ChatGPTについて


昨日もChatGPTについて書いたが、今日も同じく触れてみようと思う。ここ最近YouTubeの英語系のチャンネルなどで話題になっている、ChatGPTがあればもう英会話教師はいらないのではないかという議論に関してである。僕はその動画を見て、早速ChatGPTを入れて何度も何度も外国語の勉強してみたわけである。実際のところとてもよく非常に便利なのだが、面白いのは自動で言語を認識するため、例えば日本語で話している時、いきなり英語で話してもそれをちゃんと英語と認識してくれるわけである。そのようにして、僕はいろんな言語でChatGPTと話してみた。

それと、もっと驚いたのが、もともとChatGPTはプログラミングなどのコードを書くことに優れているという情報を聞いたことがある。もちろん、僕は、プログラミング言語というものに理解がない。強いて言えば、Excelの関数を組める位で、確か昔Excel VBAを習得しようとして挫折した経験もある。そういう意味ではExcel VBAに関しては全く以てわからないというわけではないが、結局のところコードを書いてそれを使えるようにしたという事は無い。そこで僕は、前々から業務においてVBAが使えればいいなと思っていたことに関して、ChatGPTにプログラムをお願いしてみたのである。それがちゃんと機能するか試してみたところ、驚いたことに動いたのである。正直、僕はコードを見てどれがどのように機能しているのかよくわからないが、とにかく僕がこういう風に動いてほしい、そのためのコードを書いてほしいとリクエストしたところ、それに対する応答が返ってきて、僕はそのコードをそのまま貼り付けて動かしてみたのです。そしたら、その通り、僕の希望通りに動いたというわけである。

ChatGPTは言語に関する本能において能力を発揮するというが、本当にもうこれで外国語の能力、単純なプログラミング能力は不要になるのかもしれないと思った。これからはいかに上手に使い倒すことが大切なんだと思った。ただ同時に僕の場合は上に述べたように外国語とプログラミングについて少し使ってみたテストだが、やはり使用するにおいて、多少はそれに関する知識、理解がなければ現実は難しいのであろうと思う。これがもっと本格的に騒がれるのは、例えば全く以て、英語とかがわからない人が使いこなして、英語で外国人とコミュニケーションを取れてしまうという位に使いこなせるようになったら、もっと世の中に周知されるのではないかと思う。つまるところ、現状では、ある程度その外国語やプログラミングに対する知識がある人が評価をして驚いている段階だが、もちろん使いこなすにはある程度それ相応の知識を持っているということが前提となっているようである。これがもう少し使い方等に改良されれば、もう誰でも使ってしまうのではないかと思う。そうなってくるともっと周りの見方も変わってくるのではないかなと思っている次第である。

そんな感じで、僕はここ2、3日ChatGPTの凄さに驚いて、色々と子供が新しいおもちゃをもらったように遊んでみていた。しかしながらすると思ったのが2、3日ぐらい触ってみると、意外と飽きが来るというか、こんなものかと思い始めた次第である。ちょうど僕が大学生だった時に、Akinatorというアプリがあり、このアプリでは、誰か著名人を頭の中で思い浮かべて、それに関してAkinatorがいくつか質問をして、ズバリその考えてる人を当てるというアプリで。はじめのうちはこれをやったときとても驚いたものだが、すぐになんとなく種子がわかってきて、そうすると全く以て新鮮味がなくなったということで、つまるところ、ChatGPTはもうそんな感じになりつつあるのかなと個人的に思った。人間というものは、なんとも自分勝手なもので、特に僕の場合はそうなのかもしれないが、飽きっぽくて確かに歴史的に見ると、すごいイノベーションであるのかもしれないが、それに対して敬意を払えないというものなのかもしれない。

上が自分が音声入力で書いた文章をチャットGPTに誤字脱字のみ添削してもらいました。それでもまだ音声入力の誤変換は残っていたので最終的には自分で添削しました。

そして上と似た様な文章を以下の様にチャットGPTにリクエストして作成してもらいました。なんか文章的にはこちらの方が優れてる気がします。

下記のテーマについて文章を書いてください。文字数は大体2000字くらいでお願いします。

  • チャットGDPの会話機能が優れており、将来的に外国語教師は不要になるのかもしれない。

    あと、単純なプログラムに関しても、ある程度具体的に指示すれば作成してくれる。そのため、プログラミングスキルが全くない人でもコード作成することができる。

    個人的にChatGPTのこうした能力に驚き、ここ2、3日はずっといじったりしていたが、よくよく考えてみるとニューほど大したものではないのかなと思ったのである。

    昔流行ったアキネーターというアプリにしており、こちらも初めて使った時は大変驚いたものだが、少ししたらもう何も感じなくなった。

    こうしたことが自分の飽き性によるものなのか、あるいは人間というものがそういうものってあるということのどちらなのかはよくわからない。

ChatGPTの会話機能とその将来性について

ChatGPTは、その高度な会話機能で多くの注目を集めています。特に、その外国語教育への応用可能性は大きな話題となっており、将来的には外国語教師が不要になるのではないかという議論が起こっています。ChatGPTは複数の言語に対応し、ユーザーの質問やコメントに対して流暢で自然な返答を行うことができます。この機能は、言語学習者にとって非常に役立つツールとなり得ます。たとえば、日本語を学ぶ英語話者が日本語で質問を投げかければ、ChatGPTは適切な日本語で返答し、学習者は実際の会話練習ができるわけです。しかし、この技術が外国語教師の役割を完全に取って代わることはできるのでしょうか。

言語教育において重要なのは、文法や語彙だけではありません。文化的背景やニュアンスの理解、さらには言語を使ってのコミュニケーション能力の向上も求められます。ChatGPTはあくまでAIであり、人間の教師が提供できる感情や経験に基づいた教育はできません。したがって、AIによる言語学習はあくまで補助的な手段として最も効果を発揮すると考えられます。

一方で、ChatGPTは単純なプログラミングタスクにも対応可能です。具体的な要求があれば、コードの生成や修正を行うことができます。これはプログラミングスキルがない人々にとっては大きな利点となります。例えば、Excelのマクロや簡単なウェブスクリプトを書く場合、ChatGPTに要件を伝えるだけで、実用的なコードを提供してくれます。しかし、より複雑なプログラミングや専門的な知識が必要な場面では、やはり専門家の介入が不可欠です。AIはあくまで指示に従うツールであり、創造的な思考や深い理解を行うことはできないためです。

個人的な体験として、私はChatGPTの能力に当初非常に驚いていました。特に、その多言語対応能力やプログラミングの自動生成機能には、数日間夢中になっていました。しかし、よく考えてみると、これは過去に流行ったAkinatorというアプリのようなものかもしれません。Akinatorはユーザーが考えている人物を当てるゲームで、初めて使用した時はその精度に驚きましたが、しばらくするとその新鮮味は薄れていきました。

このような感覚は、私の飽き性によるものなのか、それとも人間の特性として何かしらの新しいものに対してすぐに慣れてしまうという性質なのか、明確な答えはありません。技術の進歩は常に私たちを驚かせますが、その新鮮味が薄れるスピードもまた速いのです。ChatGPTは間違いなく革新的なツールですが、その魅力が長期にわたって持続するかどうかは、今後の展開次第で変わるでしょう。

最終的に、ChatGPTのようなAI技術は教育やプログラミングの分野において大きな可能性を秘めていますが、それが全ての解決策になるわけではありません。人間の教師や専門家の役割は依然として重要であり、AIはそのサポート役として機能することが最適な形と言えるでしょう。そして、私たちは常に新しい技術に適応しながら、その長所と短所を理解し、上手く活用していく必要があります。

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