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No.8|国債という名の病 - 後編

前編にて、経済成長による自然増収では財政再建は難しいことを述べた。そもそも景気・不景気は財政規律と無関係であり、そのような捉え方自体が問題である。

国債の本質的な問題は、①隠れたインフレの進行、②資産格差の拡大、③世代間不公平の拡大にある。順を追って説明していこう。

まず確認すべきとても大事な事実が、「政府が借金することで、誰かの資産が増える」ことである。政府が国債を発行するということは、市場にお金が流れるということだ。実際政府の1,000兆円以上の借金によって、個人の資産は1,000兆円以上増加した。理論的には政府はいくらでも借金ができ、それに合わせて個人の資産は増加する。

ただし、お金の流通量の増加は、原理的にはお金の希少性を下げ、インフレが進むことになる。けれどもこれほどの財政出動・異次元の緩和をしているにも関わらず、インフレが進んでいないのはなぜなのだろうか?

シンプルに説明するならば、供給が需要を上回り続けたからだ。それにはいくつかの要因がある。例を挙げてみよう。

①社会として成熟し、最低限必要なものが満たされたこと
②シェアリングエコノミーや中古市場の発達
③技術革新に伴う供給力の向上
④グローバル化による供給力の増加
国家の財政不安等を理由とした老後資金の貯蓄志向
⑥富の偏りによる消費の低下

①②は需要の総数を減少させる。③は機械化や情科学技術の発達により、一人当たりの生産性が著しく高められた結果だ。④は開発途上国の産業への参画である。⑤は将来への不安から老後の自己資金を貯めておこうととして需要を減少させる。⑥は資産が一部の富裕層に偏ったとしても、消費は資産に比例して伸びないことが影響している。

つまり、お金の流通量が増えたとしても常に供給力は強化され続け、それに見合った需要が存在しなかった。その結果インフレが起きなかったのである。いかに政府が需要を伸ばそうと躍起になっても、常に供給力は過剰であり続けた。むしろ、財政出動・異次元の緩和策は国家財政への不信感を招き、貯蓄性向をますます増長させ、需要を減らし続けていたのである。そして一連のばら撒きは不平等に分配され、国民間の資産格差、持つものと持たざるものの差を著しく引き伸ばすこととなった。

デフレマインド

供給され続けたお金は、消費ではなく貯蓄に回り、結果的にインフレを抑えた。それは歪みが解消されたわけではなく、ただひずみにエネルギー(将来の需要)が蓄えられ続けただけなのだ。

蓄えられたひずみは、需要と供給のバランスが崩れた時に解放される。今後高齢者の数が増え、労働者の数が減り、老後のために取っておかれた資金が市場に流れ始めた時に問題は起こる。堰を切って落とされたお金は市場に氾濫し、物価を急激に吊り上げる。限られた労働力を求めて、札束を使った争奪戦が始まる。

ハイパーインフレーション

特に足りなくなるのは医療や介護だ。特に人命に関わり、機械化が困難な医療・看護・介護の現場に多くの人がかき集められることだろう。それでも超高齢化社会においては労働力は不足し続け、他の産業も人手不足の煽りを受けて生産性が下がる。人手不足は後継者不足を招き、培われた技術は喪失していく。不足する労働力は、法外な金額か、お金があってもサービスを受けられないという極限的状況を作り出す。

2019年、金融庁の金融審議会市場ワーキング・グループが公表した「老後2,000万円問題」が国会で取り沙汰された。老後を迎えた高齢者夫婦が、寿命を迎えるまで豊かに暮らすためには、2,000万円という高額な資金準備が必要であると提示したのである。世帯によって消費スタイルは違うため、この2,000万円という金額自体にあまり意味はない。それよりも、いつまでも今の価格ベースでサービスが受けられることを前提にしていることが問題なのだ。技術革新によってよほどの生産性向上がない限り、いづれ需給バランスは壊れ、費用は吊り上がる。起こり得る金融資産の目減りリスクが全く考慮されていない!

今の世代は、政府からお金が景気よく配られながら、それでもなお物価の上昇が抑えられた、ある意味幸運な時代を生きている。本来であれば配られることのなかったお金が配られ、上昇するはずだった物価は上がらず、結果的に大きな利益を享受することができた。けれどもそんな都合のよい"話"は存在しない。この世の基本は等価交換であり、将来の急激なインフレによる将来世代の大損、資産価値の目減りによって帳尻は合わせられる。今の若い世代に豊かな老後が来ると思えない。

国債は一度その誘惑に取りつかれると、なかなか誘惑を振りほどくことができない。他人のクレジットカードのようなもので、好きなだけ使っていいと言われたら、ついつい使ってしまうのが人情だ。国債は時に「財政的児童虐待」と呼ばれる。本来今背負うべき負担(痛み)を、次の世代に一方的に付け替えられている。ツケを払う時には、借金を始めた人はこの世を去っている。

国債の発行は楽だ。政治家としても、今の世代に負担を負わせることなく、サービスを大判振る舞いできて、その上支持者からは受けが良い。無から有を生み出す打ち出の小槌に見えてくる。たとえ大量の国債を発行したとしても、ただちにインフレは観測されず、完全に制御できているように見える。

ただ、国債はそんな生易しいものではない。獰猛な獣のようであり、国家の病である。国債には中毒性があり、本来感じるべき痛みを止めてしまう。処方された患者は一見健康に見える。けれども内実としては、根本的な治療を後回しにし、体中を蝕むことになる。痛みを感じれば、服用量をさらに増やそうとする。国債は人々の思考を麻痺させ、遅効性の毒は組織を蝕み、最終的には社会に混乱を招く。問題が陰で起きているにも関わらず、それが見えない、その無症候性が課題解決の合意を困難にする。(これは気候変動やパンデミックと同じ状況だ!問題は起こるまで、リスクとして認識されない!)

No.5|私たちはどうして行き過ぎてしまうのか?(暴走・衰弱のメカニズム)』、で紹介したように、これは国家の共有財産を舞台にした共有地の悲劇であり、モラルハザードによって引き起こされている。そして、実際に問題が表面化した時には社会は疲弊しており、衰退のフィードバック・ループが起きかねない。昨今MMT理論なるものが流行しているが、一度暴れだした"巨大な"猛獣は、国が制御できる代物ではない。

問題の解決は実に困難だ。2050年の人口ピラミッドは次のような形をしている。有権者の年齢の中央値はますます高齢化し、シルバー民主主義と呼ばれる、高齢者の、高齢者による、高齢者のための政治が続くだろう。負担は若者へ、その次の世代へと回される。

人口ピラミッド

残念ながら、もっともよくある誤解の一つが、貯蓄をせずに積極的に消費に回すことで、財政収支を改善できるという考えである。俗にトリクルダウン仮説と呼ばれる。これは一見正しいが、やはり正確ではない。

確かにお金を持っている人が積極的にお金を使うことで、景気が良くなり、労働者の収入がいくらか増えるだろう。平均的な世帯所得の向上で子供を生みやすい環境ができるかもしれない。国家の財政がいくらか潤うことで、有効な少子化対策が打てるようになるかもしれない。けれども、この行動はあまりに非効率なのが問題なのだ。

お金を持っている人が何に使うのかは、他の誰にも決められない。その人が消費したいと思うサービス――飲食や観光、娯楽などを、間に何枚もあるいは何十枚もかませなければ、育児世帯や貧困世帯の支援に必要な税収を捻出できない。保育園一つ作る資金を集めるのに、どうして大量のコック、煌びやかな観光地、贅沢品が必要と言えるだろう!

個人でも唯一寄付によってのみ、直接的に支援ができる。けれども、そのような行いを全ての人に期待するのはナンセンスだ。

船底に穴が開いたら、やるべきことは穴を補修すること、水を出すことだ。やるべきことは山のようにある。そんな状況になっても資金獲得と称して、船内では贅沢の限りを尽くすこと―つまりは消費を求めている。そのサービスに労力を割けば、肝心の穴を塞ぐ人手が足りなくなるにも関わらず。

沈没船

問題の根源は、税金が低く抑えられていたために歳入が絞られ、資産の再分配が進まず、将来への必要な投資、課題の解決に十分な資本(労働力と資金)が投入されていないことにある。財政規律の緩みは、経済事情の話ではなく、ただそれを有権者が選択した結果に過ぎない。

貴重な資源を守ろうと奮闘している人がいても、それに社会が気づかない。
有能な人が危機に気づいても、今の社会では活躍の場が与えられていない。今の仕事の大半は、問題の解決に直結していない。

一番の被害者は若者であり、次の世代である。若者は特に政治的関心が低く、政治的な発言力が弱く、搾取の構造に気づいていない。現状の維持だけを任されて、空手形をつかまされている。若者は、本当はもっと怒らなければならない!

通貨価値の急落は、政府への信頼の失墜を意味する。私たちが失う最も大きな無形資産は、遵法の精神、助け合う精神ではないだろうか。その喪失はあらゆる課題の解決を一層困難にする。


▼マガジン(全12話)

twitter:kiki@kiki_project
note:kiki(持続不可能な社会への警鐘者)

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