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相手との対話を楽しむ。楽しい時間を過ごす。人とつきあっていく。ノンフィクション作家・川内有緒の本の作り方。

今回のテーマは「ノンフィクションの企画」。ゲスト講師に、第16回開高健ノンフィクション賞受賞された「空ゆく巨人」著者である川内有緒さんをお迎えしました。

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主体的に動き状況を変えていく

川内さんはどのようにしてにノンフィクションを書くようになったのか伺っていきます。

7,8歳の頃に、友達を集めて、遊びで劇団をはじめます。

スタジオジブリの映画プロデューサー鈴木敏夫さんがご近所にお住まいだったこともあり、当時、鈴木さんが編集長をやられていた徳間書店の忘年会で披露していたそうです。

その次は、小学校高学年から映画づくりに取り組む川内さん。SF映画を制作したところ、当時ナウシカを作っていた鈴木さんから「いいんじゃない」とコメントを頂いたり、さらに映画にハマります。

高校生になっても映画を撮り続け、大学でも映画を作って生きていこうと思い、日大芸術放送学科に進学。

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自由に制作を続けてきた高校時代に比べ、大学では周りの友達から作品についてあれやこれやと言われることに悩む時期もあり、映画作りをストップ。

一緒に映画を作ってきた仲間は劇団に就職したものの、自分はやりたいことが見つからないままに渡米。やがて、アメリカの大学院で中南米の社会情勢について学ぶことに。

母語が英語じゃない川内さんは、現地の学生が3ヶ月準備をしてやっと合格できる卒業テストに危機を感じ、学部長に直談判。すると、テスト時間を延長してもらうことに成功するなど、奇跡の連続で、卒業を掛けたテストをクリア…!

誰よりも自分の足を使い、直接コミュニケーションをとることで状況を変えて行くその姿勢は、インタビューを重ねて本を仕上げていく、今の川内さんそのもだと感じました。

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卒業後は会社員に。

友人の薦めもあり、アメリカのコンサル会社に入社。

入社後、あれよあれよという間に、他の社員の方たちが退社してしまい、社員が自分しかいない状態に。世界を飛び回る社長の代わりに入社後の1年間は、川内さん一人で会社をまわしたそうです。その後、退職。

日本に帰国して、シンクタンクに勤める馴染みの社員さんと遭遇したことから、バイトで働かないかと持ちかけられます。バイトのつもりが、いつの間にか大きな仕事を任されるようになり、そのまま嘱託社員に登用され働くことに。

働きながら、メキシコを走る民族を取材する企画を「翼の王国」編集部に持ち込み、採用!

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ライターになる覚悟はあるか。

書く練習も兼ねて、シルクロードを横断する企画に同行します。

ライターの森永博志さんと一緒に中国の敦煌砂漠に行きます。その際、森永さんが「あそこを見てごらん」と、ほうきで砂漠を掃いていた人を見つけて教えてくれたそうです。

同じ場所にいても、人と違うところに目をつける森永さんの凄さに驚き、書くことに対する考え方が一変するほど大きな影響があったそうです。

森永博志さんに「ライターとしてやっていく覚悟があるか?」と尋ねられた際に自信が持てずにいました。

その頃、二年前に募集していたパリの国連の仕事に採用され、国連行きを決意します。

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書けば書くほど誰でも上手くなる。

パリの国連で働く中で、「59 REVOLI」というパリで有名なスクワット(不法占拠された建物での行うアーティスト活動)に大学時代の友達がいて、会いに行ったそうです。

そこにいるスクワッター全員にインタビューしていく中で、シンプルに生きることの大切さを感じ、それをコツコツと書き溜めていきました。

自分では面白いと思っていた内容を出版社に持ち込むものの、編集者に「こういう本は難しい」と言われます。落ち込み始む時期もありましたが、「たった一人でも面白いと思ってくれればそれでいいんじゃない?」という夫の励ましの言葉から、引き続き編集者を探そうという気持ちに。

そんな中、幻冬舎の編集者の方との出会いをきっかけに、出版が決まります。国連を辞めて日本に戻ってきたところに、編集者から2冊目もやってみましょうと言われ、なんとなくこのまま本を書いて生きていけたらいいなと考えるように。

かたちにしていく経験を重ねるうちに書くことは筋トレと同じで、「書けば書くほど誰でも上手くなる」と実感したそうです。

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ノンフィクションとは?

ノンフィクションについて話してくださる川内さん。

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ノンフィクション作品を一本作るのに、一年も二年もかかります。

川内さんの書籍「空ゆく巨人」でも最初、美術館を運営する志賀忠重さんには「大勢の人が来て困ると言われ」取材を受け入れてもらえず、記事に「人がたくさん来たら困るので来ないで欲しい」ということまで書きますと交渉すると、取材に対応していただくことに成功したそうです。

書き終わった後に、また遊びにおいでよと、志賀さんからわざわざ電話してもらい、再びいろんな話を聞きに伺ったそうです。一年後、これだけ話を聞いたら、書かないわけにはいかないと思うようになっていったそうです。

川内さんは取材対象者との関係のつくり方についても話してくださいました。

利害関係ではなく、純粋に本を書きたいのは好きになる人。その川内さんのノンフィクション作品の対象になる人は、「自分の人生をワクワクさせてくれる人」だそうです。

本を作っていく過程の、一回の取材で聞けることは限られていて、インタビューでは聞きたいことは時間切れになってしまいます。

おしゃべりを続けていく中で、いろんな話を聞き出していきます。インタビューでリスト通りの質問をしてしまうと、収奪されてしまう感覚があるため、インタビューするときの心構えとして、対話を楽しむ必要があるそうです。

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後半は課題講評へ。

今回の課題は、

「この10日間で、日本に住む外国人の方の好きな歌について取材して、ノンフィクション作品としてまとめてください。1600~2800字」

という課題が出題されました。

川内さんは上の課題について、日本に住む外国人が多くなってきている中で、外国人を知ることは面白いことだと仰っていました。ただし、知り合いを取材しても面白いものになるかはわからない。ときとして、勇気を持って自分の知らないところや人にいくことで、そこにノンフィクションとしての面白さが生まれる。

神戸の街でバーに行き突撃取材してきた企画生について、知っている人に取材する人に比べ、知らない人を追い求めることでその冒険が際立っている。

また、全く話したことがないが、同じアパートに住んでいる外国人に話しかけに行った企画生が、話しかけに行ったその勇気は読者に文章を読ませる力になっていると講評いただきました。

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ノンフィクション作品は何かを実現するための素材になっていけない。

講義の最後に、川内さんに企画の極意をお聞きしました。

「いつでも企画をできる生き方をしておくことが大事」

ノンフィクション作品において、企画ありきで、企画に当てはまる人を探していくのではなく、いろんな人に出会い、面白いなと思った人に色々なことを教えてもらいながら、予定調和ではない本を作っていく。

企画と出会い。その順番を間違えると、ノンフィクションの作品として強い作品が生まれない可能性もある。

毎度、「企画でメシを食っていく」のレポートも記事にすることで、ノンフィクション作品のように、見たもの・聞いたものを、余すところなく書いていかなければいけないと思っています。

いかに読者の方に興味を持ってもらえるか、これからも意識してレポートしていきます!

川内さんありがとうございました。

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ライター・サムネイルデザイン:小田周介
写真:加藤潤

※「企画でメシを食っていく」からのお知らせ※

5周年を記念して、11/3(祝・日)に
BUKATSUDOにて「企画祭」を行います。
ぜひ、下記のサイトをご覧ください&お越しください!


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