前で荷物を持った丸坊主の男が立っているのを見て、何らかのフラッシュバックを起こしているようだった。

娘さんも涙目になって「死にそうなんお父さんやないの」と言っていた。
40年ロアで働いている70代の古株ウェイトレスのお姉さんも泣きながら「南くん、必ず生きて帰って、また一緒にタバコを吸おうね」と言っていた。


このマスターが毎日尋ねていたように、まさしく一体私は誰なんだろうか。

最後に西陽が射し込む喫茶店のど真ん中で、私はマスターとしっかりと敬礼をし合って、その足で高速バスに乗り東京へ向かい、今に至る。

それから一年半、喫茶ロアから出兵した日から一度も大阪には帰っていない。


私は必ず生きて大阪に戻らなければならないのである。




木石南

ライブ詳細
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2019年9月1日(日) 第2回なげせんライブ配信
開催日時:19時~20時ぐらい
場所:KBEのYouTubeチャンネル
なげせん場所:note / Paypal.me
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エマル新聞(号外)のダウンロードはこちら
※ダウンロードは9/1(日)まで


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