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17歳の頃、なにしてました?

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尊敬するオトナは、17歳の頃どんなことを考えて学校生活を過ごしていたのかな。同じクラスにいたら仲良くなれたかも。いろいろな職業、世代、そして国を超えて…。ルーツは10代にある!
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03_室田泰文さん「17歳の頃、なにしてました?」

03_室田泰文さん「17歳の頃、なにしてました?」

結局、みんなが笑えたらいいじゃん僕は、会社に入った時に5年で辞めるって決めていたし、「行きたければ行くけど行きたくなければ行かなくてもいいや」くらいに思っていたんだよね。そう思ったのは、あるテレビ番組のおかげで。海外で頑張る日本人を特集した番組ってあるじゃん。

そのなかで現地の人と結婚して、ブルガリアで暮らしている女の人が取り上げられていたんだけど。その夫婦のひと月の生活費は7000円でまかなえ

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02_室田泰文さん「17歳の頃、なにしてました?」

02_室田泰文さん「17歳の頃、なにしてました?」

夏だけはできる特別な体験すごくラッキーなことだったんだけど、小学生の頃、夏休みに長野県の野尻湖の別荘に出かけていて。1ヶ月ちょっとくらい、従妹の家族と僕の家族で共同生活みたいなことをしていたんだよね。子どもは9人くらいいてね。

山の中にあってすごく自然豊かなところだったんだよね。目の前に湖があったから、朝の5時くらいに起きて釣りに行ったり、テニスをして暑くなったら泳ぎに行ったり。そんな1日を過ご

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01_室田泰文さん「17歳の頃、なにしてました?」

01_室田泰文さん「17歳の頃、なにしてました?」

室田さんと初めてお会いしたのは3年前、私が高校1年生の時、課外授業での活動(廃校舎の再利用を目的として行っていた活動です)にご協力をお願いしたことがきっかけでした。最初は少しの間だけ協力していただくつもりでしたが、室田さんの情熱に魅了され、その後もたくさんお世話になりました。空き家の改装をお手伝いさせていただいたり、無料塾を開いてみたり…。

「早く東京に行きたい!」そんなことばかり考えていた当時

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第3回 哲学と生活を近づけるひと

第3回 哲学と生活を近づけるひと

哲学の始まりは野球部?小学1年生の頃から野球やってたんですけど、僕うまくなくて、下手で、全然活躍できなかったんですよ。だけど、自分の父親がそのチームの監督をやっていて…。僕が活躍しないと朝でも昼でも夜でも関係なく、練習に連れまわされたんですね。

それが嫌で、本当に嫌だったので、よく寝たふりしてたんです(笑)。父親が練習に連れて行くぞって瞬間が分かると、その時に寝たふりをして避けるっていう方法を身

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第2話 哲学と生活を近づけるひと

第2話 哲学と生活を近づけるひと

哲学と恋愛高校時代の話からしますね。もともと僕は一つのことにしか集中できないタイプなので、当時、彼女できたんですけど野球部を頑張りたい気持ちが強くて「ごめん野球集中したいから」って、結局別れちゃって。「なんで別れるの?」って周りからもめっちゃ言われました。「お前ごときがあの彼女を振るのか!」って。

僕は「彼女とたくさんの時間を共有してあげないといけない」っていう、恋愛のステレオタイプみたいなこと

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第1話 哲学と生活を近づけるひと

第1話 哲学と生活を近づけるひと

みなさん、「哲学」と聞いてなにをイメージしますか?
ソクラテスみたいなはるか昔の学者を思い浮かべる人もいれば、今ではもうすこし広く使われている単語でもあります。試しにamazonで「哲学」と検索すると「生き方の哲学」「死の哲学」「経済の哲学」に「植物の哲学」まで。

なんだか、人によってイメージが違いそう。今回はそんな一見すると難しい「哲学」を仕事にするNPO法人こども哲学・おとな哲学 アーダコー

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兼松さん17歳②:青春は早い方がいい。ミネソタ留学で得た自分らしさを応援し合える仲間。

兼松さん17歳②:青春は早い方がいい。ミネソタ留学で得た自分らしさを応援し合える仲間。

こちらの記事は、兼松佳宏さん(勉強家/京都精華大学人文学部特任講師)へのインタビューの第二話になります。(第一話「とにかく秋田を出たかった」はこちら。)

高校生の頃からファッションに興味を持つようになったり、ビジュアル系バンドの真似をしたりと、カルチャーが大好きだった兼松さん。しかしその一方で、受験勉強にも力を入れギャップを大事にしていたそう。

趣味も勉強も両立していて充実した高校生活に見え

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第2回 都電で、女性運転手になりたくて

第2回 都電で、女性運転手になりたくて

都電は夢のチャレンジだった電車っていうよりも都電が好きで。この景色を毎日見たいという一心で採用試験を受けました。

都電は、私にとって夢のチャレンジなんです。都電に出会う前までの人生プランは、何事もなく平凡に多数派の人たちと同じ生活ができればいいかなって思っていたから、進学校に行って、大学に行って、一般企業を受けて…って思ってました。

でも都電は私の中で、別枠なんです。受かんなくても当然だと思っ

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第1回 都電で、女性運転手になりたくて

第1回 都電で、女性運転手になりたくて

大学からの帰り道、課題のことばかり考えていた私は気分転換がしたいと思い、本屋さんに立ち寄った。そこで1冊の雑誌と出会った。

その雑誌は様々な形で鉄道に関わる女性を特集していた。その中でも私が普段遊びに行くときに使っている路面電車に、女性の運転手さんがいることを知った。

電車の運転手さんといえば、まだまだ男社会のイメージ。
なぜそんな仕事に就こうと思ったのか、どこにきっかけがあったのか、どんな勉

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兼松さん17歳①:とにかく秋田を出たかった

兼松さん17歳①:とにかく秋田を出たかった

おしゃべりが好き。自分のことを話すのも、相手の話を聞くのも好き。人と違うことをするのが好き。空海が好き。今は京都に住んでいる。兼松佳宏さんは、僕がインターンしているNPO法人グリーンズのWEBマガジン「greenz.jp」の元編集長でもある。

僕はgreenz.jp元編集長としての兼松さんは知っているが、それ以外の兼松さんのことはいっさい知らない。ワークショップやイベントでは、これでもかという程

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たーちゃんと陶芸 2

たーちゃんと陶芸 2

祖母はマンションの8階で陶芸をしていることを当たり前のように話す。そして私もそれが普通の光景となっていた。

部屋には電動ろくろや焼く前の器が並べられ、棚に乗りきらないほどの器、倉庫には粘土と釉薬がたくさん眠っている。

家のチャイムが鳴ると、重そうな顔をして粘土を持ってきてくれる宅急便屋さんが立っているのは日常茶飯事だ。

「みんながマンションで陶芸やってるのを面白いって言ってくれてるんよ」「

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たーちゃんと陶芸 1

72歳になる祖母は、おばあちゃんと呼ばれることを嫌う。
なので、家では「たーちゃん」と呼んでいる。小さな頃から忙しい母の代わりに世話をしてくれた。
私は祖母に陶芸を習い、一緒に器を作ったりもした。今でも2人でお出かけをするほど仲が良い。

空 タケコさんは1946年広島県生まれ。2000年に広島県から福岡県に移住。主婦業の傍ら、マンションの一室で未空来(みそら)工房を開き、27年間陶芸作品を

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