「数字が欲しい」を先行させたら

ボカコレで意図があってニコニ広告をたくさんしたんですけど、「再生数を金で買ってる」的な意見をよく目にするのがものすごく不本意なのでちょっと書いた。


ニコニ広告はパブリックに投げかける宣伝と思っていて。
不特定多数の人に投げかけるから、そこに「聴きに来てよね」という強制力は発生しない。
広告を見た人が自発的に自分の行動を決める。
聴きに行くのかスルーするのか。

だから、広告見て気になって来てくれたり、さらに良いと感じてリアクションをくれたりしたとしたら。
それって相手に強制することなく、自発的な行動を生み出せたということになる。
それは音楽の力ですね。

プライベートに押し入る宣伝、これは個人に直接宣伝しに行くタイプのもの。
自薦リプとかTwitter(X)のリスインとかですね。
普段からお互い聴き合っていたり仲が良かったりするFFさんなら、応援してくださってるんだなあと素直にありがたく思いますよ。
交友関係を広げるためにやる人も分かります。

ただ、普段の関係性によってはやっぱり気付きますよね。
「あなたの曲聴きに行くから私の曲も聴いてよね」という下心で自薦募集やリスインする人。
その場合いいねされたとしても、「あなたの曲聴いた証拠ですから私の曲も聴きに来てよね」という無言のメッセージに感じてしまいますし、そういう意味合いでいいねする人、結構いるんじゃないかしら。
そうなると聴きに行くことやいいねなどのリアクションが義務化してしまいます。
これは音楽の力ではないですね。

このタイプの方々の動画概要欄でよく見かける文言も気になります。
「いいね、マイリス、○コメント以上してください」

聴き手がいいねするかどうかとか、コメントするかどうかとかって、聴き手の自由ですよね。
むしろ聴き手の自由で自発的なリアクションにこそ、音楽の力が表れると思うんですけど…
作り手が聴き手の行動をコントロールしようとするのって、それはやっぱり「数字」が欲しいからなのでしょうか?

恩師から「受け手がただ『感じる』のは『感心』、受け手が『感じた』結果何か『行動』にうつすというところまでできて『感動』させたと言える」と言われたことがある。

その『感動』の積み重ねが数字に表れるのであって、数字が欲しいから「あなたの曲聴きに行くから私の曲も聴きに来てください」「いいねしてください」「○コメント以上ください」「マイリスしてください」と相手に強制するのって、

本末転倒じゃない?

と、思う今日この頃。

私は、義務や義理でもらった100いいねより、音楽の力でもらった1いいねの方が嬉しい。
だから、ニコニ広告で宣伝し、自薦リプやリスインはしませんでした。
相手に強制することなく、自分の作品を気になってくれるきっかけをばら撒くだけ。
それで聴きに来てくれてリアクションもくれたら、それは正真正銘実力だ。

でも、そういう理由でやったニコニ広告も「金で買える再生数」だの「広告で流れるだけなのも再生数に入るから意味ない」だの言う方が結構いて、とても不本意だし、あまりにも表面的なものしか見ない人が多いことに驚いています。
ほんとに数しか見てない人多いんだなあと。

まあ、主義の違いなんでしょうね。
音楽を生み出すことを目的としてるのか、音楽を承認欲求の手段としてるのか。
そこの違いなのかもしれませんが。

普段は前者の方であっても、このボカコレムーブで流されちゃってる人もいっぱいいると思うけど。

「数字が欲しい」が先行したら、音楽は死んじゃうと思うんだがな。

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