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あの夏、一緒に焼き鳥を食べた大人たちは、きっとすごい人たちだった。#あの夏に乾杯


大人って、いいかも。

初めてそう思ったのはたぶん、あの夏の夜だった。


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学生時代、東京の下町で塾講師のアルバイトをしていた。相手は主に小学生。子どもたちの全身からほとばしるエネルギーにはいつも圧倒されるばかりで、1日合計3、4時間の授業をするだけでヘトヘトだった。

バイトが終わると昔ながらの商店街や神社を通り抜けて駅に向かう。昼間は静かで平らな、それでいてどこか懐かしい空気に包まれていた町は、夜にはサラリーマンたちの憩いの場に変身する。

昼間と同じ道とは信じられない、じんわりとした大人の灯りに満ちた通り。学生のわたしがこんなところにいてもいいのだろうか。ちょっと気が引けてしまう。結局どこにも寄らず、まっすぐ駅に向かうのが常だった。

駅まで歩いているあいだ、わたしの五感はあらゆる刺激で混乱した。

お店の換気扇から漏れだすお好み焼きの匂い。立ち呑み屋で開放感に溢れた様子で声高にしゃべり、笑う大人たち。こっちにおいでよと誘ってくる屋台の提灯に、串に刺さった鶏肉の上に堂々とのさばるタレの輝き。わたしの疲れた心身を弄ぶには十分すぎるほど、その町は優しい魅惑に満ちていた。

でもやっぱり、わたしには近づけない。まだ早い。

ちょっと立ち止まってお店の中をのぞいたり、通り過ぎた場所を振り返ってみたりはするけれど、そう簡単には壁を乗り越えられなかった。

だってまだ社会人じゃないし。あくせく働いて疲れて帰ってきた大人たちに混ざるなんて、なんだか失礼な気がする。塾でバイトをしてきたとはいえ、週に数回、3、4時間の話だし。自分で稼いだお金で生活しているわけでもないし。

毎回そう言い聞かせて駅のホームに向かった。


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そんなこんなで誘惑に勝ち続け、1年以上が経った頃のことだ。

バイト帰りに、いつも誘惑してくる焼き鳥屋にいつも通り目が止まった。

夏も終わりに近づき、本格的な就活シーズンが迫っている時期だった。心は宙に浮いていた。バイトでは相変わらず子どもたちをまとめるのに精一杯。上手くいかないこともときどきあって、少し疲れが溜まっている時期でもあった。

だからなのか、どうなのか。今でもよくわからないけれど、わたしの足は勝手に店の出窓の方を向いていた。

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焼き鳥を1本だけ、いや、2本だけ買って帰ろう。

「すみませーん。ねぎまとハツをください。持ち帰りで」

いかにも気前が良さそうな女性の店員さんに話しかけた。

「食べていったら?席はこんなに空いてるよ」

後方を見てみると、たしかに席はガラ空きだった。端っこに一人中年の男性がいるだけだ。それもそのはず。まだ18時前だったのだ。これからどんどんお客さんがやってくるに違いない。

うーん、どうしよう。

わたしは少し迷ったけれど、やっぱり押しには弱かった。店員さんに誘導されるがまま席に座る。

一応仕事終わりだし、まあいっか、このくらい。

自分に言い聞かせた。

目の前に焼き鳥がある以上、飲むしかない。300円で缶ビールも買った。

おそるおそる蓋をあけると、プシュッといい音が鳴る。

あー、いい気分。

心の中で叫んだ。これまでの迷いが嘘みたいだ。町と人の優しさに甘え、魅惑の夜に浸ろうとしていた。

わたしはきっと、ずっとやってみたかったのだ。

「仕事終わりに呑み屋で焼き鳥を食べながらビールを飲む」という一連の大人の行事を。

眩いばかりの焼き鳥を、少しずつ、少しずつ噛みちぎっていく。

ツンと鼻の奥をさす炭の匂いが心地良い。噛むたびに塩が舌に浸透して喉が渇く。ビールが欲しくなる。

夏の夜の肉とビールは、驚くほど美味しかった。


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でもなぜだろう。満たされなかった。
こんなに美味しいのに。願いが叶ったのに。

心の奥底には、得体の知れない寂しさがあった。

ああ、やっぱり人間って一人なんだな、ずっと一人なんだな、と思った。

なぜそんなことを思ったのかはわからない。

焼き鳥を食べて、ビールを飲んで、心に押しとどめた疲れも不安も悩みも全てパーにする。

そんな営みを何十年と続けていくのが、きっと大人なのだ。

直感的にそう思ったからかもしれない。

一人でラーメン屋に行くのも、あんみつを食べるのも、抵抗なくできるタイプの人間だった。むしろ一人で入れるわたしすごいでしょ、と得意な顔をして外食をするのが好きな変わり者だった。

でもその日はちょっと違っていた。やり場のない不安と虚無感に襲われて、そわそわしてしまったのだ。


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「ここ、座ってもいいですか?」

突然押し寄せた寂しさに戸惑いながら肉片を眺めていると、声をかけられた。20代半ばと思われる女性2人組だった。

「もちろんです。どうぞ」
片方の女性はわたしの隣に、もう片方の女性は斜め前に座った。

気を遣ってくれたのだろうか。二人はわたしに話しかけてくれて、自然と三人で話すようになった。近くの会社に勤めていて、その店には初めて来たという。もう何をしゃべったのか覚えていないけれど、気さくで優しい大人の女性たちに囲まれて、口からどんどん言葉が溢れてきた。

二人の登場を皮切りに、店は一気に賑わい始める。

空いていたわたしの向かい側の席にも人が座った。二軒目だろうか。すでに出来上がった陽気な中年女性だった。


「カンパーイ!」

わたしたちは四人で不思議な「女子会」をすることになる。

焼いたニンニクを丸ごと食べて、

「やっぱりニンニクって最高だね」
「口の臭いを消すためにはりんごヨーグルトを食べたらいいらしいよ」

なんて他愛のない話をしていただけだけど、だれがなんと言おうと、あれはれっきとした女子会だった。

他の会話については、もうほとんど覚えていない。覚えていないのは、一瞬一瞬がどうしようもなく楽しくて、焼き鳥に負けないくらい煌めいていたからだと思う。


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店にやってくる人たちはみんな陽気で、気前が良くて、大胆で、優しかった。

どこかの店から焼きたてのピザを持ってきて、「みんなで食べな」とわたしたちの目の前にどんと置いて去っていく汗だくのおじさんがいた。

焼き鳥を一本ずつ向こうの子たちにあげといて、とご馳走してくれる人もいた。

目の前の女性は、近所にあるオススメのお店をどんどん紹介してくれた。その町への愛が、彼女の体全体から溢れ出ていた。


わたしはいつの間にやら寂しさも孤独も忘れ、サラリーマンたちと一緒に下町の夜を謳歌していた。最後には女子会の括りもなくなり、近くの人たちとわいわい話すようになった。各々の仕事の話も聞いた。わたしは昼間の彼らを想像した。

よくしゃべるこの女性も、日中は黙々と業務にあたっているのかもしれない。このくしゃっとした笑顔のおじちゃん、会社では眉間に皺を寄せているのかも。おっとりしていてマイペースに見える彼女、仕事中はテキパキ動いてものすごいペースで業務を処理していたりして。

ほとんど勝手な想像だけれど、どの人にもたぶん、呑み屋では見せない顔があって、呑み屋でだけ見せられる顔がある。

孤独感に打ちひしがれる日だってあるかもしれない。つまらない日もあれば、疲れ切ってすべてが嫌になる日もあるだろう。でも集まった大人たちからはそんな気配はひとかけらも感じられなかった。見せなかっただけかもしれないけれど。

すべてを悟った上でこの一瞬を楽しんでいるような、すべてを受け入れた上で毎日を面白がっているような。どの人にも良い意味での諦観と前向きさがあった。だからみんな明るくて優しくて、穏やかだ。わたしもこんな大人になりたいと思った。

焼き鳥を食べて、ビールを飲んで、心に押しとどめた疲れも不安も悩みも全てパーにする─

これはあながち間違いではないのかもしれない。

でもきっと、悲観するようなものでもないのだろうと思った。

だってお客さんの一人が言っていたから。

「早くこっちに来なよ〜。楽しいよ、社会人は。自由だから」

って。


***

あの夏の夜は、あっという間に過ぎていった。

わたしの学生時代もいつの間にか終わりを迎え、社会人になってからの数年間は紆余曲折しつつもどうにか乗り越えた。今は20代後半のど真ん中を、日々悩みながら過ごしている。

生活すること、働くこと、家庭を持つこと、趣味を楽しむこと。幼い頃はだれでも簡単にできると思っていた「普通」のことが、実はとてつもなく難しいことだと知った。自由の裏には責任があることも知った。

社会人になったからこそわかる。

あの店で出会った大人たちは、たぶんすごい人たちだった。

本当に、すごい人たちだった。

たぶん、みんなすごいのだ。社会の中でどうにか生きて、ビールを飲んで笑える。それだけでもう、十分すごい。褒めても褒めても足りないくらい、すごいんだよ、きっと。

真夏のぬるい夜風に当たりながら、あの焼き鳥とビールを思い出すとき、わたしの胸には微かな痛みが走る。

そして同時に、あの提灯が放つ明かりの温度を感じ、心の底にじんわりと希望の根が生えるような気がするのだった。


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バイトを辞めてから、あの町には行かなくなった。


もっとがんばって「大人」になったら、またあの店に行ってみよう。

焼き鳥をだれかにさらっとご馳走できるくらいに、大人の「自由」を全身で生きよう。


そんな決意をしながら溶けかけのアイスを頬張っていると、風鈴がチリンと鳴った。涼しげな音は耳の奥で響いて、わたしの肩の力をほどよく吸い取ってくれた。

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